第五章 3-1


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 遠くから私を呼ぶ声がする。微睡む私に声を掛ける誰かがいる。


 いつものように、寝坊した私を修道女が起こしに来たのだろうか。きっと、魔女のような恐ろしい顔をしているに違いない。でも、どうかお願いだから、もう少しだけこのままで居させてほしい。


 だって、ここはとても心地好くて、まるで空を飛んでいるようだから。大地のくびきを外れ、私の身体は只管ひたすらに漂い続ける。ずっとずっと昔、この世界に生まれ出ずるよりも前、顔も知らないお母さんの胎内にいたときのように…。


 でも、それは少し変だ。それなら何かが足りない気がする。原初の場所にあっても尚、始めから一緒だったもの。とてもとても大切な、私の半身……。


 また、私を呼ぶ声がする。それがきっと、今の私に欠けているものなのだ。だから行かなければならない。永遠の安息にはまだ早過ぎる。お姉ちゃんがいないのなら、私がここにいる意味など無いのだから。


 お姉ちゃん、それは私の全て。私を私として足らしめるもの。自己を確立させる存在を認識し、覚醒を始めた意識とともに瞼が開く。そこには祭壇の放つ蒼光そうこうに照らされて、私に覆い被さるようにして落涙らくるいするお姉ちゃんの姿があった。


 ああ、こうして間近で眺めると、やはりあまり似ていない。でも、泣いている顔もとても綺麗だ。私が泣かせた原因なのだから、早く大丈夫だよと教えてあげたいのに、思わず見惚みとれてしまう意地の悪い妹がいた。


 あのとき、確かに私は一度死んだ。天に捧げられしにえは主の御許へと召されたのだ。では、今の私は何か。神の奇跡が再び私に生を与え、この世界へと引き戻したというのだろうか。


―――否、我らが欲せしはにえあらず。汝をせしは我にあらず―――


 しかし、地の底から響くような荘厳な声が私の思考を否定した。初めて聞いた筈なのに、どこか懐かしさを纏わせた言霊は不思議な安心感を与えてくれる。それはあの古びた祭壇から発せられているようであった。


 一切の陽光が射さぬ大聖堂の地下、唯一の光源たる灯火はうに消え、無限の暗黒に閉ざされていた世界で、そこは眩いばかりの輝きに満ちていた。まるで地の底から光の洪水が溢れ出したかのようだ。


 声は自らを『アプ』と称した。それは忘れもしない、修道院にいたときに幾度となく耳にした言葉、ヴィナンクル聖合国せいごうこくが崇める水の天人の御名みなだった。


 私たちは人に捨てられ、神に拾われたのだ。私が力尽きたあのとき、お姉ちゃんはその御声を知覚したという。そして、私を助けたいと強く望むと、その願いに応えるかのように周囲を神々しい聖光が包み込み、やがて私が目を覚ましたそうだ。


 私を甦らせてくれたのはお姉ちゃんだった。死者の蘇生、瑕疵かしなき反魂、それは完璧なる復活の奇跡。やはり、お姉ちゃんは私の全て。私はお姉ちゃんあっての私なのだ。


 私たちは涙で滲む視界の中、互いの無事を確かめるように抱き合いながら、再会の歓びを分かち合った。

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