第78話 マツリの選択

 マツリは、かつてない程に疲弊していた。


 彼はクレナで唯一の軍隊、蘇芳軍の大将でもある。常日頃の調練の指揮だけでなく、時折行う地方までの行軍と本番さながらの模擬戦、そして日課となっている自らへ課した厳しい鍛錬。何度も死線を超えて、その向こう側にある生の極地をぎりぎり踏ま外さずにやり過ごし、もはや心身は研ぎ澄まされた刀の如き鋭さと苛烈さ、さらには悟りを手にしているつもりだった。


 なのに、この徒労感、否、敗北感にも近い無念さと失望は何なのだろうか。その理由に心当たりはあるものの、マツリは直視しづらい現実に頭を悩ませていた。


 地方にある貧しい村々の王家に対する一斉蜂起。


 王の圧政へ反旗を翻す者が出るのは、これが初めてではない。大抵は、王よりもその下にいる役人の汚職や横領が原因で、民が困窮し、それに反発するという図式だ。民は殺さず、かつ富も持たせずといった絶妙な力加減で絞り上げ、税として作物や布、特産品を納めさせ、兵役も課すというのが王家の方針。王家よりも、役人に恵みが集まることは許されない上、民が死ぬところまで追い詰められて税が集まらなくなると本末転倒だ。


 故にマツリは、まず問題の役人共を始末し、抵抗が酷すぎる民は蘇芳軍によって鎮圧するといった形をとる。こういった、王家として真っ当な大義名分がある場合は、何も気負わずに刀を振るい、指揮をとることができた。


 しかし、今回は違った。


「私は、何のために、何と戦っているのだろうか」


 マツリは全てが分からなくなりそうだった。


 事の発端は、妹のコトリが社総本山で行われた祭で、シェンシャンを披露したこと。民に向けて演奏したのは初めてではなかったが、大神官スバルによる演出も手伝って、庶民から貴族に至るまで、幅広くコトリの人気がかつてない程にまで高まってしまった。もちろん、それは王やワタリを有に凌ぐものであり、中に次期王にコトリをと叫ぶ声まで聞こえるようになってしまった。


 この話は王宮内にも駆け巡る。もちろん王の耳にも入ることとなり、怒りの末、シェンシャンを御神体とした社がある地方の村を三つも焼き討ちにしてしまった。完全なる腹いせである。


 さらには、ワタリがこれに続いて各地の社に納められている御神体の鏡や楽器も強奪し始めるという暴挙に出始めた。


 ここまでくると、学のない庶民でも分かる事がある。

 この国の行く末は、暗黒である、と。


 王とワタリの非道な行いの報は、風のように各地へ広まっていった。次第に、各村は兵役に男を出さなくなり、代わりに自衛団を結集するようになる。そして、中には村に在中する役人や村長を倒し、武器を片手に都を目指す輩も見られるようになってきた。


 マツリは、それらの制圧に駆り出されていたのである。


 マツリは幼い頃から武を嗜んできた。刀の振るい方、弓の引き方を習ったのは、彼の叔父からだ。叔父は、兄である王に疎んじられて罠にはめられるようにして死んだが、生前はマツリの良い師匠であった。


「お前の剣は、国のためにある。つまり、民の暮らしのためにある。何のために戦うのか、何と戦っているのか、常に見極めよ。それが分からなくなった時、お前はただの修羅にして、ただの殺戮兵器となる」


 マツリがかなりの腕前になった時、叔父からかけられた言葉だ。ワマツは、これをずっと肝に銘じてきた。しかし、ここに来てそれが揺らいでいる。


 本来王家は、民が最低限の暮らしができるよう、国という枠組みや規則を作り、外敵から守るという役目を負っている。そして民は、国を形作る無数の細かな部品である。それら部品が欠けては、国という体裁が無くなってしまう。つまり、王家は無闇に民へ向かって弓を引いてはならないはずなのだ。だが、現王と兄、ワタリは――――。


