第160話 信じられるもの
王が紫によって捕縛されたことは、すぐに都中へ知れ渡った。となれば、早く処刑して、血祭りに上げろと声高に叫ばれるようになる。
そんな折、ようやくソラから紫へ、とある情報がもたらされた。
「姫様はご無事です!」
報せを受けたサヨは、嬉しさのあまり隣に座るミズキに抱きついた。
ここは菖蒲殿、本宅。荒廃した都の中でも、数少ない安全な場所である。義両親との同居はミズキの胃を痛めることにもなっているが、サヨを守るためには仕方がない。
ミズキは、サヨから渡された文に目を通した。
「そうか。カケル王には、アダマンタイトも力が及ばなかったようだな」
おそらく国で一番警備が強固な場所、王城を抜け出し、コトリを連れているにも関わらず敵兵を撒きながらソラまで逃げ仰せるのは、並大抵のことではない。ミズキは少し前の自分とカケルを重ね合わせつつ、困難に立ち向かう勇敢さに共感するのである。
文によると、ソラに入った二人は、チグサ王女から遣わされた者達の世話になり、これから馬車でクレナへ向かうことになっているそうだ。もしかすると、明日、明後日にも再会できるかもしれない。
「後少しの辛抱ね」
ミズキは頷きながら、怯えるサヨの肩を抱いた。今も、遠くの方で暴動の音が聞こえているのだ。
民は、王が王宮内で捕らえられていると思っているらしく、火をつけらてはボヤ騒ぎを引き起こすというのが日常茶飯事になっている。お陰で王宮の白壁は、すっかり黒ずんで見るも無残な有様だとか。
同じく、かつて王の味方をしていた貴族達の屋敷が破壊されるといった事件も発生している。さらには、次の王に関する憶測も様々に広がっていて、それに関する集会も数多く開かれているようだ。
――――クレナはソラに吸収されるのだ。
――――いや、紫がクレナとソラを飲み込んで新国をつくるにちがいない。
――――クレナは存続する。コトリ姫が王になるだろう。
様々な噂が飛び交っているようだが、実のところ正式には何一つ決まっていない。全ては、コトリとカケルの帰還後になされる関係者の話合いで、見えてくることだろう。
「サヨ。あの二人を香山まで迎えに行かないか?」
「そうね。ソラと話合いをするにも、良い場所でしょうし」
ミズキは、サトリとマツリに連絡し、香山の離宮を使いたい旨を申し出た。そして、共に今後の話し合いに参加してほしいと願い出たのだが、二人ともミズキに一任すると言う。もはや王族という身分に未練が無いのは、コトリだけではなかったらしい。
そうしてサヨ夫婦は、支度してすぐに出立することとなった。
道中は、都以上の惨状を目の当たりにすることとなる。
道すがら集めた話では、クレナの地方にも帝国人、もしくは帝国の息のかかった者達が潜んでいて、現地の村人との衝突が絶えないというのだ。
幸い、各地の社の御神体のシェンシャンなどは、姫空木殿を通じて都から返却されていたのと、社総本山からソラの紅社から譲り受けた鏡が届いていたので、農作物の育ち具合も良く、食うものには以前ほど困っていないらしい。ソラ製の神具も、紫経由で多くもたらされているので、帝国人一掃に役立っているようだ。
しかし、火事場泥棒と言おうか、どさくさにまぎれて盗賊紛いの犯罪をする者もいる。香山付近になると、マツリ主導で改良された新兵器で、手際よく捕縛に至っているようだが、これではクレナとソラの統一後もしばらくは厳重に警戒した方がよさそうだ。
「そこまでみすぼらしい格好をしているわけでもないのに、盗みや略奪をするなんて」
馬車の中、サヨは眉をひそめる。
「多少暮らし向きが良くなっても、人の欲には際限がない。食い物が満たされれば、次は良い物を着たいと思う。次は、もっと大きな家に。物も欲しくなる。一方で、働きたくなくなる。それでいて、名誉も地位も、家族も欲しいとなるわけだ。生きてる限り、人間なんて欲の塊以外にはなれないだろうよ」
「そうかしら。皆、それなりに満たされるということを知って、ささやかな幸せにもっと感謝すべきだわ」
おそらくそれは、大抵のことを満たされた経験のあるサヨだからこそ、そう思うのだろう。ミズキは、これだからお貴族育ちはと思いつつ、サヨの言にも一理あると感じて、頷いた。
「この調子で今のクレナ王家が解体されても、また別の問題が起きて、新たな国は様々な判断に迫られることとなるんだろうな」
結局のところ、いつになっても世の安寧の決め札なんて出てこない気がするのである。
少しでも生活を良くしたいと思い、自身を鼓舞して立ち上がってから、もう随分と時が過ぎた。なのに、見えてきたのは答えのない問いと、終わりのない不満と苦しみ。
やはり、信じられるのは愛する人と、神の存在だけなのか。
ミズキは、サヨの肩を引き寄せた。
◇
同じ頃、またもや何者かが火をつけたのか、王宮の一画は焼け出され、燻った黒い煙がゆらゆらと地面を這うようにして広がっていた。
それは、ハナ達が隠れている場所にも、流れ込むこととなる。皆、激しく咳き込んで、顔色はさらに悪くなっていた。
「そろそろ別の場所に移りませんか」
侍女が尋ねると、ハナは癇癪を起こして平手打ちにて応える。さすがの侍女も、穴ぐら生活で精神を病み、さらには神具による仕打ちも受けていないことから、他の女達からの妬みも買っていて、文字通り死にそうな状態にある。
「今更どこへ行けばいいのよ?!」
ハナに怒鳴られても、うなだれるしかない。確かにその通りなのだ。ハナの実家の屋敷も、もう流民達の手で原型を留めぬ程に壊し尽くされていて、親戚筋に連絡をとろうにも手立てはなくなっている。
都は、紫の布を持つ者で溢れかえり、完全に孤立しているのだ。
「ですが、このままでは死んでしまいます」
ハナ達は、怨念の籠もった曲を演奏するばかりで、治癒の奏ではほとんどしていない。故に、彼女達の受けた傷はまだまだ治っていないのだ。これ以上不潔な地下に居れば、あと数日以内にも初めての死者が出るだろう。
その時、地下の入り口に人の気配がした。
ここを出入りするのは、ハナの侍女ぐらいのもの。最近はカヤもずっと地下にいるので、他に心当たりはない。皆、一斉に緊張した面持ちになる。
「誰か!」
そう侍女が叫んだ瞬間、暗がりは神具による白い灯りで照らし出された。皆眩しさのあまり、よろけそうになる。そして、ようやく目が慣れてきた頃、あまりにも場違いな人物の存在に気づくのであった。
「正妃様、こんな所へ何の御用ですか?」
ハナは、園遊会の際に受けた仕打ちを忘れてはいない。力いっぱい睨み返すも、正妃はつまらなさそうな様子で、変わり果てた女達を見渡すだけである。
「助けてやろうかと思うたが、要らぬ気遣いだったようだな」
そして踵を返したのだが、高貴な衣に縋りついた者がいた。
「いいえ、とんでもございません! お願いです。ハナ様をお救いください! 何でもしますから!」
カヤだ。ハナが今更頭を下げられないはらば、自分がするまで。何事を成すにも、命あってのことである。必死に頭を地面を擦り付け、助けを求めたのだった。
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