第五章 1-2

 

 ヴィナンクル聖合国せいごうこくは水の天人を崇めていたが、実際にその御姿みすがたを見たものはいなかったそうである。特別な加護を受けたもの、或いは長く厳しい修行を積んだものには、その存在が朧気ながらに感じ取れるというが、それも本当のところはどうなのか分からない。


 それでも、信仰体系として確立されていれば構わないのだろう。聖合国として各州をまとめるためには、政治や経済などの統治機構だけでなく、精神面での連帯機構が必要であったという訳だ。


 そして、数多あまたある教義の中には、原始的なもの、現在の私たちの感覚では忌むべきものもあった。それが天人の側仕え、封禅ほうぜんの儀とは異なる純粋な御供ごくう、端的に言えば生贄だ。


 教皇は私たちに宣告した。天人より神託が下され、兆しを持つものを御所望である。それは青碧せいへきと翡翠の瞳を持つ双子の女児であると……。


 それから先はあっという間だった。誰も私たちを守ろうとはしなかった。それが厄介払いならばまだ救いもあったが、全くの逆、皆で涙を流して喜んでいた。天人に仕えるもの、それをはぐくみ、送り出せる栄誉に心の底から感動し、打ち震えていたようだ。


 本当に馬鹿な人たち。これも信仰のなせるごうなのだろうか。果たして娼館に売り飛ばすことと、幾らも変わらないと思うのだが。


 私たちは信仰の総本山となる大聖堂へと連れて来られた。そこで身体を隅々まで洗い清められ、大人の女性のように化粧を施され、今まで見たこともない豪華絢爛ごうかけんらんな装束を着せられた。


 ただでさえ、いつもの粗末な衣装でも見栄えがしていたお姉ちゃんは、それはもう言葉では言い尽くせないほどに綺麗だった。皆がお姉ちゃんに心を奪われていた。それが私には堪らなく嬉しかった。


 そうそう、そのときは私のことも褒められた。私なんか、お姉ちゃんの足元にも及ばないのに。同じ日に生まれ、同じ修道院で育ち、同じ御粧おめかしをして、同じ装束に身を包んでも、やはり私とお姉ちゃんとでは雲泥の差があるのだ。


 それでも、私には良かった。どんなに似てなくても、私はお姉ちゃんと一緒なのだ。お姉ちゃんが側に居てくれる、大切なのはその一点。それがたとえ、これから神に捧げられる贄であったとしても。


 私たちは白い教皇と赤い枢機卿に連れられて、大聖堂の地下へとやって来た。そこはとても暗くて、教皇たちが持つ燭台がなければ足下すらも見えないほどであった。


 それから幾つもの岐路を曲がり、足が疲れを感じ始めた頃、やがて古びた祭壇に辿り着いた。そこで教皇は聖別の祈りを捧げると、私たちを残して元来た道を戻っていった。


 祭壇に置かれた燭台の下で、私たちは互いに身を寄せ合いながら、ただそのときを待ち続けた。何を待っているのか、それは分からない。もう私たちには地上に帰るすべはない。ここまでの道程は迷路のように入り組んでいたし、明かりもそれほど長くは保ちそうにない。


 やがて、燭台の炎が消えると、周囲は完全なる暗闇に包まれた。何も見えない空間の中で、隣にいるお姉ちゃんの存在だけがこの世の全てだった。


 それからどれくらいが過ぎただろう。すぐに時間の感覚は曖昧になった。私たちは多くを語り合い、互いの鼓動を感じ合い、世界がまだ続いていることを確認し合った。


 しかし、いつかは限界がやって来る。空腹感はとっくに麻痺していた。もし、視界が利いていたら、形振なりふり構わず目に着いたものを口にしていたかも知れない。


 死が私の間近に忍び寄っていた。でも、不思議と恐れはなかった。お姉ちゃんが一緒なのだ。お姉ちゃんが一緒なら、それでも構わないのだ。


 段々とお姉ちゃんの呼ぶ声が小さくなる。私はもう何も考えることが出来なくなっていた。お姉ちゃんの温もりを微かに感じながら、私の意識は深い闇の中へと沈んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る