 親や兄の尻拭いをせねばならない、というのは納得できずとも我慢はできる。けれど、守るべき民に剣を向けねばならないのは、どうしても理解ができなかった。


 結局は父王に屈して、言われたとおりに村々を制圧し、多くの死体の山を作り上げてしまったのだが、それでも解せないものは解せないのだ。


 今回は、来たるべき帝国との戦のために備えて誂えた、新兵器が活躍した。しかし、マツリは思うのである。

 まだ来ぬ外国よりも、恐ろしいものがあるのではないか。本当の敵は、中なのではないか。きっぱりと言ってしまえば、父なのではないか、と。


 そんな折、久方ぶりに菖蒲殿から文が届いた。三女のサヨとの茶会に呼ばれたのだ。


 かの家は、実務にあたっている文官を中心に、その勢力を広範囲にもっているため、王宮でも一目置かれる存在ではあるが、特別王の覚えが目出度いというわけではない。おそらく、マツリを通じて兵部にも影響力を持ちたいと考えているのだろう。


 マツリとて、妙な女に言い寄られるよりかは、民や国のために汗を流している家と繋がりをもつ方が良い。マツリのすることに余計な手出しをしてこない女とそれらしい関係を築いておくことも、隠れ蓑として便利なのだ。


 しかし、この時期に接触してきたのは、どういう意図だろうか。マツリとしては、もう流されるままに菖蒲殿へ取り込まれてしまうのも一興かと思えるようになっていた。


 王や兄の顔色を伺うのにも疲れた。民のために振るっていたはずの剣も、すっかり穢れてしまった。ならば、本当に国のことを考えていそうな人物と手を組むのも一つかもしれない。



 ◇



 マツリは、菖蒲殿へ赴いた。その茶会に当主が同席していたのは、初めのうちだけで、すぐに二人にされてしまう。サヨの様子は、見るからにおかしくなってしまった。


 マツリは、勘というものを大切にしている。その勘が、何かを訴えていた。


 マツリの経験上、こういう時の勘こそよく当たる。そして、当たってほしくなかった事が当たって、困ったり残念だったりする事態になる。それが分かっていても尚、何も口にせずにいるのは愚策だと思った。だからこそ、敢えて口にしてみる。


「サヨは、他に男ができたのか」


 サヨの顔は俯いたままで、はっきりと表情は見えないものの、明らかに狼狽しているようだった。


「決して責めているわけではない。我々は、正式にそういう間柄ではないのだから」


 ワタリはその屈強な体格から、女に怯えられることも多い。気づかぬうちに威圧的にならぬよう、サヨを慮って優しげな声を心がけた。しかし、サヨは縮こまったままだ。


「私に、やましい事は何もございません」


 サヨが真面目な女であることは、短くない付き合いの中でワタリも知っている。しかし、何かを秘めているということは、その態度から知れてしまった。


「嫉妬じみた事を言ってしまったな。すまない」

「滅相もないことでございます」


 ワタリは考える。そして、決意する。他人の秘密を暴きたい時は、自身の秘密を先に見せるのが手っ取り早いものだ。


「さて、良い機会だ。一つ聞かせておきたいことがある」


 サヨは、不安そうなまま顔を上げた。


「ここだけの話にしてくれ。私は、これ以上父上と兄上に追従するつもりはない。もし、力になれることがあれば、知らせてくれ」


 近頃、菖蒲殿が、都で広がる新勢力と何らかの協力関係にあることは把握している。妹、コトリを旗頭にしている組織となると、きっとサヨも深く関係しているにちがいない。男がいるならば、そこだろう、とマツリは当たりをつけていた。

 父と兄に振り回されない生き方を選ぶならば、きっとサヨの助けになれる。


「ありがとうございます」


 サヨが頭を下げる。それだけで、以前とは異なる色香を感じた。元々美しい娘でもある。


 マツリは溜息を吐いた。


 知らぬ間に懸想して、知らぬ間にフラレているにも関わらず、知らぬ間に知らぬ男まで助けようとしている馬鹿な自分。呆れのあまり、笑みさえ浮かぶ。

 いつからこんなにも不器用になってしまったのか。その問は誰にも答えられない。


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