第60話 チヒロの願い
「なかなかやるじゃないか」
そう言って出てきた女は、チヒロと名乗った。現在、ニシミズホ村の長とは彼女のことらしい。年はカケルよりもずっと上の貫禄があるが、見目は美しい部類である。肌さえ日焼けしていなければ、綺麗な衣を着せて貴族を名乗らせても違和感はなさそうだ。
話し合いの場は、チヒロの屋敷で行われることになった。屋敷と言っても、周辺にある竪穴式住居よりはマシという程度で、掘っ立て小屋に毛が生えたようなものである。
「こんなものしかなくて、すまないねぇ」
チヒロが、竹筒に水を入れて差し出してきた。ゴスが、もっと謝るべきことがあるだろうと文句を言っているが、カケルはそれを視線で窘めて、両手でそれを受け取る。
「この辺りには、職人がいないのですね」
竹筒は、湯呑として使われているらしい。竹を二箇所切るだけで簡単に作ることができるため、クレナの田舎では一般的な食器の一つとなっているのだ。
しかし、ソラの感覚で言うと、あまりにもお粗末な物である。飲み口が滑らかに加工されていないばかりか、持ち手となる部分も無い。女人の家で使うものであれば、何か文様を表面に彫り込むなど、多少外見に拘っても良さそうなものだが、それも無かった。
ソラでは、多くの者が幼少期に職人の手習いをし、そのまま玄人の職人や神具師の道へと進む者も多い。それ故、貧しくとも生活の道具の工夫を惜しまないのは普通のことだ。道具さえあれば、いくらでもやりようはあるのだから。
クレナではそういった習慣が無い分、より貧しさが民の心身を蝕んでいるように見えた。
「そうだよ。ここには、土と会話できる者はいても、何か道具を作れる者はいない。最近じゃ、農機具さえ新たにこしらえる事は難しくなってきたね」
「それは、なぜ」
「なぜって、そりゃ、人がバタバタ死んでるからさ。その中には鍛冶師もいる。ここだけじゃない。クレナはどこへ行っても何も無い。真面目に税を収めたら、大抵腹を空かせて死ぬね。神の怒りか何か知らないけど、近頃は災害も多い。人のなす術なんて、何も無いよ」
チヒロの声は大きく、張りがあって明るいが、語る内容は悲惨だった。
「その『何も無い』では済まされないので、あなた方はシェンシャンで力を合わせているのですね」
「そうさ。これでもあたしは、ミズキの次には上手いんだ。しかも今は独り身。だから、こうやって長の座に収まっているというわけ」
独り身とは意外だった。クレナ、ソラ両国では、だいたい十五歳を過ぎれば婚期となり、二十歳を過ぎれば行き遅れだ。しかもチヒロは、少なからず男を惹き付けるものはありそうなのに。
と考えている事が、顔に出てしまっていたらしい。チヒロは肩をすくめて話し始めた。
「あのね、あたしは夫も息子も、王家に殺されてるんだよ。あぁ、そんな顔しなくていい。よくある話だ。王家の命令で徴集されて兵になったかと思えば、結局税は免除されないばかりか、死んだとだけ言われて遺骨の一つも帰って来ない」
カケルは沈痛な面持ちで相槌をうった。
「男手が取られるだけでも大変でしたのに、そんなことが……」
チヒロはふっと笑うと、見分するかのようにカケル達を見回した。ゴス達も、チヒロの話には総じて眉をひそめて聞いていたのだ。ソラも田舎では物騒なことはあるが、ここまでではない。
「あんた達、強いのに優しいんだね。さっきの立ち回りと言い、そのやけに品のある物腰と言い、あたし達と同じ人間とは思えないよ」
「神具師なんて、こんなものですよ」
「そうかい。何せ、いろいろ試すようなことをして悪かった。でも、やれって言ってきたのはミズキの奴なんだからね」
自分で言ったことに、声を上げて大笑いするチヒロ。つられてつい、カケルも笑顔になる。
「それで、私達は合格なのでしょうか?」
「つまらないことを聞くんじゃないよ。さっきの男衆の顔を見りゃ、答えなんて分かるだろ。もう誰も、あんた達を侮ったりはしないさ」
チヒロは、手痛いしっぺ返しを受けたものの、それを根に持っている様子はなかった。
「そんなわけで、あたし達は貧しいし、野蛮だろうし、シェンシャンと農作業ぐらいしか腕は無い。それでも、暁とかいう人達は本当に手を組んでくれるのかね?」
「はい。あちらはここよりも少しだけ豊かですが、天災で人が亡くなることが多いのです。これも、シェンシャン奏者の不足によるものですね」
カケルは、シェンシャンの効用と、昨今ソラにクレナから楽師団があまり派遣されなくなったことを話した。
「なるほど。確かにうちとそちらを足し合わせれば、ちったあマシになるかもしれない」
「では、暁に連絡をしておきましょう」
これで、話はついた。と、カケルは思っていたが、チヒロの瞳は爛々として彼を捉えている。
「そこでなんだけど」
既に悪い予感がしていた。
「あんた達は信頼できそうな気がする。だけど、やっぱり暁ってのはまだ分からない。あたし達を通して、クレナに侵略してこられたらどうなる? うちの皆は、クレナ王家に吊るしあげられて嬲り殺されだろうよ」
「暁は、そんなことを企んではいません」
そうは言っても、会ったこともない者達をいきなり信用して、自分達の活動内容を漏らすのに不安を感じるのは当たり前だ。それが分かるこそ、カケルの頬は引きつり始める。
「だから、あたしをソラへ連れてっておくれよ。この目で見て、大丈夫だと確認できたら、仲間たちも安心する」
チヒロは立ち上がって拳を握った。今にもここを飛び出さんばかりだ。
「それは構いませんが、彼らのところへ案内するのは次の機会でもよろしいでしょうか。我々は今、急いでおりまして」
「それならば心配ないよ。これでも農作業で体は鍛えてるんだ。足腰には自信があるから、きちんとついていける。それに、男所帯じゃ、飯の支度も大変だろう?」
もう何を言っても無駄なようだ。ゴスが焦った様子でカケルに視線を投げている。カケルもできるだけ涼しい顔をしようと努めているが、内心頭を抱えたい気分だった。
今からユカリの所へ向かえば、ソラ王の指定した日までに王宮へ辿り着くことができない。けれど、もしそのまま連れて行くことになれば、カケルの身元が割れてしまうのだ。
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