第66話 突拍子もない話

「勝手な事をしないでいただきたい!」


 カケルが自分の宮に戻ると、すぐにやって来たのは宰相アクロだった。


「あんな事をすれば、王が不在であることが明らかになってしまう。今は、クレナに侮られてはならない時期だというのに、取り返しのつかない事をしてくれましたね」


 眉を逆立てて怒るアクロは、まさに鬼の形相だ。そろそろ老人と呼ばれる年嵩の男である。カケルは、あまり興奮すると体に良くないと言おうとしたが、相手の勢いはとどまる所を知らない。


「しかも、あんなことをおっしゃっては、奉奏に文句をつけたも同じ。来年からは派遣されなったらどうするのですか?」

「確かに、それは困るな」


 あの時カケルが言いたかったのは、ただ、どうしてコトリを遠征に連れてこなかったのだ?という遠回しな問いかけだった。おそらくコトリが泣くことになったのは、アオイという女が至らなかったせいだと思うと、ひとこと言わずにはいられなかったのである。


 しかし、言い方が不味かったのは認めざるを得ない。となると、詫び状をしたためて、高級な反物と共にクレナへ送るぐらいしか思いつかないのである。


 アクロはわざとらしく肩を落とすと、未だ被り布をしたままのカケルを睨み返してきた。


「もう結構です。クレナへのとりなしは、私が致しておきますから」

「いつも済まないな」

「いえ、これが私の仕事ですから。政に関してはお任せください」


 一応謝っておくと、以外にもアクロはすぐに身を引いた。若干耳に触る言われ方だが、放浪癖のある王子としては、多少の嫌味は受け流すしかあるまい。


 カケルは、つかつかと歩いて部屋を出ていくアクロの姿を見送った。幼少時代は、もっと優しい穏やかな人物であったと記憶している。


 アクロの家はもとを辿れればクレナの出で、その昔何か功績をあげた際に貴族に召し上げられた家だ。それ故か、ソラ特有の職人気質は無い。


 その代わりなのか、愚直に各地から上がってくる数字や、書物、書状などと睨み合いすることか得意である。たくさんの貴族間の利権争いでも絶妙な均衡を取り計らう才覚もあった。カケルの父は、それを見込んで宰相という職に据えたわけだが、傍目には上手くやっているように見えるので安心である。


 けれども、性格が変わる程、仕事ばかりさせてしまっているのは事実だろう。カケルは、自分なりに何かできる事は無いだろうかと考えながら、儀式の衣装から普通の衣に着替えていくのであった。



 ◇



 カケルの住まう宮の近く、涼し気な池沿いに四阿がある。慌ててそこへ駆け込むと、卓の上には、既に空になった茶器が並んでいた。


「兄上、お疲れ様です」


 カケルよりも少しだけ小柄な男が立ち上がって頭を下げる。


「待たせたな、クロガ」

「先に話は聞かせてもらいましたよ」


 カケルの弟、クロガは、王族らしい品の良い笑みを浮かべた。その向かい側にいるのは、チヒロ。顔色が悪く、今にも気を失って倒れそうになっている。


 クロガも儀式に参加していたが、カケルよりも早く開放されていたので、先に待ち合わせ場所へ来てしまっていたらしい。そこへ、カケル付きの侍従がうっかりチヒロを連れてきてしまい、いきなり王族と庶民が相対するという、とんでもない茶会になっていたようだ。


「チヒロ、大丈夫?」

「あたしには、無理でした」


 初対面の印象とは全く異なる様子。商人相手には、村の顔役として大きく出ることができても、さすがに王族相手となると怖気づいてしまうらしい。


「もしかして、クロガに虐められた?」

「いえ、そういうわけではないのですが、死んだ息子と同じ年ぐらいの子に問い詰められたり、言いくるめられたりするのは……」

「クロガ、何したの?」

「別に? チヒロは中途半端だねっていう話をしてあげただけだよ」


 クロガは、チヒロ達の野望と、暁と手を組もうと考えていること、クレナの現状などを早速聞き出していた。


「兄上も気づいてるでしょ? いくらクレナに腕の良いシェンシャン奏者が増えたって、根本的な解決にはならないことぐらい」

「まぁね」


 カケルとしては、コトリを手駒として悪用しようとしているクレナ王に一泡吹かせるのが目的だ。そのために、ミズキやチヒロ達の仲間に若干の力を与えて、唆しているにすぎない。


「彼らには手を貸そうと思ってるけど、他国であるクレナの世直しを、わざわざ最後まで見届けるつもりはない」

「なんだって?!」


 チヒロが場をわきまえずに、威勢よく卓を叩く。だがカケルは、つまらなさそうに一瞬眉を上げただけだった。


「私はソラの王子だ。そこまで、他国の庶民の将来に責任をもつ義務は無い。荒廃が広がり、民が飢えて、国としての力が弱まっているならば、動くべきはその国の王族だ」


 カケルの言葉は至極最もである。それだけに、チヒロは何も言い返すことができなかった。


「でも、兄上。コトリ様はクレナの王女なんだよ? クレナの民を見捨てて、兄上の所へ来るなんてこと、できるだろうか?」

「そうだな。コトリは優しいし、責任感があるから」


 カケルは、クロガの指摘が一理も二理もあると感じられた。


「確かに、クレナの問題は解決せねばならないか。しかし、それは難儀だな」


 クレナは、富の殆どが都に集中し、恩恵を受けているのは一に王族、ニに貴族。庶民は、平時であれば死なない程度の暮らしができるが、一度飢饉や災害が起きれば、簡単に村単位で消し飛んでしまう。なのに、それらに差し伸べる手はどこにも無い。


 権力は、王と長男であるワタリ王子が主に握っていて、実務は有力貴族と王の他の息子達が担っている。王は、気に入らぬ者は片っ端から排除するため、まともな官吏は残っていない。そして、根本的に人手が足りていない。

 さらに、そういった窮状が隣のソラ国にまで知れ渡っていることも、十分に不味い事態だと言える。


 これが自国であったとしても、改革は簡単なものではないだろう。それが他国ともなれば尚更だ。もし、やり遂げるとなれば、それはもはや他国ではなく、自国の一部としての扱いになりそうだ。


 そこまで話をして、カケルの脳裏に一つの天啓が降りてきた。

 あまりにも、奇抜な策であり、愚かな思いつきかもしれない。けれど、次第に、これも一手だと思えるようになってきたのである。


「クロガ。もし、の話だ。もし、ソラがクレナを食うことができたら、庶民の暮らし向きは随分と良くなるのではないだろうか?」


 それは、ソラがクレナ王家を倒して自国に併合するという、突拍子も無い案だったのである。


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