第五八話 対決! 左近vsマロ

 ◆天文十六年(一五四七年)六月中旬 尾張国 那古野城


 さて、上洛で当初の目標以上の成果をあげた信長ちゃん一行は、二条城に明智光秀と、新たに京で外交を担当する村井貞勝さだかつを残して、往路と同様に七日の行程を経て本拠地那古野に戻る。

 信長ちゃんが自分へのご褒美用に、大量のカステーラを持ち帰ったのは言うまでもない。

 自宅で旅の疲れと汚れを湯殿で洗い流し、くつろいでいると信長ちゃんがやってきた。


「やはり那古野に戻ると落ち着くのじゃ」

 那古野に戻って早々に、京土産のカステーラを食べてご満悦顔の信長ちゃん。つくづく見ても、将軍や帝を相手に強烈な交渉力を見せた大名と同一人物とは思えない。


 信長ちゃんは「ワシも流石に家臣の前では恥ずかしかったゆえ、久々のらぶらぶなのじゃ」などと呟いて、おれに抱きついて甘える。

 反則だろ。こんなことをされたら、ますます腑抜けてしまうぞ。祥姫に鼻を伸ばしがちな新婚の勝家のことを全くいえない。

「おれも姫と久しぶりのラブラブで嬉しいです」

 信長ちゃんの温もりや匂いを感じられて、欲望に身も心も任せてしまいそう。だが、まだ彼女は中学生相当だし、織田家の今後を考えれば、早急に手を打たなければいけないことが山積みだ。


 ええい、しっかりしろ! 自分に喝を入れて気を取り直そう。

「姫、これから織田家はいかに動きましょうか」

 彼女に悪いと思うし、名残惜しさで一杯だが、強引に仕事モードになってもらう。

「さこんは鬼じゃな。せっかくワシがよい気分であったのに」

 ぷっと頬を膨らましている。不満だ、と言っているのだ。


 いかんいかん、先ほどの決意がすっかり鈍ってしまうぞ。

「おれも斯様にすると天にも昇る気分です」

 そう信長ちゃんをぎゅっと強く抱きしめてキスをした。

 軟禁されて一年近く離れていた間に、彼女の身体つきはだいぶ大人の女性になっていて、丸みや柔らかさに改めて驚く。

 確かに本人が言い張るように、つるでぺたとはもう言えない。細身だが充分に肉感的で女性の魅力を感じた。


 おれの行動がお気に召したのだろう。軽くはにかんだ信長ちゃんだが、彼女はやっぱりやるときはやる子だ。キッと表情を引き締めて、仕事モードに入った。

「で、あるか。そうよな。まず浅井あざいをいかにするか」

 先日の将軍足利義晴との会見で、信長ちゃんが近江(滋賀県)守護を要求したように、京の近くの近江に拠点を確保する策は規定路線ともいえた。織田家の近江進出に関わってくるのが、北近江を本拠としている浅井家だ。

 史実の織田信長は近江進出に際し、当主の浅井長政に妹のお市の方を嫁がせて、同盟関係を結んで京までのルートの安全を確保した。

 だが現在は、長政は生まれて間もない幼児で、浅井家の当主は父親の久政の時代だ。おれは浅井家に対して、悪辣な謀略を計画していたように、基本的には強硬路線を推すつもりだ。史実の浅井長政は、義兄の信長を裏切るのだが、その決断の裏には織田家との同盟に反対だった父久政の影響が大きかったと見ていい。

 そのため、この時代でも浅井家と強固な同盟は結べないとの読みだ。ただ、浅井久政がどのような方針なのか不明なため、相手次第で流動的ではある。


 今後の課題となる北近江の浅井家の前に、織田領の東にもっと大きな懸念材料がある。史実の信長を苦しめたアイツだ。アイツを何とかしなければいけない。

「近江は是非にも織田家で確保すべきです。ただし、その前に手を打たねばなりません」

「今川治部じぶ(義元)じゃな?」

 信長ちゃんは打てば響くように駿河(静岡県)の今川義元の名を挙げた。外交センスが確かな信長ちゃんは、さすがに分かっているので話が早い。

 そのとおり。義元マロが動けなくする手を打たないと、状況によっては安定しつつある三河に襲い掛かる可能性がある。


「ええ。今川です。おれが駿府すんぷ(静岡市)に出向き、和議をまとめてきます」

「ワシの側で常に助けると約したではないか。三左(森可成)や爺(平手政秀)ではならぬのか?」

 縋るような目つきで、彼女にこの科白を言われると、簡単に意志がくじけてしまいそう。だが、史実の家康との清洲同盟以上に、織田領の東側の安定を確立をさせなくてはいけない。さらにおれは、もうひとりの危険人物を抑えこむ策を立てているんだ。


