黒い感じ(3)

 あの後、保健室のベッドに寝かされた私は、すぐに眠ってしまったらしかった。よく覚えていないけど、体が睡眠を渇望していたせいだろう。

 ベッドに置いた瞬間に寝息が聞こえてきたと、二時間ほど眠って目覚めた私に保健室の先生は私に言った。


「お姫様抱っこでここまで運ばれた子は、私も初めて見たわ」


 先生は楽しそうに言う。幾分か体調が回復してベッドに腰掛ける私は、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「もう先生、からかわないでくださいよ」

「あは、ごめんね。でももう大丈夫なの?」

「はい、なんとか」


 まだ少し体はだるいけれど、頭痛もほとんど引いたし、残りの授業を受けることに差し支えは無さそうだ。もう昼休みで、あとは五時間目と六時間目しかないし、今日は体を動かす体育だってない。


「そう? 無理しないでね。それじゃ、私は別の仕事があるからここを離れるけど。教室にはひとりで戻れる?」

「はい、大丈夫です」


 そんな会話をすると、先生は保健室から退出した。私はベッドの上で天井に拳を突き上げて伸びをする。

 やっぱりまだちょっと眠いなあ。だけど五時間目は苦手な英語だから授業ちゃんと受けたいし……。頑張ろう。

 そう思って、ベッドから立ち上がろうとした時だった。


「心葉!」


 閉まっていた保健室の扉が勢いよく開いた。珍しく焦った様子で入ってきたのは、彩斗くん。

 突然のことに驚く私だったが、どうやら心配で様子を見に来てくれたらしいことにすぐに気づき、彼に向かって微笑む。


 彩斗くんは、すぐに私が座るベッドの傍らまでやってきた。


「大丈夫⁉ ただの睡眠不足って保険の先生には言われてたけど、もう運んでから二時間も経つし、急に心配になってさ」

「うん、本当にそうだから。結構寝たしもう平気だよ」

「無理してない?」

「うん」


 まだ本調子とはいえないけれど、おとなしく過ごすには問題なさそうなので、私は深くうなずく。


「ああ、よかったあ」


 彩斗くんは脱力したように、ベッドの傍らでへたりこんだ。よっぽど安堵したらしい。

 そんなに私のことを心配してくれていたんだと、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが生まれた。


「なんかごめん、心配かけちゃったみたいで」

「そりゃ、心配しましたよー。心葉、無理して頑張ることが多いからさ」

「え……。う、うん」


 ずっと前から私を知っているような口調で言われて、一瞬戸惑ってしまう。

 だけど彩斗くんは、出会ってからまだ一ヵ月も経っていないというのに、本当によく私のことを分かっていた。


 手伝いが欲しいなと思った時にさりげなく手を貸してくれる。体調があまりよくない時に、隠していても必ず気づく。

 今日はいきなり眠気が襲ってきたので、さすがに倒れるまで気が付かなかったみたいだったけど。


 どうして彩斗くんは私のことをこんなに分かるのだろう。何故旧知の仲のように理解しているのだろう。

 あなたは何者? 本当に不思議だ。


「教室、戻る? ひとりで歩ける?」

「大丈夫だよ」

「なんだー、また抱っこして運ぼうと思ってたのさ」


 ニヤニヤしながら言う。保健室に運ばれた時の光景が思い起こされた。私を抱きながら、優しく微笑む彩斗くんの顔。

 あまりの恥ずかしさに、一瞬で顔が熱くなる。


「も、もう大丈夫です!」

「えー、つまんね。心葉、抱き心地よかったのに。でももうちょっと太ってもいいかも。女の子はやっぱり太ももと……」

「ひどいセクハラだ!」


 それ以上は言われたら頭が沸騰してしまう気がしたので、私は彼の言葉を途中で遮るように声を上げる。そしてベッドから立ち上がって、早歩きで保健室から出ようとした。

 うん、少しいつもより力は入らない気はするけど、大丈夫そうだ。


「ごめん調子乗りすぎたー。ねえ、ちょっと待ってよー、心葉」


 そんな私を追いかける彩斗くんの声が、背後から聞こえてくる。別に本気で怒っているわけではないけど、彼を出し抜いたような気がしてなんだか嬉しくて、私は何も答えずに保健室から出た。

 すると、保健室の外に予想外の人物がいたので、私は立ち止まってしまう。


「牧野さん……?」


 たまたま通りがかった、という感じには見えなかった。保健室の扉を開けたらそこに立っていた。――ここで何をしていたのだろう。

 もしかして、中の様子をうかがっていた……?


「あ……。も、もう大丈夫なのー? 七瀬さんのことが心配で様子を見に来ちゃったのー!」


 牧野さんは一瞬驚いたような面持ちをした後、いつもみんなに向けているようなきゃぴっとした笑みを浮かべて言った。なんだかどこか、作為的な印象のある微笑みだった。


「……もう大丈夫だよ。ありがとう、わざわざ来てくれて」

「そっかあ、それならよかったよお! 友達が倒れたんだから、心配に決まってるじゃない!」


 今までほとんど関わったことのない牧野さんに、生涯の親友のような口ぶりで言われて、思わず戸惑ってしまう。今彼女に触れたらどんな本音が聞こえてくるのだろう。


「え、何々? 牧野さんがいんの?」

「あ! 彩斗くーん!」


 私を押しのけるように彩斗くんの前に出る牧野さん。彼が保健室に行ったから、気になってついてきたのかな。まあ彼女が本気で私のことを心配していたわけじゃないことは、心なんて読まなくてももちろん分かっている。


「ねー、今日こそ放課後一緒に遊びに行こうよー!」

「放課後? 俺は別にいいってば」

「えー! そろそろいいでしょ! いつも断るんだもーん! 一度くらい私と遊ぼうよ!」


 断る彩斗くんだったが、めげずに勢いよく誘う牧野さん。彩斗くんは「うーん……」と煮え切らない感じになった。気は進まないみたいだが、ずっと断り続けているらしいから、あまり無下にできないのだろう。モテる男も大変だ。


 私はそんなふたりの会話を背中で聞きながら、教室へとひとりで戻ったのだった。

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