第27話 噂話

 コトリは目を覚ますと、身支度をして部屋を出た。サヨは部屋の端に座して、物憂げにじっと外を見つめている。


 今日も気温は上がりそうだ。朝から空が見えていて、遠くの山々も青々としている。近くにある厨房からは、飯炊きの煙が上がっていた。


 どこか近寄り難い。いつものサヨならば、既にコトリの気配を察知できているだろうに。何かあったのだろうかと心配しつつ、遠目に見守っていると、ようやくサヨが振り向いた。


「おはようございます」


 コトリは挨拶を返しながらサヨの隣へ行く。サヨはコトリに何か言おうとしたが、すぐに口籠ってしまった。


「どうしたの? 何かあったの?」

「いえ。ただ、お伝えしたいことはございます」


 サヨの剣幕に、コトリは怯みそうになる。


「人の見た目に誤魔化されてはなりません。そして、決して邪な情に流されてはならないのです」


 どちらかと言えば、コトリにではなく、サヨ自身に言い聞かせているように見えた。事情は分からぬが、サヨの中で何かがあり、それを仔細まで言いたくないのは確からしい。コトリは、何も聞かずに微笑んでみせた。親しき中にも何とやら。今は踏み込まずにおくこととする。


「コトリ様は、今日の日の空のように、いつまでも清らかでいらしてくださいね」


 サヨの目は真剣だ。やはり、問いただすべきか、とコトリは悩んだ。



 ◇



 厨房へ朝餉を取りに行くと、ミズキが既に盆を手にしていた。その上には、小高い山のように持った飯と、いくらかの漬物、そして吸物が並んでいる。コトリには普段通りと映るが、未だにミズキはこれを大変豪華だと思っているらしい。


 そもそも庶民は一日に三度も食事をしない。朝と夜だけだ。しかしここ楽師団では、三食あるだけでなく、その内容もほとんど貴族向けのもので、庶民は一生口にできないような肉や揚げ物までが日常的に出される。それだけ楽師団の地位は高いものとされているのだ。


「ナギ様には私から給仕しておきます」


 ミズキは昨日の事件のことを考慮して、気を遣ったようだ。コトリは礼を言って、その小さな後ろ姿を見送った。サヨは、「詐欺だわ」などと呟いていたが、コトリには聞こえない小声だった。


「では、私達も冷めないうちに運びましょう」

「そうね」


 コトリは、三食分を盆に載せて両手に持つと、ハナの部屋に向かった。昨夜、自分のシェンシャンが戻ってきたことを報告するためだ。


 ハナには二人の侍女がいる。部屋に着くと、そのうちの一人に盆を手渡した。侍女は一食分をハナの元へ届けに行く。コトリも挨拶をして、茶の支度を始めた。


 朝は、蒸した茶葉を臼でひき、細かになったものを湯で溶かして飲む。味は苦いが、穏やかな体の目覚めを促してくれるのだ。


 コトリは作法に則った方法で、ハナへ茶を差し出した。


「今朝も良い香りですこと」


 ハナがそう言って、満足そうに一口飲み干したところを見計らって話しかける。


「昨日はありがとうございました。お陰様で、昨夜遅くにシェンシャンが部屋に戻ってまいりました」

「それは良かったわね」

「えぇ。ただ……」


 コトリは悲惨な壊され方をしたシェンシャンのこと、その後の顛末を掻い摘んで説明した。


「あら、そんなことが」


 ハナは眉をひそめて、驚いている。


「私がもっと早くにナギへ言い聞かせていれば良かったわね」

「いいえ、とんでもございません。アオイ様からのお咎めもありましたし、もう大丈夫です」


 ハナは安心したように、早速朝餉に手を付け始めた。漬物を口に含むと、ゆっくり首を傾げる。


「それにしてもアオイ様が過去を語るなんて、珍しいわね」

「そうなのですか?」

「えぇ。あの方は意外と自分のことを話したりはなさらないの。今回は余程のことだったのでしょうね」


 コトリは、アオイに無理をさせてしまったのではないかと不安になってきた。


「そういえば、これはご存知? アオイ様は元々ソラ国の方なのよ」

「いえ、知りませんでした」


 ソラ国出身のシェンシャン奏者とは、それだけで珍しい。しかも、現在クレナ国の楽師団の首席に収まっているなんて、奇跡のような話だ。


「生まれた場所がソラというだけで、育ったのはずっとクレナだから、戸籍はこちらのようですけど。でもね、こんな噂を聞いたのよ」


 コトリにとって、ソラ国に絡んだ話は少しでも知っておきたい。どこからカケルに繋がるか分からないのだ。コトリは身を乗り出して、ハナの言葉を待った。ハナはゆっくりと飯を食む。


「アオイ様ってお綺麗ですし、ソラ国出身でしょう? しかもシェンシャン奏者としての実力もある。ですから、ソラ国の王子様から熱烈な求婚を受けているらしいの。確か、カケル様という、一番上の王子様からだったかしら。もしかすると彼女も、新たなソラ国の王族として、帰郷できる日が近いかもしれないわね」


 コトリは、目を見開いたまま硬直してしまった。何も、考えることができなくなる。今、自分がどこにいるのかも分からなくなりそうな程に。

 ハナはふわりと笑った。


「びっくりしたでしょう? でも、あくまで噂ですし、さすがの私も、この話をご本人に確かめる勇気は無いわ」


 その後コトリは、どうやって朝餉の給仕を終わらせて、自室に戻ったのか、ほとんど記憶に残っていない。


 ひたすらに、真っ白だった。


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