第121話 神からのお告げ

 年が明けた。クレナの王族は、揃って香山の関近くの宮に滞在している。


 コトリは陽の光が差してくる前には起き出し、禊をした。凍え死にそうな思いをするが、その後に羽織る真新しい衣の着心地は格別だ。彼女の肌と同じく、どこまでも滑らかな絹なのである。


 化粧などの身支度も終えると、簡単な食事を口にして、宴が行われる広間へ向かう。この広間は二面に分かれていて、中央が御簾で区切られており、クレナはいつも東側に入る。


 サヨと共にいられるのもここまでだ。コトリは自身のシェンシャンを携えて、与えられた座所へおさまった。見ると、他の男兄弟も既に準備ができているようで、思い思いの格好で座っている。だが、やはり会話は無い。


 しばらくすると、王もやってきた。付き人に誘われて、張台の中に座す。すると、見計らっていたのか、宮付きの役人がやってきて新年を慶ぶ言葉を発し、重く立ち塞がっていた御簾が引き上げられた。


 コトリは、カケルと思しき姿を向かい側にある張台上に見た。当然、互いに被り布をしているため顔は見えないが、それでも近くに居ると思うだけで、全身が熱くなる。


 新年の宴が、始まった。


 まずは両王から型通りの挨拶。続いて、すぐにコトリの出番がやってきた。シェンシャンの奏でである。


 この日、この時のために存在すると思われる特別の旋律は、新年たる風をクレナとソラ、全土に吹き渡らせるために必要なもの。この風にあたると、土地や人々は清らかに浄化され、ふっと清々しい年の始まりを感じることができるのだ。


 コトリは、父親がこちらを気にしているような気もしたが、気づかぬふりをしてシェンシャンを構える。


 サトリに頼んで以前使っていた国宝のシェンシャンを持ってきてもらっても良かったのだが、コトリは敢えて、ソウに創ってもらった物を選んだ。この胴の部分に描かれた紫陽花柄が見えれば、カケルもあの日の楽師がコトリなのだと確信を持ってくれるのではないかと思ったからだ。


 コトリが弾片を手にする。既に辺りは静謐な空気に包まれている。コトリの目には、大量の神気がシェンシャンから溢れ出て、広間の足元が雲海のようになって見えていた。


 これは、神の気配であろうか。いつもよりもシェンシャンが重く感じられながらも、緊張の一瞬を迎える。


 シャラン。と弦を弾いた。

 その時――――。


『ようやく会えたな』


 シェンシャンから高圧の霧が吹き上がり、視界全てが白く染まったかと思ったのも束の間。目の前に現れたのは、年齢不詳の二人の女。手前は白く長い髪を床にまで垂らし、これまた真白な衣の上からさらに薄衣を纏っている。瞳は紫だ。


 もう一人、少し奥まった所に佇むのはコトリ自らを彷彿とさせる面差しの美女。髪の色は紅で、片手にはシェンシャンがある。もう一人と同じく白装束なのだが、手前の女に比べると少し俗っぽさを感じさせる雰囲気があった。


 これだけの要素が揃うと、コトリでなくとも女達の正体が分かってしまうだろう。


「ルリ様に、クレナ様」

「いかにも」


 ルリは威厳たっぷりに微笑む。クレナは小さく頷いた。


「ようやく相対できたな。今は、時を止めて、別の空間に呼び出しておる」


 これは、かつてウズメやククリと会った時と同じようなものなのだろう。何度目かになれば、コトリも狼狽えたりはしない。


「さて、コトリ」


 神とは、かなり一方的な喋りを好むらしい。コトリは、王女らしく季節の挨拶から始めるべきかと思っていたが、この場を支配しているのはルリ神だ。


「早速だが、そなたは、なぜ未だに気づかぬのだ」


 なぜか叱られている。コトリには、何の話だか分からない。ルリ神を直接怒らせるようなことはした覚えが無いので、尚更だ。


「あの男がそなたとの縁を望み、クレナもそれを後押ししたからこそ、私はそのシェンシャンを住処としたのだ。なのに、そなたと来たら」

「ルリ様」


 そこへ飛び出してきたのはクレナだ。苛ついた様子のルリは、目線だけを一瞬クレナへ遣った後、あからさまな溜息をつく。


「分かっている。私は、全ての民の願いや想いの象徴。これ以上一人の娘だけに肩入れすることは許されぬ。しかしだ」

「私からもよろしいかしら?」


 ルリが肯首したので、今度はクレナが前へやって来た。


「まずは、御礼を。私の子孫であるあなたが、ソラの子孫を愛し、身を切る想いで願いを叶えようとしていること。大変嬉しく思います。私達は、共に在ることができなかった。故に二国に別れてしまい、決定的な歪みも起こしてしまったの。でも、あなた方が一緒になれば、いずれ全ては元通りになり、ルリ様も心安らかに過ごせるようになるでしょう」


 コトリは、理解が追いつかず、ただただ聞いたことを記憶するだけで精一杯である。


「訳が分からない、のよね? 今はそれでいいわ。でも、これだけは覚えておいてちょうだい。あなたには神気を呼び寄せる力があると同時に、あなた自身も神と並ぶぐらいの神気を纏う存在であることを。本当は、もっともっと実力があるのよ。それを上手く使って」

「シェンシャンをもっと練習すれば、カケル様とのご縁が強くなるのですか? そもそも、神気とは何なのでしょうか」


 神気は神から発生するものだと思っていたコトリ。それが自分からも出ているなんて、信じがたいことなのだ。


「もちろん神気とは、神の力の一部が目に見える形になったものね。でも、元々は、全ての見えざる力が大本になっているのよ。その人や、その物が持つ可能性、潜在能力、運命。そういったものが靄のような形で具現化しているわ」


 言われたものの、コトリは首を傾げるばかりである。ルリは、おかしそうに笑い始めた。


「何、無理に理解せずとも良い。それだけ、そなたには様々な役目があり、それらを成し遂げられるだけの力が眠っているというだけだ。今後、まだまだ多くの災難がふりかかることだろう。それらを退け、切り抜けるのは、全てそなたの心構えにかかっている」


 不穏な予言にもとれる言葉である。これでは、不安になったら良いのか、安心したら良いのかも分からない。だが、打開策はありそうだ。コトリは、自然と心が凪いでいくのを感じていた。


「そうですか。道は険しくとも、私はカケル様のことを諦めずに済むのですね」


 かなり遠回しではあったが、神二人から太鼓判を押されたのは大きい。ふつふつと嬉しさが込み上げてくる。


「我々は、いつも傍にいる。そなたの願いが叶い、国が再び一つとなり、『あわのいわたて』が元通りになる時、ようやく民に本物の恵みが訪れるだろう」

「コトリ、私の子孫。ずっと応援しているわ」


 その言葉が最後であった。すっと視界が白んで、元の広間が姿を現す。


 中央に見えるのは、ソラの王、カケルが座す張台。コトリの視線が真っ直ぐにそれを捉える。被り布を破いてしまうのではないかと思うぐらい、真摯な眼差し。あれは、もはや、届かぬ憧れの対象ではない。ずっとずっと自分を支え続けてくれた男を、本気で欲しいと思った瞬間だった。


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