第77話 スバルの旅立ち

 コトリがヨロズ屋で過ごしていた頃、社総本山では、スバルが社務所の奥で死んだように横になっていた。


「叔父上。お寂しいのは分かりますが、しっかりしてください。これでは、他の皆様に示しがつきませんよ」


 声を荒げているのはヤエである。コトリが鳴紡殿に帰って数日。スバルは無気力どころか、魂が抜けたような体たらくなのだ。


 ヤエは、コトリに扮するために豪華な衣を着込んでいる。御簾を垂らした部屋の中にいるので、まず偽物とは気づかれることはないだろう。ただ、語気の強さと、忙しなくはためかせる扇の動きだけは、どう見てもコトリらしくはなかった。


「だいたい、ここはコトリ様のお部屋ということになっているのです。女人の部屋で横になるなど、不届き者として神罰が下るかもしれませんよ」

「神も、これには理解してくれるはずだ」


 スバルはそう言いながら、少しひんやりする床板を愛おしげにそっと撫でる。ここに、つい先日までコトリが座していたと思うと、自然と特別感が湧き出てくるのだと説明するが、ヤエにはうまく通じなかった。


「コトリ様は、王とのお約束がありますから、季節に一度は必ずここへお戻りになります。夏と秋の分はもうお役目を果たされたでしょうから、次は寒くなってからかもしれませんが」

「遠いな」


 スバルには、気休めにもならなかったようである。ヤエは深いため息をつくと、ついにこう言い放つ。


「ごろごろしていても、コトリ様はしばらくここへはお越しになりません。それよりも、もっとコトリ様のお役に立てそうな事を考えてくださいまし」

「そうだな」


 スバルは、コトリと過ごした夏の日々を振り返るのは止めにして、ようやくその身を起こして居住まいを正した。


「では、しばらく私はクレナを留守にしようと思う」

「は?」


 スバルは、驚く姪に微笑みかける。


「お前も知っているだろう? 昨今のクレナは物騒になってきた。社と王家の仲も過去に例のないぐらいに険悪になっている」

「そうですね」


 ヤエは神妙な顔つきになった。

 近頃、地方では、ワタリ王子の横暴さが目に余るものとなっている。各地の文化的遺産を根こそぎ強奪し、それは社の御神体にまで及ぶという。


 もちろん、それだけではない。大勢の取り巻きを連れて動く王子は、村々で贅沢をするために、民から多くの食糧を巻き上げ、時にその地の女にまで手を出して、奉仕させることがあるらしいのだ。


 特に御神体を失った社の周囲では影響が甚だしい。そろそろ収穫の時期だと言うのに、作物は実らぬどころか枯れ果てたり、虫の害に襲われたりしている。これでは、冬を越すができず、飢え死にする者で溢れかえるだろう。


 それでなくても、洪水や山崩れなどの災害で、命が助かっても住む場所を追われ、宛もなく彷徨う流民も発生しているのだ。


 それでも兵役も、税も無くならない。

 人々はついに王家に対して蜂起を始めていた。それは、社が中心となる場合がほとんどで、早速都からも鎮圧の部隊が派遣されているらしいが、死の物狂いの集団はそう簡単に屈しないものである。事態は難航し、ついには王家からスバルへ、社として責任をとるよう通達があった程だ。


「王は、社に忠誠を誓えだとか、責任を取れだとか言ってくるが、笑止千万。社は神を祀っているだけで、何者かを贔屓するようなことなど、あり得ない」

「では、どうなさいますの? 王宮から兵を向けられてしまうのでしょうか?」

「いや、それはすぐではないだろう」


 スバルによると、先に地方制圧の方が優先されるという見立てだった。民が暴れて作物の収穫がままならなくなって困るのは、貴族や王家なのである。物資が滞っては、生活ができなくなるのだから、政治的な矛先が社総本山に向くには、まだ時間がかかるという見通しなのだ。


「それに、ここにはコトリがいるということになっている。もし、ここへ兵が押し寄せたならば、同時に都内外の民も、現在兵が少なくなって手薄になっている王宮に押し寄せてくる。王は危険に晒されるだろう。貴族にも、コトリを推す者は多い。あからさまには敵に回せないはずだ。それに、うっかりコトリが巻き込まれて死ぬとなれば、困るのは王の方だろう。何せ、帝国へ嫁がせたいらしいからな」

