第72話 ミロク、村を出る

★今回は閑話的なお話。次話とセットになっていますが、読み飛ばしても大丈夫です。74話からコトリ達が戻ってきます。




 ミロクという男が生まれたのは、都から東に一日歩いた場所にある村だ。農家の六男だが、次男と四男と五男は既に飢餓と病で儚くなったので、実質的には三男である。他に女兄弟も三人いるので、家族は祖父母合わせて十人だ。つまり、どこにでもあるような家である。


 ミロクは体が弱いわけではないが、地道な農作業が苦手である。土と語り合い、草と戯れ、虫と格闘し、花を愛でて、実りに丁寧に感謝を捧げるといった基本的なことができない。これは小さい頃からのことで、いつもふらふらと遊びに出掛けていた。しかし五男ともなると要領だけは良いので、親には真面目に農作業していると思わせることができていたのである。


 そんなミロクがよく村から離れるようになったのは、連れ合いと死に別れて戻ってきた叔母が家を出入りするようになってからだ。ミロクは決して美男ではないが、見る人を安心させるような無邪気さをもった親しみやすい顔である。何かにつけ物理的にも擦り寄ってくる叔母は、齢十七のミロクには気色が悪かった。相手が傾国の美女ならともかく、十人が十人、豚のような阿婆擦れと称するだろう見目なのだ。色目を使うならば、せめて働き者で皆から人気の次男にしてほしいところだが、どうせ届かぬ高嶺には手を伸ばさぬ賢さはあるのだろう。夫を失くして義実家に居座るのは、働き手として使い潰されるばかりで居心地が悪いらしく、あわよくば、ミロクに見初められて仕方なく実家に戻ってきた体を取りたいらしい。そんな見え見えの手に乗りたくはないミロクは、少しずつ近隣の村の目立つ格好をした少年達とつるむようになり、家に帰らぬ日が増えていった。


 親は心配した。なんとか死なずに十七歳まで大きくなった息子は、これから親と長男夫婦を盛り建てるために、身を粉にして働いてくれるはずだったのだ。数いる兄弟の中でも、どこか風変わりなところはあったが、基本的には素直で良い子だったはずなのに、どうして急に、と声を荒げても、若さ故からくる純真たる強い抵抗を受け、ますます家には寄り付かない。ならば、もう敷居を跨がせないと脅したところで、相手は物ともしないだろう。それが分かっているだけに、何もできずにいるのである。


 そんなある日、ミロクは、仲間内の一人からこんな噂を耳にした。都で、世直しをする仲間を集めている者達がいるらしい。しかも、それは王女様が絡んでいるということだった。


 面白そうだ、と思った。


 このまま田舎で燻っていても、何も良いことは無い。こっそり他の兄弟の飯を盗んで腹を満たしたりといった、小汚いことを続けるのにも少々疲れた。叔母にだって、もう会いたくない。ならば、都に行くのも一つだと思えたのである。


 問題は、どうやって都に入るかだった。


 都には東西南北に門があり、ミロクのような田舎者も入ることはできるが、小汚い男などは門の衛士の気分次第で切り捨てられることもあると聞く。しかし、貴族だったり、商人の場合はそのような心配も無いらしい。 


 そこで、ミロク達は急遽商人を名乗ることにした。もちろん商いなんてしたこともない。計算ができる者もいない。しかし、商品になりそうな物が一つだけあった。鮮やかな色の布だ。


 布は高級品である。田舎でも、時折やってくる行商人から買うことができるが、金は無い。遠くの村では女達が自ら布を織っているらしいが、自分達には到底できない技だろう。


 となると、残る手立てはただ一つ。死人の衣を剥ぐことだ。


 人は、裸では死なない。大抵、兄弟のお下がりのお下がりのお下がりだったりと、大変古く、継ぎ接ぎだらけのことも多いが、何らかの物を身に着けているのだ。


 人は簡単に死ぬ。驚くほど、儚く、脆い。昨日遊んだ子が、翌朝冷たくなっているなんて、よくある事だ。そして、ろくに火葬も埋葬もされずに、村の外に放置されて獣の餌食になっていたりする。ミロク達は、これを狙った。死人が腐敗する前に、掠めとるのだ。


 幸い、すぐに驚く量の布が集まった。それ程に、昨今は多くの人間が死んでいるということだ。ミロクは、確かに世直しは必要なのかもしれないと思った。


 集まった布は、川で洗濯してよく天日に干した後、草花や木と一緒に煮詰める。庶民は汚れた白い衣ばかりなので、実に様々な色によく染まった。端が解れて、ざらざらとした手触りであるが、それも朴訥な良さになる。長年の間で染みついた所以の分からぬ黒い染みですら、艶やかな色の引き立て役の柄となっていた。身分の高い者の衣には大きさが足りないだろうが、小物であれば使えそうな美しさと物珍しさになっていたのである。


 もう家には戻らぬと決めた者達が、採集と猟をしながら、ぎりぎりのところで命を繋ぎつつ数カ月。その間に仲間内の何人かは死んだが、ようやく鮮やかな布がたんまりと準備ができた。生き残ったミロク達は、都を目指した。


 都には予定通り、大事なく入ることができた。早速、世直しの集まりとやらを探し始める。こういう話は、裏通りで聞くに限る。ミロク達は布を手に、世間話を装って行き交う人の中から噂好きを見つけては、耳を傾けた。布は商いというよりも、誰かの懐へ入るための道具として働いたのだ。


「これはまた綺麗な色の布だね。ん? いやいや、うちはもっと大きい布じゃないと話にならないから。え? あぁ、それはもう有名な話さ。なんでもコトリ様があたしら下々の民にまで気をかけてくださってるってさ。場所? 確か、白泉通を西に三本逸れた所で、米屋の裏辺りだよ。たぶん、誰かそれっぽいのがいるだろう。あ、あそこは色街が近いから気をつけな。気づいたら引き込まれてて、有り金全部巻き上げられてるかもしれないから」


 ミロクは聞いた通りの場所を探し当てた。人通りはやや少ない。田舎とは異なり、木造の家屋が軒を連ねていて、表通りよりかは貧しそうな者が多い。


「それっぽいって、何なんだよ」


 ミロクは、仲間の二人と共に悪態をつきながら周囲を見渡す。世直しをしようとしている輩の根城は、見る限りでは判別がつかなかった。


 都に入ったものの、もう既に日が暮れかけている。田舎とは違って、勝手に道端で横になって眠るわけにもいかないだろう。腹も減った。水は、どこかの店の裏手の溝で舌を濡らしたが、固形のものはこの二日食べていない。


「どうする?」


 どうしようもない。という言葉を互いに飲み込んだ時、ミロクの背中がぞわっと逆だった。


「そんな所で立ち止まるな。邪魔だぞ」


 振り返ると、商人らしい成りをした男が一人立っていた。その佇まいは上品でありながら、顔つきは野生的であるという不均衡な趣きがある。


 ミロク達は、男を睨み返しながら道の端に寄ったが、ふと思い直して声をかけてみた。


「なぁ、教えてくれ。この辺りじゃ、世直しのために人が集まってるって本当か?」


 立ち去ろうとしていた男が足を止める。


「お前、シェンシャンは弾けるか?」

「誰でも、弾けば音は鳴るだろう」

「弾けるのか、と聞いている」

「弾けないと言ったら嘘になるかもな」

「ならば、ついて来い」


 ミロクは、仲間と顔を見合わせた。視線だけで相談をする。そこへ突然、一人の腹の虫が鳴く。


「行こう」


 これが、ミロクとハトの出会いだった。


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