第108話 その後のソラ
ソラ国。王宮内は、随分と静かになった。アグロによる王殺しの一件から、嵐のように日々が過ぎて、ようやく日常と思しき空気が漂い始めている。
カケルは、自分の住まう宮にある広大な庭を前に、ほっと安堵の溜息を漏らしていた。
長きに渡ってクレナに滞在し、神具師としての仕事の傍ら、商人の成りをしていた彼にとっては、少々堅苦しく、辛い事ばかりだったのだ。
別れを惜しむ間も無く、突然殺されて身罷ってしまった父。未だに実感が湧かないまま即位式が行われ、流されるがままに王座へついてしまった。
正直、王として政をせよと言われたところで、何から始めれば良いか分からない。
とりあえず今は、クロガの旗振りで、アグロの手下共を虱潰しに探し出し、片っ端から捕らえて地下牢へ押し込んでいる。
ソラの貴族社会も、勢力図がすっかり塗り変わってしまった。次に台頭するのは誰なのか、誰につけば利益があるのかという駆け引きが、水面下で繰り広げられている。
そんな中でも、特に私利私欲を滾らせた悪徳貴族共については、カツの手の者達が全力で調べ上げている。彼らは夜の闇や昼間の光の中に溶け込むようにして生きているため、神出鬼没だ。時に弱みを握って脅し、時に餌をぶら下げて罠を張り、何人も新王の時代の妨げにならぬよう、きめ細かな調略が進んでいる。
こうして兄弟達によって篩にかけられた、真に信頼できる者のみが、新王カケルと面会することができるのだ。
とは言え、国における暗い部分を完全に消し去ることはできていない。クレナとは異なり、帝国圏と接するソラは、外国人も少なからず流入している。ソラの戸籍を持たない彼らの管理は決して上手く行っているとは言い難いのが現状。それでも、クレナのような民の暴動は起きていないし、地方へ行っても新王の即位は概ね好意的に受け入れられている。
これも、カツとチグサが糸を引いている瓦版が、功を奏しているのだろう。民は、王を殺めてソラという国を乗っ取ろうとした宰相を懲らしめたのは、カケルとカケルの神具の貢献あっての事と信じて疑わない。
実際はチグサのお手柄とアグロの自滅が導いた結果なのだが、カケルは評価が可もなく不可もなくといった元放浪王子である。神具師としての力量はあっても、民が必要としているのは王としての手腕。そういった意味での功績がほとんど無い彼の場合、この程度の神輿か下駄は、地盤固めのために、どうしても必要だったのだ。
さらには、クレナの琴姫コトリと相思相愛との報があったことも大きい。喪中期間にも関わらず、婚儀はいつになるのか、その際に王家へ奉納する神具はどこの職人が担当するのかといった噂が駆け巡り、既にお祭り騒ぎなのである。
カケル自身も、商人として磨いてきた話術や交渉術を武器に、様々な貴族と渡り合い、政権の基礎固めは慎重かつ丁寧に行ってきた。何しろ、ここを間違えれば、安心してコトリを娶ることができないのだから。
理由はともあれ、驚愕的な速さで実質的な権力と権威を手中に収め、大きな混乱もなく政を再始動させられたのは、かなり優秀と言えよう。これまで国の屋台骨だと思われていた宰相を突然失くしたにも関わらず、だ。
今や、誰もがカケルを王として崇拝しているのである。
しかし、本人は真実を知っている。今、この地位にあるのは、自身の力ではない。兄弟達の努力や執念、協力があってこそのものだ、と。
中でも、クロガは兄に甘い。どうせカケルは、クレナへ戻り、ソウとしての生活を希望しているだろうと踏み、自ら王の影武者になることを申し入れてきた。
カケルからすれば、自分よりもクロガの方が王の器である。しかし、本人は「王は、長男である兄上です。それに私は、コトリ様に見向きもしてもらえなかった負け犬ですから」などと宣う。そして、王族は皆被り布をして素顔を晒さないのを良いことに、早速カケルの代わりにキリキリ働いているのであった。
ではカツはというと、いつの間にか存在していた彼の腕利き配下軍と共に、さっさと国境付近へ向かってしまった。神具の材料集めと共に、帝国圏からの介入を牽制するためである。
仕方なくカケルは、唯一王宮に残ったチグサを労うべく、茶会に誘ったのであった。
隅楼から辺りを眺める。
庭の大きな池には、美しく色づいた木の葉がはらはらと舞い降りていた。それらは、小舟のように流れていったかと思えば、すぐに岩陰へ消えてしまう。時折ひゅっと吹く風も、涼しいというよりかは冷たい。秋の物悲しさが、カケルの衣を揺らしていた。
侍従達が、茶会の支度を終えたようだ。カケルは彼らを遠ざけると、改めて目の前に座す妹、チグサへ向き直る。まだ何も言っていないのに、早速くぐもった笑いが返ってきた。
「また、コトリ様のことを考えてらしたのでしょう?」
なぜ、見抜かれたのだろうか。ここはカケルも気に入っている場所だ。いつかコトリにもここからの景色を見せてやりたいと思っていたところだった。
「コトリのことを考えていない時なんてないよ」
チグサは一瞬真顔になったが、ゆるゆると首を振りながら溜息をついた。
「コトリ様もコトリ様です。お兄様のどこが良いのかしら?」
カケルからの話、カツが手に入れた情報を繋ぎ合わせると、コトリは自らカケルの元へ来たいと願っているのは確かだ。ようやく兄の恋が実ったのは、大変喜ばしい。カケルが人生をかけてコトリを想っていたことは、よく知っているだけに感慨深くすらある。
しかしだ。コトリと同じ女であるチグサには、いまいちピンと来ない部分がある。何せ、カケルは王らしくない。
「やはりコトリ様は、兄上が王座に就くことを見抜いておいでだったから、慕うようなフリをなされたのではないかしら」
今度はカケルが真顔になる番だった。
「殿方に必要なのは、甲斐性ですわ。ゆったりシェンシャンを弾いて過ごす日々を送るためには、そういった頼りがいのある方が良いと思うのは当然でしょうね」
「つまり、コトリはソラの王だったら、誰でも良かったということなのか?」
チグサの言葉は、まさに青天の霹靂であった。
「兄上がどれだけコトリ様を想っていらっしゃるかなんて、私は知っておりますけど、コトリ様はまだご存知ないのでしょう? 顔も見えない、数える程しか会ったことがない、同じくシェンシャンを好んで嗜むでもない。数ある殿方の中からわざわざ兄上を選ぶ理由も、きっかけも、どこにも無いのです。となれば、せめて王らしく仕事に励むより他ありませんわね。王たる器が無いと判断されれば、離れていってしまうかもしれませんもの」
頭の中が真っ白になる。カケルの喉は、すっかりカラカラに乾いてしまっていた。
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