「コトリ様さまさまですね」


 祭りで披露された神がかった奏でや、神々を通じた地方の社とのやり取りにより、今やコトリは国中から人々の信奉を受ける存在となっている。さらには、ミズキ達の組織の存在もある。彼女が害されるような展開は、民が黙っていないだろう。コトリは、本人の預かり知らぬところで、大変な影響力を持つようになっているのだ。


「それで、どうして留守に?」

「私は、ソラへ行こうと思う。あちらの都にも大きな社があるからな」

「それって、つまり」


 スバルは、不敵な笑みを浮かべた。


「クレナ王家とは徹底抗戦だ。王には、私が直々に地方へ出向いて各地の争いを収めに行っている、ということにしよう。実際は、ソラへ助けを求めにいく。ソラの紅社は、こちらと古から繋がりが深い故、無碍にはされないはずだ」

「戦力を、ということでしょうか」

「人を大勢連れ帰るのは難しいだろう。すぐに王家へ見つかるだろうし、食わせるのも大変だ」

「では、神具ですね」

「その通り。ソラには実に様々な神具があると聞く。きっと、我らを守ってくれる物に出会えるはずだ」

「そうですね。社は、元々神気が濃い場所ですもの。きっと高い効力が期待できますわ」


 そして数日後、スバルは少ない伴を連れて社を旅立っていった。ヤエはついて行きたかったが、コトリの影武者としての大役を担っている。已む無く断念し、ひたすらに無事の帰還を祈るのだった。


 神職らしくない行動力と、決して他の者の前では見せない人間らしさをヤエの前では顕にする叔父。その気持ちが自らへ向くことは無いと分かっていても、ヤエは密かに想いを募らせるのである。



 ◇



 その頃、クレナ王宮では、ワタリが王から呼び出しを受けていた。


「見せしめは上手く行ったか?」


 先日、残忍な王は、いくつかの村に火を放つ命令を出していた。それを受けたワタリはすぐに手の者を使って実行に移し、文字通りいくつかの村がこの国から姿を消した。


「何がシェンシャンだ。コトリめ、社の祭りなどで出過ぎた真似をしおって。あんな下らない楽器をいつまでも崇拝している馬鹿共は、早く滅ぼさねばならぬ。だが、私は心優しい王である。王に従順になるのいうのならば、命までとることはしないつもりだ」

「はい、此度の事で、寛大な父上のお心が民にも深く浸透したことでしょう。もう誰も逆鱗に触れようとしないはず。そして、父上の代が、ますます発展することは間違いございません」


 行われたのは、罪なき庶民の大量虐殺だ。しかし、王とその長男には、全く悪びれたところがないどころか、完全に自らを正当化し、そんな自分達に陶酔している。そんな二人を真っ向から止められる者は、残念ながら今の王宮には存在しなかった。


「それにしてもワタリ、楽師団がソラから戻ってきたらしいな」


 ワタリは、はっとして顔を上げた。


「はい。これについては、二つご報告したいことが」


 まずワタリは、帝国へ納めるための、見た目にも美しい神具を買い付けることに成功したことを述べた。


「そしてもう一点、念の為にお耳に入れておきたいのですが」

「申してみよ」

「ソラでの奉奏の際に、ソラのカケル王子が、もっと腕の良い奏者はいないのかと苦情を言ったそうです。実は、此度の奉奏には首席の女が参加しておりませんでしたので、それに気づかれたのかもしれません」


 クレナ王は、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「ならば、王子には首席の女でもあてがってみるか」

「確か、アオイという名の女ですね。王子は、簡単に妻として彼女を娶るでしょうか? まず、身分が釣り合うかどうか」

「必要ならば、王家の養子に迎えてから押し付ければ良い。それ以前に、ソラはシェンシャン者を崇めている阿呆ばかりだという噂だ。首席ならば、喉から手が出る程欲しがるのではないか?」

「確かに」


 ワタリは、王の言葉に感銘を受けたかのようにきらきらと瞳を輝かせる。


「さすれば、あの娘もいい加減心が折れるかもしれませんね!」

「その通り。ソラ王家は、元々妻を何人も迎えぬ習わしだ。別の人間と結婚させてしまえさえすれば、コトリとて諦めざるを得ない。つまり、気持ちよく帝国へと嫁げるというものだ。どうだ? 親として素晴らしい気遣いだろう?」

「はい、さすが父上です」


 ワタリは、早速ソラ王家へ向けて文をしたためることにした。


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