第47話 工房の客
急に眼光が鋭くなった老人に、ユカリは慄いて声も出なかった。否定しておきたいが、無言は肯定を表すとされてしまう。
「そうか。はるばるこんな田舎まで来てしもたんやな」
老人は、土間から一段高くなった板の間に上がると、部屋の中央にある囲炉裏に火を入れた。ちろちろと揺れる炎が老人の厳しい横顔を赤く染める。
「いつまでもつっ立ってやんと、こっち来な」
ユカリはおずおずと草鞋を脱ぐと、囲炉裏の近くへ寄っていった。
ほんのり明るくなった室内を見回してみる。外見は普通の民家だったが、中はどこか趣が違う。壁沿いにたくさんの箱が積み上がり、囲炉裏よりも奥の部屋にはいくつもの卓が並んでいた。上には工具らしきものがある。木の香りも強かった。
「ここは、工房なのですか?」
「そやな。ここは、神具師の仕事場や」
つまり、老人は神具師ということだ。ユカリは、見ず知らずの者に酒を奢る余裕は、ここから来ているのだと納得する。神具は、ソラでも重宝されているものだ。クレナよりは値は下がるだろうが、高級品の部類に入る。
「儲かっていますか?」
「まぁ、ぼちぼちやな。で、あんたは、何やってる人なんや?」
「クレナから持ってきた物を売ってました」
こういった仕事場に入れてもらったということは、ある程度信頼されているということだろう。ユカリはそれに報いたいと思って、少しだけ真実を語った。
「でも、もう銭も尽きそうですし、明日からはまた野宿です」
「それやったら、さっきみたいにシェンシャン弾いて稼いだらどうや? ただし、気ぃつけなあかんこともあるけどな」
ソラでは、シェンシャンの演奏は土地に恵みを与える祈祷だとされている。奏者はかなり少ないので、むやみにタダで弾くことは避けた方が良いらしい。さらに、価値ある者として目をつけられやすいとか。役人など権力者に攫われる可能性もあるので、護衛をつけつつ、こそこそと活動した方が良いと老人は話した。
まさかシェンシャンが身を救うことになろうとは。ユカリは、老人からシェンシャンを借りることになった。老人曰く、シェンシャンに宿る神が、ユカリのことをかなり気に入ってしまったらしい。その代わり、商人に卸すシェンシャンは改めて作り直すので、また試し弾きだけしてくれないかと頼まれてしまった。ユカリは、そんな簡単なことで済むのならばと快諾する。
そして、せっかくとった宿へと戻ろうとした時だ。戸を叩く音がした。
「また来たか」
老人には心当たりがあるらしかった。
「入ってこい」
戸が開くと、冷たい風と共に一人の少年が転がり込んできた。
「今夜も冷えるね、テッコン」
「カケル、また一人で来たんか」
「大丈夫。近くまでゴスに送ってもらったんだ」
明らかに上等な衣を着込んでいた。カケルは沓を脱いで板の間に上がると、囲炉裏に向かって両手を突き出し、暖を取る。その頃になって、ようやく先客に気づいたのだった。
「あれ、珍しい。お客さん?」
「客っていうより、奏者やな。クレナから来たらしいで」
「クレナ?!」
カケルは目にも止まらぬ速さでユカリに近づいたかと思えば、その両手を強く握りしめた。
「俺、クレナに店を出したいんだ。協力してくれ!」
ユカリはその勢いの良さにたじろきながらも、少年を見つめ返した。品の良い、端正な顔だ。大人になると美男になるのは確約されているだろう。
そして、視線をゆっくりと降ろした時。それを見つけてしまった。思わず顔と声が固くなる。
「貴方様のような高貴なお方が、他国で商人の真似事をなさるとは……」
対するカケルも、途端に警戒心を露わにした。
「なぜ、分かったのですか?」
「その大刀が」
それは、カケルの左脇にあった。柄の文様は王家の紋、そして大刀から下がる緒の配色は王家だけに許される禁色だ。紋だけならば、老人のように王家から認められた者だと言えるが、色までとなると、その正体は明らかなのである。そして、名前までがかの人物と同じとなると、もう疑いようがない。
ソラの王子である。
彼がクレナで店まで持つとなると、かなり大掛かりで組織的な密偵行為となるだろう。ユカリ自身も身分を隠して庶民としてソラへ潜入しているが、それを棚上げしても見過ごすことはできない話だった。
「これだけでバレてしまったのか」
護身用として身につけていた大刀が仇になるとは思ってもみなかったらしい。カケルは、がっくりと肩を落とす。こんなに早く王子だと見抜かれたのは初めてのことだった。
その一方で、目の前の女に違和感を持つ。クレナ出身なのに、ソラ王家の紋と色に詳しいなんて普通ではない。特に色については、ソラ国内でも余程階級が上でないと知り得ない知識なのだ。
「もしかして、クレナ王家に繋がる方ですか?」
完全に、はったりだった。なのに、ユカリは明らかに動揺している。カケルは、腰を抜かしそうになった。あわよくば、コトリの情報が得られないかと欲を出しただけなのに、こんなことになるとは思いもよらず。
喜色を浮かべるカケルをよそに、ユカリは仕方なく腹を決めた。ここにいるのは、自分以外に男が二人。顔も見られてしまった。今更逃げ出すこともできないだろう。
後は、真実を告げて信じてもらえるかどうかは、相手次第だ。
「はい。私はクレナ王家の姫、ユカリと申します。ご無沙汰しております、カケル様」
ユカリは、王宮で厳しく躾けられた通りの作法を持って、礼をした。
その場で一番取り乱していたのは、老人テッコンである。
「わ、儂は、無礼を働いたとかで殺されるんか?」
「しっかりしてよ、爺さん。コトリの姉上が、そんな鬼畜なわけがないだろう? それより、ユカリ様。コトリは元気にしてますか?」
この時、カケルは八歳。既にコトリを溺愛していた。
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