第35話 美哉の誕生

「お義母さんが帰った後も露子ちゃんの妊婦生活は順調だったにゃ。僕はフリーランスになることを考えはじめて、美哉ちゃんをお迎えする準備は完璧だったにゃ」


「正宗さんがフリーランスになったことは論議を呼んだけど、収入に不安がないことから概ね好意的に受け入れられていたわよね」


露子が妊娠した途端に残業を拒否して定時退勤を徹底した正宗は、美哉が産まれると育休を取った上に、育休明けの初日に辞表を提出して、そのままフリーランスになって露子をひたすら休ませた。働きながら仕事と家事と育児を1人で引き受けたのだ。


「予定日の前後から1ヶ月は仕事を入れなかったにゃ」

「安産で良かったわね」

「あれで安産だなんて信じられないにゃ。露子ちゃんが、とっても苦しんでいたにゃ」

正宗の尻尾と耳が下を向く。


「安産だったのよ。正宗さんのおかげで露子も元気だったし、無事に産まれて正宗さんのご家族も喜んでくれて安心したわ」

「兄のところはケットシー同士の結婚で、あの頃はまだ、子供は甥っ子の時宗ときむねだけだったからにゃあ。

日本人形みたいに可愛い露子ちゃん似の赤ちゃんにケットシーのお耳と尻尾の美哉ちゃんは可愛い上に珍しくて一族のアイドルにゃ」


「病院で会った甥っ子の時宗君!とっても可愛いかったわ!」

「あの後、宗一郎そういちろう宗平そうへいが生まれて三兄弟にゃ。美哉ちゃんの従兄弟にゃ」

「宗平君は、いま5歳でね、生意気な暴れん坊だけど可愛いんだ〜。フカフカでポフポフなの」

「美哉ちゃんは従兄弟たちと仲が良いにゃ。これは去年のお正月の写真にゃ」


正宗がタブレットで家族写真のフォルダを開くと祖父母の表情が崩れた。

猫好き夫婦にケットシーの子供はたまらない。


「これが生まれたばかりの美哉ちゃんのフォルダにゃ」

大量の美哉の写真が表示された。美哉フォルダの直下に年フォルダ、その直下に月フォルダがある。猫耳&尻尾付きの赤ちゃんの破壊力はものすごい。


「えへへ恥ずかしいな」

「ああもう可愛いわあ…」

「正宗君、この写真を待ち受けにしたいんだが…」

正宗により祖父のスマホに美哉の画像が待ち受け設定された。


「美哉ちゃんと露子が退院したら、正宗さんは家事と育児に一生懸命で…露子に授乳以外させないんですもの」

「当然にゃ」

授乳も可能な限り粉ミルクで正宗が与えて、出来るだけ露子を眠らせた。


「…美哉ちゃん、このクズなお爺ちゃんは、また炎上したのよ」

「どうして? お爺ちゃんも家事を受け持っていたんでしょう?」


「産後4週間は安静にして、その後は検診で許可が出たら段々と日常生活に戻るように…っていうのが理想らしいの。産後のママは大怪我を負った重症患者のようなものだから。

それなのに露子に向かって、ダラけるのもいい加減にしろって言ったのよ」

「えええ…」


「私が怒るより先に正宗さんがキレてね。次の日、お爺ちゃんを呼んで講義をしたの。

プロジェクターに映した資料は100ページ超えの超大作だったわ。

 最初の30ページは妊婦と出産についてと産後の回復にかかる期間と、そのために必要な治療とか安静について。

次の20ページは家族のサポートについて。父親が最低限やるべき赤ちゃんのケアについても詳しく説明されていたけど、当然このお爺ちゃんがした事ないことばかりだったわ。

 残りの50ページ以上は、自分の子供を育てるオスの動物についての紙芝居だったわ。オツムが弱くても理解出来たはずね。

 コウテイペンギンのオスは卵を足の上に乗せて、抱卵嚢と呼ばれる両肢の間のお腹のだぶついた皮を使って卵を抱いて温めるそうよ。

 地吹雪が吹き荒れ、マイナス60℃にもなる極寒の地で身を寄せ合い、60日以上に渡り抱卵を続けるの。抱卵中のオスは絶食よ。卵が孵化する頃、体重は40%以上も減少してしまうんですって。

 マーモセットというお猿さんは、オスが赤ちゃんを背負って積極的に育児をするんですって、特に生後1カ月は生活の7割以上を赤ちゃんと過ごすそうよ。もちろん出産にも積極的に立ち会って助産婦のようにメスの介護をするらしいわ。生後1ヶ月って特に大変なのよ。偉いわね。

 レアと呼ばれているアメリカダチョウはオスが子育てするのよ。オスが作った巣の中に卵を産んだメスは、そのまま立ち去って他のオスと自由恋愛を楽しんだりするの。残されたオスは、メスが残した数十個の卵を温めて孵化させて面倒を見るのよ。

 クロエリハクチョウという小型の白鳥は、子どもが生まれてから約1年、お父さんが背中に子どもたちを乗せて育てるそうよ。1年よ!たまーに、チョロっとたいして苦労もない世話をして “やった気” になる人間のオスと訳が違うわ。

 ゴキブリのオスだって子育てするのよ。熱帯地方に住むゴキブリは、オスが巣作りをして、子どもが生まれたらせっせとエサを運ぶんですって」


「まだまだ世間一般の常識ではないにゃ。なので家族の話ではなく、一般論としてブログで紹介したにゃ」


「コメント欄で、お爺ちゃんの心無い発言を晒したのは私よ」

「お婆ちゃんが!」


「もちろんお爺ちゃんは袋叩きよ。大勢の読者からゴキブリ以下と罵られててザマアだったわ。

そうしたら、いつものようにお爺ちゃんみたいな考え方の男がウヨウヨでてきたの。

 そいつらもfacebookと名前、勤務先、学歴、顔、その他を特定されて各種掲示板で晒されてコピペが拡散、全員の生涯独身が決まったわ。婚活サイトで語り継がれる有名な事故物件たちよ」

美哉が当然だと言わんばかりにうなずく。


「でも意外なことに正宗さんたら、お爺ちゃんを擁護したのよ」

「あえて知ろうと思って勉強しないと分からないこともあるにゃ。九九と同じレベルの教養として義務教育で教えて欲しいにゃ。

今まで知らなかったことは恥ずかしいことじゃないので、これから知って行動出来ればいいと思ったにゃ」

「でも、それで正宗さんまでネットで叩かれたのは納得出来ないわ」


「仕方ないにゃ。それにあの頃は露子ちゃんと美哉ちゃんのお世話に夢中でクソリプに構っていられなかったにゃあ」

「露子も普通の生活が出来るようになってきたところだったわね」


「露子ちゃんが、自分も美哉ちゃんのオムツを変えてみたいとかお風呂に入れてみたいとか言い出して、僕のお楽しみを奪っていったにゃ。でも美哉ちゃんのお世話をする露子ちゃんも可愛くて……贅沢な悩みだったにゃあ」

正宗が両手を頬に当てて、うっとりと回想する。



なんだかんだ言いながら、祖父母は『今日の夕飯にシュウマイを買って帰ろう』と言いながら、仲良く横浜の家に帰って行った。シュウマイは祖父の大好物だ。


2人はお互いに努力して、より良い関係を築いた。

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