第五章 9-2


「うぅ、せっかく一生懸命用意してきたのに…」


 彼方の山間から姿を覗かせた恒星が、惜しみない陽光を浴びせ続ける街道で、隣を歩くレイニーが絶望的な声を漏らす。どうやら生活用品をまとめた肩掛け鞄に加え、母親から預かった路銀も置いてきてしまったようだ。


 全く、相変わらず間が抜けている娘だ。まあ、今回は完全に私のせいなので、そんな小言は仕舞っておこう。


 最後の御幸、永き旅路の終わり、その陪従者として彼女はいた。私は彼女を置き去りにすることに徹せなかった。心の何処かで一緒にいてほしいと願っていた。その迷いが彼女に追い付く時間を与え、同行を認めさせてしまったのだ。


 それにしても、クラウディがあんな大金を持たせようとしたことは意外だった。まさか、あの深謀遠慮な当主様に限って、ただの親馬鹿ということは考え難い。


 ひょっとして、本当はレイニーのことに気が付いていたのではないか。やはり、我が子を想う母親の気持ちまでは、如何なる魔法であろうとも誤魔化すことは出来なかったのだろう。


 私たちは王領を越えてツキノア領へと足を踏み入れた。流石さすがに今回は一人旅とはならなかったが、果たして彼女はどこまで私に着いてくることが出来るのだろうか。


 ツキノアの山村ではたちの悪い反魂の魔法が蔓延はびこっていた。犠牲となった村人たち…特に、ハナという名の少女には同情を禁じ得ない。ある意味で私と少女は似たようなものなのだ。ただ、そこには成功と失敗という厳然たる隔たりがあった。


 おそらく世界でも完全な成功例は私のみ、お姉ちゃんの奇跡だけだろう。過去にも死者の蘇生を探求した魔術師は数多くいた。それは人々にとって永遠の夢だからだ。しかし、今回に関してはそんな純粋な願いではなく、いびつおぞましい悪意が隠されている予感がした。


 この一件により、彼女には貴族としての自覚が芽生えたようだ。彼女たちには高貴たる者の責務がある。与えられた富と力は、決して自分たちの欲望を満たすために浪費されるべきではない。それを肌で感じてくれたことが私には嬉しかった。


 あと、ツキノアの世子せいしのオユミは彼女に気があるようだ。そう言えば、ずっと昔にもこんなことがあった気がする。オヒトには可哀想だが、どうやら彼の方に分がありそうだ。


 ハナラカシア王国に別れを告げ、ディアテスシャー帝国との国境を跨いだ私たちを待っていたのは、あの女であった。


 サナリエル=トク=ディアテスシャー、何処どこか気に入らない女である。別にレイニーにちょっかいを出すことに腹を立てている訳ではない。いや、それも多分にあるのだが、あの女からは私と似た気配を感じていた。かつてホーリーデイ家に生まれた最高峰の魔術師のように、ディアテスシャー朝に受け継がれた火の地姫、神皇の血を色濃く受け継いでいるのだろう。


 何故か胸騒ぎがした。何かを忘れている、何かを見落としている、そんな嫌な感覚だ。それは帝都カンヨウが近付くに連れて顕著となり、そして皇帝と邂逅かいこうした瞬間、確信へと変わった。


 うのは初めてだった。しかし、間違えようがなかった。お父様との記憶が、知覚される魔力が、そして何よりもこの身に宿るマイナがそれを肯定していた。この五百年の間、最も近く、最も遠くに感じていた存在。私が封じていた筈の、火の天人アグニであった。


 激しく狼狽する私に対し、御会見ごかいけんの席においてドミティアヌス皇帝、いや天人アグニは語った。彼らはもう随分前から復活することが出来ていた。たとえオノゴロに満ちるマイナを排しても、世界中にあるマイナ溜まりには高純度のマイナが蓄積されていたからだ。


 しかし、ではなぜ今になって表舞台に現れたのか。少なくともくだんの軍事演習ではその片鱗は感じられなかった。幾ら直接対峙しなかったとはいえ、あれほど近くにいて気付かない筈がない。


 そう、彼らは待っていたのだ。レイニーが誕生し、空の天人として顕現するのを…かつての仇敵に復讐する機会を虎視眈々と狙っていたのだ。


 私は彼女を守りたい、守らなくてはならない。しかし、魔法の行使を意識した瞬間、私は天人たちに絶対に逆らえないことを認識してしまった。それは存在としての強度、魔法の力量差というだけではない。


 天人と地姫の関係性、自らに取り込んだ高純度のマイナは、詰まるところは天人そのものだ。私の力は天人からの下賜品かしひん、四種のマイナを宿す私は、お父様の水だけでなく、アグニの火の地姫でもあったのだ。拭い難きゲッシュが私のうちに深く刻み込まれていた。


 そして、アグニは私にある要求をしてきた。それはこれからレイニーに起こることについて、干渉せずに事の成り行きに任せよというものであった。もはや私には従うより他なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る