第45話 ユカリの任務
これは十年前に遡る話。
その娘、ユカリは、クレナ国に生まれた。父親は、王である。
古えの時代、クレナ国とソラ国が一つだった頃には、王は貴妃、淑妃、徳妃、賢妃と呼ばれる四人の妃と、それ以下の女官紛いのこともする妃を多く召しあげるのが通例だったらしい。それに倣い、ユカリの父親も、まずは四人の妻を持つことになった。母親は、その二番目の妃にあたる。
その者が妃となれたのは、実家が由緒正しき高位の貴族で、政治的に王にとって都合が良い存在だったからだ。領地には際立った産業などなかったが、他の土地よりも質の良い米がよく取れることから、経済的な力は持っていた。
つまり、決して見目や、教養の高さといった、本人の良さを見込まれての入宮ではなかったのだ。
だからとて、ここまでユカリが不美人になってしまったのには、皆が驚きを通り越して憐れむ程だった。少なくとも母親は、並以上の美人ではあっただけに、誰を責めることもできない。けれど、麗しい者が集まる王宮において、それはあまりに異質な姿だったのである。
第一に、目つきが悪かった。その細目は、いつも人を睨んでいるかのように少し釣り上がっているが、一度興奮すると、一気に見開かれて老婆のように血走った瞳が剥き出しになる。
さらに鼻は低く、肌は痘痕だらけ。色だけは母親譲りの白さがあるが、幼い頃からのでっぷりとした無駄に貫禄のある体格と合わさると、餅というよりも豚のようである。
仮にも王女ともあろう者がこの有様では、嫁ぎ先にも困るというものだ。王宮にいるうちは、身分の高さから被り布で誤魔化せようとも、一生夫に顔を見せないというわけにはいかないのだから。
もちろん、母親をはじめ、周囲の侍女達もユカリの見目を少しでもマシにしようと、怪しげな茶を飲ませたり、美容に効くという珍しい物を遠くから取り寄せては試すといったことを繰り返していた。しかしながらユカリは相変わらず、ついには王からこんなことを告げられる。
「自分の娘だとは思いたくない。お前は、死んだことにする」
クレナ王は、かなり前から他国へ娘を嫁がせることを目論んでいたが、ユカリでは相手の機嫌を損ねるどころか、いらぬ争いの火種にすらなりかねない。そうであれば、いっそのこと亡き者として扱い、別の役目を与えるまでだ。
「ソラへ行け。ソラの内情を探り、王家に取り入り、私に逐一報告するのだ」
ユカリは、それを拝命した。これまで自分を見向きもしなかった父親から、ようやく仕事を与えられたのだ。こんなに嬉しいことはなかった。ようやく、王女として国の役に立つことができるのだ。
それから間もなく、仮染めの葬儀が行われた。空の棺が火葬されて、空の壺が都の外にある小高い丘の王家の墓へと埋葬される。庶民の間にも、ユカリは死んだとの話が駆け巡った。だが、その死因は誰も知らなかった。
その裏で、ユカリはすぐに関を越えてソラ国へと入っていた。これに先立ち、王は王宮に出入りしていたソラ出身の商人の女を一人殺めて、彼女の旅券をユカリに持たせていたのだ。
伴は連れてこなかった。馬もなければ輿も無い。生まれて初めての旅は、孤独でひもじく、過酷だった。それでも、死んだことになっているユカリに帰る所は無い。
ただ、心にあるのは父親に対する感謝の念。誰もが見放すほど醜い自分に大切な役目を与えてくれた事に報いりたい。ユカリは、気力だけで足を前に進め続けた。
道中は、商人としてクレナから持ってきた古書の写しや輝石を売った。だが、商売など全くの素人であるユカリでは、買い叩かれることがほとんどで、懐は一向に温かくはならない。
それ故、母親から持たされていた僅かな金子を切り崩して宿を取りながら、ソラの都を目指すこととなる。それも三ヶ月が過ぎれば、金目の物は全て売り払ってしまって、野宿を強いられることとなってしまった。
つい最近まで高級な寝台の上に柔らかな敷物を何層にも重ねて、その上で眠る生活だった。宿をとっても、それよりかは格段に質素になる。けれど野宿となると、適当に掻き集めてきた藁や枯れ草へ身を埋めて眠ることになる。
聞くと、田舎の庶民はこれが日常だというが、ユカリにはたまったものではない。これまで曲がりなりにも王女であった彼女の常識からすれば、野蛮で不衛生であり、何より壁も何も無い外は女一人の身を守る上で危険極まりないのだ。
何度か賊に寝込みを襲われ、その度に近くの民家に逃げ込んでは助けを求めることを繰り返した。初めこそ、ユカリの姿を忌避されて誰も手を差し伸べてくれないのではないかと不安になっていたが、すぐにそんな心配もいらなくなる。
ソラの田舎には、ユカリと同じく醜悪なよう見目の者ははいて捨てる程いたのだ。見るからに世間慣れしていない野暮ったい娘は、意外にも相手の警戒心をすぐに解いて、同情を誘うことに優れていた。中には、畑仕事を半日手伝うことを条件にタダで泊める家もあった。
こうして、ユカリは少しずつソラと田舎という土地の実情について知るようになっていく。
ユカリは少し大きな街に出ると、文を書いた。クレナのとある商人に向けて出すと、父親に届く手筈となっているのである。
報告できることは多々あった。
まだソラの田舎にいて、都になかなか辿り着けていないこと。それは、街道があまり整備されていないことに起因すること。農作物などの物の相場。道すがら耳にした噂話。そして――――
シェンシャン奏者は、神のように崇められていること。
ユカリも王女として、シェンシャンの手ほどきは受けていた。とても上手いとは言えないが、簡単な曲であれば諳んじでいるので、弾くことができる。
これは、決して特別なことだとは思っていなかった。クレナの街中では、通りでシェンシャンを弾いて日銭を稼ぐ者の姿などよくある光景だ。貴族や商人の子女も、教養の一つとして弾けるのが当たり前。
しかし、ここはソラである。
たまたま立ち寄った酒場でとある神具師と出会うまでは、自分がいかに特殊な存在であるか、全く自覚していなかった。
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