第86話 サトリへの相談

 それから数日後、王宮内。美しく整えられた中庭を望む宮で、クレナではそう見られない身なりの者達が、乾いた音を立てて拍手していた。


「ご苦労。我が帝国には無い節回しの楽曲ではあったが、およそそれが美麗であることは理解できた」


 そう宣うのは、黒のジャケットに橙のスカーフをつけた髭の男だ。彼らから十歩先には、シェンシャンを携えて静かに平伏す乙女達がいる。


「そう地面に這いつくばらなくとも良い。顔を見せよ」


 クレナの作法では、自らより身分の高い者をむやみに見てはならぬという掟がある。だが、此度の客、帝国の男達には、それが奇異に映るらしい。仕方なく、新人楽師三人は、たおやかに頭を上げた。


「これまた可愛らしい少女ばかりだな、サトリ殿」


 話しかけられたサトリは、髭の男に向かって頷いた。


「我が国の楽師は、演奏をとっても、見目をとっても、他国に引けを取らないものと思っております」


 髭の男は、なぜか小さく笑ったが、座卓の上にあった菓子盛りの皿を少し奥へ押しやると、両隣の男達に目配せをした。


「そろそろお時間ですね」


 サトリが立ち上がると、帝国の三人も立ち上がる。


「使者殿は、あちらの女官が案内させていただきます」

「次は、王との話か」

「はい」

「夜は宴を催してくださるとか?」

「えぇ。妓女も呼んであります」

「それは楽しみだ」


 帝国の人間が、盛大に床板を軋ませながら廊下の彼方へ去っていく。それを部屋の端に行儀良く並んで、コトリ、サヨ、ミズキの三人は見送った。


「お疲れ様だったね。三人とも」


 サトリは、疲労の混じった溜息をつくと、新人楽師達に向き直る。


「いえ、兄上こそ」


 コトリが、柔らかな笑みを返した。

 もはや、ミズキにも正体が明らかになっている今、王家の末娘として振る舞うことができるのである。


 するとミズキが、先程までの取り繕っていた美少女の皮を脱ぎ捨てて言った。


「最後、あの髭面の男、私達をじろじろ見すぎだったよね。気持ち悪い」

「もしかしたら、コトリ様の顔を覚えておこうとしていたのかもしれない」


 サヨも彼らの不躾な視線に気づいていたらしく、眉をひそめている。


「おそらく、それは正解だろうね。突然、新人楽師に接待をさせると言い出したのは父上だから」


 サトリの解説に、コトリも苛立ちを隠せない。


「父上は、私の帝国への輿入れを全く諦めていなということね」

「むしろ、帝国との繋がりを隠さなくなってきたことの方が危険を感じるね」


 これまで二国は、あくまで水面下での調整を続けてきたのだ。それが、昼間から大っぴらに接待までするようになるとは、クレナ王の企みが別次元に進んだことを意味するのかもしれない。


「それはそうと、我が妹は元気だったかい? なぜか同期の楽師には身元が割れているようだけれど」


 これには、コトリも言い訳しようが無い。サヨに至っては、明らかに狼狽しているので、妹の苦笑いと一緒に鑑みると、おおよそのところを兄は察してしまうのである。


「えぇ。お陰様で病も無く、過ごしております。兄上も恙無くお過ごしでしたか? 文もほとんど出せず、不義理をしておりました」

「こちらは相変わらずの忙しさだよ」

「左様にございますか……実は、折り入ってご相談があるのです」


 幸いサトリには、すぐに次の仕事が入っているわけではなかった。もちろん文官長として読まねばならない書状や、下さねばならない判断は山積みなのだが、今夜も部下と共に明るくなるまで執務室に籠ればいいだけのこと。今は、久方ぶりの妹のおねだりに付き合うこととした。何しろ、このようなきっかけでもない限り、顔を合わすことすらできない間柄なのである。


「いいよ。話してごらん」


 立ち話というのも落ち着かない。サトリは、少女達に座るよう促すと、自らも座って人払いをした。部屋に控えていた全ての下女が遠ざかっていくのを確認すると、コトリが躊躇いがちに口を開く。


