第191話 テッコンへの依頼

「よぉ来たな」


 テッコンは、目の前の若夫婦に水を出した。カケルが湯呑に手を伸ばすと、それは氷のように冷たかったが、すぐ後ろにある囲炉裏から伝わってくる暖のお陰で、指先が凍りつくことはない。


 テッコンは相変わらず神具制作に精を出していたようで、この寒い時期にも関わらず汗を手ぬぐいで拭っていた。


「いただきます」


 その隣りにいるコトリも湯呑を手に取ると、テッコンはしわがれた声で笑う。


「そんな畏まらんでえぇのに。儂はカケルと昔馴染なだけで、所詮ただの神具師や」

「テッコンがそんなこと言ったら、他の皆は虫けらになるよ。もっと胸張ればいいのに」


 すかさずカケルが突っ込むと、テッコンも水を一気に煽って、口元を袖口で拭いた。


「なにはともあれ、やっと会えたな」


 テッコンは、神具化した鳥の目を通してコトリを見たことはあるものの、きちんと相対するのは初めてのことである。優しくも、職人特有の鋭さも持ち合わせた視線に晒されると、コトリは少し居心地が悪くなって俯いてしまった。


「確かにべっぴんさんで、賢そうで、カケルや神具が気に入りそうな気を纏ってるわ」

「さすがテッコン、分かってるね」


 コトリのこととなると、すぐに調子に乗るカケルだ。彼は、此度の旅の目的も忘れ、道中の惚気話などをゆっくり話り始めてしまう。コトリは照れ隠しを誤魔化すように手をパタパタさせると、慌ててそれを止めた。


「そ、それよりも。あの話を」

「そうだった」


 元よりテッコンの元へは立ち寄る予定にしていた二人。だが、早く話さねばならない事ができたので、これでも急いでやって来たのだ。


 カケルは、小さな木箱をテッコンに向かって差し出す。


「この中には、しめ縄が入っている。ニシミズホ村の社に残されていたものだよ」


 テッコンがいる旧ソラの辺境に来る前、カケルとコトリは旧クレナの全域を行脚していた。その中で、紫発端の地とも呼べるニシミズホ村にも立ち寄っていたのだ。


 そして、かつて大切に隠されて祀られていた赤い国の礎の石が、今現在どうなっているのかを確認したのだった。


「以前、文でも話した通り、香山にある新たな社には、紫色をした巨大な石が出現した。今ではそれが最高神大神の化身として祀られているよ。ソラの青い国の礎の石が消えたことは確認できてるから、一応クレナ側のものも見に来たのだけど、やはり無くなっていたね」


 テッコンは重々しく頷いて相槌をうつ。

 石そのものの存在も奇跡だが、そんな大きなものが忽然と姿を消したり、新たな場所に形を変えて現れたりするのは、まさに神の御業だ。


「でね、赤い石が守られていた場所に、このしめ縄が残されていたんだけど、すごい神気を纏ってるんだ」


 急にカケルは神具師らしいキリリとした顔つきになる。いや、むしろ楽しい玩具を見つけた子供に似ているかもしれない。テッコンも、これを聞くやいなや、木箱を開けて目を輝かせた。


「これは」


 今や、コトリにも神気は見える。たちまち、大量の聖なる空気が解き放たれて、辺りに広がり始めた。それは、人の心を躍動させ、それでいて安心させるような魅力に満ちている。


「村人が特に使い道も無いので、このまま燃やすなんて言うものだから、貰ってきたんだ」

「でかした。これ以上の素材は、なかなかお目にかかれないぞ」


 もちろん、神具の素材という意味である。テッコンは前のめりになって言い放った。


「これは、儂に預けてくれるんか?」

「預けるんじゃなくて、いろいろなお礼と、後は土産を兼ねて渡したいと思う」

「そうか。いつも手ぶらで突然乗り込んでくるような幼い王子やったのに、ようやく人への気遣いもできるようになったんやな」


 どこか感慨深げなテッコン。カケルはやや不満げな目を向けながらも、やや得意そうである。コトリは、ゴスとはまたちがった師弟関係を見守りつつ、ほっこりしていた。


「それで、儂は何したらえぇんや? 何か急ぎのことがあるから、うちとこ来たんやろ?」

「あぁ。これ程の素材を適切に使いこなし、俺の希望を叶えてくれる暇人と言ったら、テッコンしか思いつかなかった」

「阿呆。これでも、いつも忙しいんやからな? でも、この仕事は面白そうやから、儂がやらせてもらう」

「そう言ってくれると思ってたよ。実は、紫の石、正式には天磐楯を守る神具を作ってほしいんだ」


 カケルは、この依頼に至った経緯を話し始めた。


 テッコン含め、皆が承知の通り、かつての天磐楯は二つに分かれていたが、この度ようやく元通りになった。しかし、昨今の情勢を鑑みると、今後は紫国と敵対する勢力、すなわち帝国の手によって、再び分裂させられてしまったり、破壊される恐れも考えられる。


 天磐楯は国の礎であり、神の巣、国の、民の、全ての寄り処。これが損なわれるようなことになってはならない。


 しかし、現にあの石は普通の小刀でも削り取ることができる。カケルがシェンシャンと化すのに使った和の国、最後の神剣となれば、もっと簡単にそれが行えるだろう。


 話を聞いたテッコンは、しばらく難しい顔をして考え込んでいた。


「一つ確認させてくれ。その神剣の素材は、帝国の希少金属でできてるんか?」

「いや、違う。古い書物によると、ヒヒイロカネだ」


 テッコンは、静かに息を呑む。それは、本日一番の衝撃ある事実だった。


 ヒヒイロカネは、ここ紫国の地域に古くから伝わる伝説の金属だ。この世で唯一、人の想いを刻み込むことのできる金属と言われている。神に守られし、この地のみに存在すると言われているが、実際は空想上のものであるとされてきた。故に、テッコンも目にしたことは無い。


「それは、本当にヒヒイロカネなのか?」

「俺は、そう思っている。独特の佇まいで、神気の纏い方も普通じゃなかったから」


 テッコンは、カケルの話を信じることにした。二人の間には、それだけの信頼関係がある。


「後、心配するとしたら、帝国にある希少金属もヒヒイロカネのように、天磐楯をスパッとできるんちゃうかってことやな」

「そう、それなんだ」


 ここでカケルは、居住まいを正した。


「俺は今、紫国の神具省長官に就いている。一国の元王でもある。俺は、俺の持っているあらゆる方法をもって、この国を、そこに生きる民を守りたい」


 と、カケルは大きなことを言うのだが、なぜか視線はテッコンではなく、コトリに固定されたままだ。


「はい、はい。このお嬢ちゃん……って言うたら失礼やな、奥方を守るためには、まず国からってことか。ほんまにもう、見てるこっちが恥ずかしくなってくるわ」

「コトリは誰にもあげないよ」

「誰が手出しするか、阿呆。これだけ女一人手に入れるのに手間と時間と命かける奴は、お前以外におらへんで。せいぜい逃げられんように、大事にしな」

「十分大事にしていただいております」


 ついに、コトリまでもが惚気け始めたではないか。テッコンはお手上げとばかりに苦笑して肩をすくめた。


「とにかく、天磐楯を守るための神具については引き受けた。少し時間をくれ」


 そうしてカケルとコトリは用事を済ませ、また次の村を目指すのである。


 だが、事件はその日の夕方に訪れた。


「止まれ!」


 二人が乗る馬車は、森の脇を通る街道の途中で止まってしまう。前方には、立ちふさがるようにして立つ男が一人。その背後には、蠢く無数の黒い影があった。


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