「おれでなくては、姫の龐士元ほうしげん(龐統)でなくては、単なる和議以上の話はできません」

「で、あるか。だが、和議をまとめたらすぐ戻るのじゃ。すぐ戻らねば、ワシはまた下呂に行かねばならぬ」

 早く戻ってこないと、寂しくて気鬱になってしまう、ということ。全くこの姫は可愛らしいことを言ってくれる。


「もちろん。おれも姫とらぶらぶしたいので、和議をまとめたらすぐに戻りますよ」

「で、あるか。ならば許す」

 不満げでありながら、信長ちゃんから駿府行きの許可はもらえた。

「はっ!」

 自分の心に正直になれば、一年ほども那古野を離れていたので、その分信長ちゃんと仲良くしていたいという気も充分ある。また駿河にも信長ちゃんと同行して、富士山を見るなどというプランもいいな、とも思っていた。

 だがある理由から、今回は信長ちゃん抜きで、今川義元マロの居城の駿府に行こうと申し出たんだ。


 ◆天文十六年(一五四七年)六月下旬 駿河国するがのくに 駿府館すんぷやかた


 不満を隠そうともしない信長ちゃんに対し、愛情と申し訳なさの気持ちを胸に、一週間の行程でおれは駿府へと向かった。

 手元にはアレ――多羅尾光俊が探し当てたアレを利用した未来兵器がある。


 今川義元には予め会見の旨は伝えているし、美濃の戦勝報告の文をやり取りするなど、織田・今川間の現在はある種の小康状態。生命の危険は殆ど感じないが、相手は『海道一かいどういちの弓取り(東海道随一の武将)』とうたわれる勇将の義元と、腹心の太原雪斎たいげんせっさい

 気を抜くことは許されないぞ。


 城内の謁見えっけんの間に通された。

 やがて、人の気配を前に感じて平伏する。

「滝川左近尉さこんのじょう一益です。お初にお目にかかります」

「面をあげよ。滝川といえば、織田の女傑が今士元でおじゃったな。いかなる用向きでおじゃるか?」

 ふーん、なるほどね。『織田のうつけ姫』でないんだな。さすがに義元、信長ちゃんの実力は認めているわけか。

 やはり容易な相手ではない。


 目の前には、確かに白粉おしろいにマロ眉の公家風の男がいた。

 だが京で見た公家と異なり異様に眼光が鋭い。横に座る年かさの坊主も輪をかけて眼光が鋭い。この坊主が雪斎だろう。

 今川義元マロは現在二九歳。桶狭間での最期があっけなかっただけに、過小評価される向きも多いけれど、優れた領国経営に確かな政治手腕。どう考えても、優秀で強かな政治家だ。そして義元の知恵袋の太原雪斎にしても、僧形だが政戦ともにこなす名将。二人の迫力が尋常じゃない。


 一介の大学生だったおれだが、この二年で修羅場も経験している。彼らの気迫に飲まれてはいけない、と気合を入れる。

 それにしても多羅尾光俊もいい仕事をするなあ。マロも予め広めてもらった、今士元と言ってるよ。

「我が織田家と今川家との和議を結びに参りました」

 さっそく和議を切り出す。

「ふーむ。和議か。織田との和議か。悪くはないが。悪くはないが……いささか面白うないでおじゃるな」

 マロはたいした表情の変化を見せない。和議はマロも想定していたということだな。面白くないと言いつつも、顔色に出さず和議の否定もしない。

 さすがだぜ、義元マロ。結構な狸ぶりだ。


「今は面白みに欠けるやもしれませんが、それがしの話を聞けば、治部じぶ殿も面白く感じるかと」

「ホウ! 織田の今士元が面白き話を、マロに聞かせてくれるのでおじゃるな」

 よしっ! 食いついてきたぞ。第一関門突破といったところか。

 隣国の重臣を相手にしたら、力量を見定めるために、最初から否定はしないはず。

 逆の立場だったら、おれも相手から些細な情報でも得ようとするからな。

 さて、ここからが正念場だぞ。

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