「兄上は、今でも姉上とお会いしたいとお思いですか?」


 次の瞬間、サトリは大きな音を立てて立ち上がったかと思うと、突進するような勢いでコトリに詰め寄った。


「……生きているのか?」


 サトリの瞳が期待に染まって、揺れている。


「はい。先日、偶然お会いする機会がございました」


 答えたのはサヨだ。身分上、通常ならば王子相手に直答するなどもっての外だろうが、今は許される自信があった。


「それは正確には、いつ? どこで? お元気なのか?」

「落ち着いてくださいませ、兄上。詳細をお教えするのは、私達の相談を聞き届けていただいた後にございます」


 サトリが、異常に姉、ユカリを慕っていることは、王宮内周知の事実。コトリはそれにつけ込んで、紫の作戦にサトリを巻き込むことを思いついたのだ。


 コトリは、サヨから伝え聞いているミズキ達の組織の話、暁の存在、紫の誕生、今後の活動について淡々と説明した。


「このように、私達はいずれ父上を討つべく動いております。兄上も力を貸してくださいませ」

「随分と大きく出たな。しかも王宮で話すなど、身の程知らずもいいところだ」


 指摘されたコトリは肩をすくめたが、怯む様子は無い。これは、いずれ紫がクレナを盗った際、王家の人間であるサトリの身を助けることに繋がる一手なのだ。コトリにとってサトリは、これまでも自分側の人間だった。みすみす失いたくはないのである。


 サトリは苦笑を噛み殺しつつ、暫し思案に耽った。


「これはあくまで戯れ言と思って聞いてほしい。僕は、末の王子で、王家の中では最も面倒くさい仕事を押し付けられた上、肩身が狭い。故に、正直言って、個人としての力はほとんど無い。だが、国中の文官を束ねる長としては、大きな権限と実行力を持っている」


 コトリ達は、全身を耳にして、話に集中した。


「その中で、常日頃からの不満、例えば、王の横暴で身勝手な政や、人を見下すしか脳の無い長兄への恨みが募って、既に好きなことを少しずつさせてもらっている」

「それは、どのような?」


 うっかりコトリが口を挟んでしまったが、サトリは気を悪くしなかったようだ。


「取り立てた税の一部は、地方の蔵に備蓄して、有事に備えるなどといった、可愛らしい小さなことなどだな。そのために、地方の役人との繋がりを強めるため、都から人を遣ることも増えてきた」


 ここで、サトリは据わった目のまま、口角だけを上げる。まるで悪人のように。


「その中に、実は都の文官ではない者を混ぜたり、伝える文の中に、少々関係の無い事を書いておくこともできるわけだ」


 つまり、都の文官お墨付きの場で、紫の人間と地方の役人を引き合わせることができる上、紫の志や情報を、地方へ運ぶことができるということだ。

 ミズキは、知らずと自らの拳を握りしめていた。


「ついでに言っておくと、僕は、民がこれ以上苦しまないように、税を軽くするよう王に進言し続けてきた。なのに、このザマだ。次期王と目されている兄の無能っぷりにも嫌気が差している。息子としても、弟としても、そして一民としても、そろそろ見放しても良いのではないかと思っていたところだ」

「……兄上!」


 それはもうほとんど、紫に賛同すると言ったも同じなのである。コトリは感極まっていた。しかし、サトリは冷静なままだ。


「でもコトリ、王は国の象徴だ。そして、国は、民の人生を丸ごと受け入れる方舟だ。王を消すと、国も消える。日頃は何の役にも立たない国も、無くなるとそれはそれで人々の生命を脅かす」

「でも、もう皆が限界です。やっと、民の中からも勇気を出して立ち上がる者が現れ始めました。今こそ、この機運に乗るべきだと思うのです」

「それは分かるよ。だから、きちんと国を滅ぼす責任を取らなければならない」

「責任? それは、どうすれば」


 ここでサトリは、コトリだけでなく、サヨ、ミズキにも目を合わせた。


「国を作るんだ。新しい国。シェンシャンの音に守られた、紫雲棚引く神の国は、きっと帝国を凌駕する」


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