第二部 飛翔編(1546~1547)
第三七話 危険な男
◆天文十五年(一五四六年)二月下旬 尾張国 犬山城付近
織田
現代日本の犬山城には国宝指定の天守閣がそびえ立つが、あいにくこの時代には存在しない。
信清の父織田
『ワシが幼きころに可愛がってくれた十郎左兄を、殺したくないのじゃ』
年上の従兄か。もしかすると信長ちゃんの初恋相手かもしれない、と下衆な勘ぐりをもした。
織田信清は史実では信長と争って、犬山城を落とされた後は、甲斐(山梨県)の武田信玄を頼って逃亡したと伝わっている。
情報漏えいの意味からも、しぶとさからも危険な男だ。
『犬山を落とすぞ』
諸将の前で宣言した信長ちゃんの行動は素早かった。
那古野城の直属兵三〇〇〇と、
と同時に、清州城の信パパと守山城の
那古野勢五〇〇〇は犬山城から四町(四四〇メートル)離れた位置に本陣をおき、信パパと信光叔父の到着を待つ。
今月初めから、
犬山織田家の前当主織田
昨年の信清挙兵の際にも、親しい関係を破綻させるものだ、と多くの家臣の反対があったらしい。
犬山城の
本日信長ちゃんは髪をおろして、白い鉢金鉢巻。白い鎧に紺色の陣羽織姿。兜を着用しないのは、力攻めをしない決意表明でもある。
犬山城内には、約一二〇〇の将兵が
「さすがはわが殿じゃ」などという声があがる。
可能ならば、恨みは残さないほうがいい。さすが信長ちゃんだな。
やがて信パパが六〇〇〇、信光叔父が一五〇〇の兵を率いて、本陣に到着するや信長ちゃんは降伏勧告を行なった。
寄せ手は合計一二五〇〇〇で城内の兵の十倍を超えている。力攻めをしても陥落は時間の問題、という圧倒的有利。
「大学、ヌシは城内に一族がおるそうだな。文を届けるのじゃ」
信長ちゃんは、佐久間
史実で佐久間大学盛重は、弟信行の家老(重臣)であるにも関わらず、信長に一貫して味方し続けた。初期の信長の武を支えた、信頼できる勇将だった。
だが桶狭間の前哨戦で、
盛重戦死の報せを聞いた信長は、大変悲しんだとのエピソードが伝わっている。
大学かあ……。
盛重の官職名から、半年前は名古屋の大学に通う学生だったことを、久しぶりに思い出した。この時代に来て、史実の滝川一益ほどの大出世は遂げてはいない。だが、隣で敵城を睨む美しい少女武将から、信頼されているばかりでなく、ある種の愛情さえ受けている。
これまでの半年間を思い出して、現代日本よりも、信長ちゃんを守り支えるこの時代の生活の方が充実していると感じた。
程なく犬山城の門が開かれ、白旗を掲げた数名の一行が、こちらに向かってくるのが見えた。
降伏を受け入れたのに違いない。
一行をよく見ると、中央の若い男は白い縄で縛られており、脇の男二人に引っ張られるように向かってくる。
状況から察すると、縛られているのが織田信清だろうな。
信長ちゃんは、
「
信長ちゃんが信清に言い放つ。
信清は二十四、五歳ぐらいだろうか。痩身で端正な顔立ちである。さすが美男美女の多い織田家の一員だな。
邪悪な感情に顔を歪ませた信清が叫ぶ。
「わしは認めぬ! うつけの
「殿に向かって何たる暴言。許せぬ!」と柴田権六勝家は抜刀して、今にも斬りかかる勢い。
「権六! よせッ!」
信長ちゃんが勝家をたしなめて、鋭く信清に言葉を放つ。
「十郎左兄はしばらく見ぬうちに嫌な目をするようになったな。左様な目をしているから、物事の道理が分からぬのだッ!」
信清を見ると、確かに妖しく鈍く光る目をはじめ、恨みや嫉妬などのネガティブな感情に歪んでいて薄気味悪い人相だ。元々が端正な顔立ちだけに、邪悪な光を放つ目が特に気になってしまう。
「おのれェエ、滝川左近! わしはこの屈辱を忘れぬぞォオッ!」
信清がおれを睨み吼える。
この目は良からぬ物事を企む目だ。信長ちゃんのためにはならない、と直感した。
「
信パパが信長ちゃんに声を掛けた。さすが信パパ。娘同様に人を見る目は確かだ。
「父上の言い分は分かるが、十郎左兄を斬ると、今後ワシに降る者が少なくなるのじゃ」
信長ちゃんの言い分にも一理あるけれど、信清の妖しく光る目を見ると放置はできない。
史実の信長は、家督争いをめぐって謀反を起こした勘十郎信行を一度は助命したり、反旗を翻した信広兄を許して重用するなど、戦国大名としてはかなり身内に甘い。特に信行に関しては、遺児で甥にあたる
信長ちゃんもどうやら身内には甘いらしい。信清の危うさがどうしても気になってしまう。
信清を密かに闇に葬るべきかもな。
だが、信長ちゃんの初恋相手だとしたら――おれの仕業だと分かったらどう思うだろう。非情な決断はできなかった。
おれもまだまだ甘い。
根っからの戦国武将に、なりきれていないのかもしれない。
「信清の今後の動向を見張っておいてくれ。ヤツは危険だ」
諜報衆の多羅尾
「四郎右衛門、このたわけ者をどこぞに捨てておいてくれ!」
信長ちゃんが信清の追放を光俊に命じて、犬山城攻めは終わった。
岩倉城の織田信安だけが、念願の尾張統一への唯一の障壁だ。あと一息!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます