第五章 6-2


 私の脳裏に流れ込む断片的な思念、それはお姉ちゃんの最期の願い。私が何よりも大切にし、尊重せねばならぬもの。でも、正直なところ、訳が分からなかった。


 くうのアーカーシャはお父様を、そしてお姉ちゃんをこんな目に遭わせた上、子どもまで産ませたのだ。しかも、お父様は元に戻れるというのに、私はそれを阻止せねばならない。それどころか、アーカーシャが宿るまで娘たちを守り続けなければいけないのだ。


 馬鹿げている。きっとお姉ちゃんはおかしくなってしまったのだ。そいつに酷いことをされて、彼方此方あべこべのことを言っているに違いない。


 なのに、それなのに、私はそれに逆らえない。お姉ちゃんの言葉にだけは背けない。憎い仇の子が目の前にいるのに、この手の中にいるのに、私には何も出来ないのだ。


 いつしか、お姉ちゃんの残滓は消えていた。もう二度と会うことはない。笑顔を向けてくれることもない。頭を撫でてくれることもない。本当に本当のお別れだ。


 遺されたのは、この腕に託された一人の赤子。大好きなお姉ちゃんの、いつか現れる不倶戴天ふぐたいてんの敵に繋がる娘。


 良いだろう、お姉ちゃんの言うとおりにする。私はこの地に満ちるマイナを吸収し、お父様たちの復活を阻止しよう。そして、アーカーシャが再びこの世に生まれるその日まで、娘と子孫たちを守り続けよう。


 ただし、あくまで生まれるまでだ。その先のことは約束されていない。いつか、そいつが私の前に現れたとき、この身を復讐に捧げることを、今ここに誓う。


 どんな相手だろうと構わない。どんなに強大だろうとも構わない。万難を排し、不可能を奇跡で塗り替え、私の全存在を賭して討ち滅ぼすのだ。


 私はオノゴロに残存していたマイナを吸収した。未だ満ちるには程遠いが、高純度の四種のマイナは私の身体を変性させるには十分であった。ああ、どうせなら、あのときにこうしていれば良かった。私がお父様の依代になれば、お姉ちゃんの身代わりになれば、こんなことにはならずに済んだのだ。


 もう取り戻せない遠い日の後悔、この身を焼き尽くさんばかりの憤怒、そしてお姉ちゃんと交わした最後の約束が、肉体を崩壊させる負荷をも超越させ、この世界に新たな地姫を誕生させた。


 その後、赤子を抱いて下山した私は、帝都カンヨウで戦後処理を協議していた三国会議に乱入、もとい出席し、天人と地姫に関する顛末を伝えた。


 アウグストゥス皇帝、ヤチホコ王、シャーリプトラ座長の三者は、私の言葉を信じて耳を傾けてくれた。彼らにとっても皇国の正統性を廃するため、火の天人アグニと神皇の存在は不都合であったのだろう。


 帝国は焚書坑儒ふんしょこうじゅを行い、旧皇国時代の記録を次々と抹消した。そして、欠けた空白を私の存在で埋めるべく、天人地姫と封禅の儀を声高に喧伝した。王国もそれにならったが、教国の一部には反発があったようで、当時をしのばせる遺物が僅かながらも残り続けた。


 隼人はやとの里に戻った私たちは、しばらくはその地で穏やかな日々を過ごした。やがて赤子が成長するのに合わせ、ヤチホコ王の招きにより王都オハリダに住まいを移し、ホーリーデイの家名をたまわった。


 ホーリーデイ家の初代当主となった娘は、紆余曲折の末に王家から婿を取り、子を身籠った。私にとって待望の瞬間が近付いていたが、幸せそうにお腹の中の子に語り掛ける彼女を見て、凍り付いた筈の心が少しだけきしんだ。


 そして、初代当主の子、お姉ちゃんの孫は生まれた。その子どもは魔法の素質を持たぬたまのような女の子であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る