第69話 ソラの茶屋にて
カケル達がひそりと旅立ち、やがて夜が明けた後。その日は、楽師団の休息日となっていた。皆、待ちに待っていた観光ができるのである。
ここはソラの都。クレナの都とよく似た部分は多いものの、それ以上の活気があり、下々まで行き渡った豊かさに支えられた、目覚ましい文化の発展が体感できる。
例えば、神具屋がやたらと並んでいる。実用重視のものから、部屋に置いて眺めて楽しむような装飾的な物まで扱う品は幅広く、価格帯も様々。土産として購う楽師も多い。
帝国が成す西方文化圏とも近いことから、そちらから流れてきた絵画や道具類を扱う店もある。行き交う人々もどこか洒落た衣を着こなしていて、街全体がどこか浮足立っていた。
他には、手軽に入れる茶屋なども目立っている。クレナにも無いことはないが、男を相手することを専門とし、夜しか営業していない所ばかり。
しかしソラのそれらは、どちらかと言えば女相手の店であり、見た目にも可愛らしい菓子や美容に効くという茶を出していた。元王宮勤めの娘や、子育てを一段落した女達が一流の給仕をしているのも特徴だ。貴族に限らず、田舎から観光でやってきた村娘の類も、団体で雪崩れこんでは、ひとときの非日常とも言える優雅な時間を過ごすのである。
そんな茶屋の一つ。狭い間口から入って最奥にあたる二階の部屋で、クレナから楽師についてやってきた一人の侍女が畏まって座していた。折り目正しく指をついて頭を下げる彼女の向かい側には、やや赤みがかった黒髪をした年配の男がいる。ソラではどこにでもあるような凹凸の少ない顔だ。商人の装いをしている。
さらにその隣にいるのは、金茶の髪をした淡い緑目の男で、気怠げに衣の前を寛がせていた。顔立ちは外国人を思わせる彫りの深い目鼻立ち。ソラ人の感覚では美男で無いにしろ、整った容姿であるのは確かであり、醸し出す雰囲気は色男の類である。
「この文は、お前の主経由でクレナ王へ渡すように」
「かしこまりましてございます」
侍女は黒髪の男から恭しく文を受け取ると、用意していた布でそれを大切に包んだ。そこへ緊張感の無い声が水を差す。
「それでアグロ。俺はいつコトリちゃんとやらに会えるんだ? 美女って噂だったから、けっこう楽しみにしてたんだけど」
宰相アグロは、ジト目で横の男を睨んだ。
「どうやら事前情報とは異なり、実際はシェンシャンが下手な娘のようだ。あまりにも酷いので、此度の遠征について来れなかったらしい」
「それは残念。でも、焦らされると余計に気になっちゃうんだよね。いっそのこと、クレナにまで会いに行ってみようかな」
「余計なことはするな、セラフィナイト」
セラフィナイトは、一瞬おどけたように肩を竦めると、観念したように薄く笑った。
「はい、はい。俺は運び屋に徹しますよ」
そしてアグロの前になんの変哲もない小さな木箱を押し出してくる。アグロは、それで良いとばかりに頷いた。
「いつもの、だよ。この薬をソラ王に飲ませ始めて、もう一年か。まだ元気にしてる?」
「衰弱は順調だ。元々持病のある人だからな。本物の薬にこれを混ぜて飲ませるのは簡単だった」
「それは何より。うちの皇帝もそれを聞いたら喜んで、ついつい欲を出しちゃうかもね」
そう言った途端、セラフィナントは慌てて自らの口を手で塞いだ。アグロが、鋭い視線で威嚇している。
「ソラは、帝国にやらん。クレナへの足がかりとして便宜を図るだけだ。それを忘れてもらっては困る」
「あー、怖い。怖い」
セラフィナントは悪びれた様子もなく、へらへらすると、また別の小箱を出してきた。今度は、向かいの侍女に向かって、それを押しやる。
「こっちは、コトリちゃん捕獲用ね。万一、マリッジブルーで抵抗とかされちゃったら、お茶と一緒にぐびっと飲ませちゃって。効き目は保証するよ」
「ありがとうございます」
侍女は壊れ物を扱うかのように、丁寧に小箱を仕舞った。それを眺めながら、セラフィナントは顎に指を当てて思いあぐねる。コトリという姫は、どのような娘なのだろうか。
帝国の皇帝に嫁ぐ事は、彼の感覚から言って大変名誉なことだ。こんな前時代的な秘境の街に住む者が、帝都の城で最高の生活を送れるようになるなんて、誰もが望むはずなのに。
なぜ、コトリはこの縁談を嫌がっているのだろうか。
アグロによると、彼女はソラの王子に懸想しているらしいが、それはクレナ王に断固として阻まれている。王女ともあろう身ならば、好いた男の元へ嫁げる可能性など無きに等しいと教育されていてもおかしくないのに、身分を捨ててまで反抗するとは、とんだはねっかえり娘だ。
そこまでソラの王子に固執する理由は思い当たらない。はっきりしているのは、帝国へ歯向かうとどうなるか分かっていない浅はかさだけだ。
セラフィナントは見た目に違わず、女には優しい。もしコトリと会える機会があるならば、大人しく輿入れしてきた方が良いと教えてやろうと思っていた。皇帝に興味を持たれてしまった時点で、もう後戻りなど不可能なのだと。
だが、運命の悪戯か、それは叶わなかった。これもまた、その女の運なのだろうな。と、セラフィナントは一人無意味に納得するのである。
「じゃ、今回もお代はアレでよろしくね」
「相分かった」
「そのように主へ伝えます」
アグロと侍女が返事した。
こうして帝国は、クレナとソラの二国から、工芸品を搾取しているのである。
ソラを出し抜くために、ソラ王の死を望むクレナ王。クレナ王と繋がり、実質的にソラを支配下に治め、神具師としての才能の無い自分には政務者としての実力があることを国内外に知らしめたいアグロ。そんな二人に、技術提供という名の薬の融通だけで、二国の宝たる神具を巻き上げ、遠回しに国力を削ぎにかかる帝国。この絶妙な均衡が崩れるのは、もう少し先のことだ。
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