第四章 4-1


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「ところで、この子たちってつがいなのかしら」


 山道での遭遇より数えて三日目の朝、目前にうずくまる二つの巨大な毛塊けだまを眺めながら、レイネリアはかねてよりの疑問を口にする。その問いに答えるものは誰もなく、高原に響くのは吹き抜ける好風こうふうそよぎだけだ。しかし、幾度にも渡る交錯を経て、彼女には白茶が雄、灰茶が雌という確信があった。


 対象に触れることなくプラナを奪うという試みは、ミストリアによる治療を挟みながら、二体の丸太兎ファッティラビットを交互にして進められた。回復魔法はプラナの消耗にも効果があるようで――むしろ原理からしてそれが本来の機能なのか――、魔物としての強靭な肉体も相まって、しばしの時間で戦線復帰を果たしていた。


 それでも身体に掛かる負担は大きく、また彼女にも行使の度に相当な負荷が生じるため、二巡目以降は十分な休養を取りながらとなった。


 そして、幾つかの条件を付して試行した結果、この力の必要条件が判明した。それは対象の位置情報の正確な認識にあり、例えば物陰に隠れて姿が視えなくなったり、目をつむって方位をしっしたりした場合には発揮されないようである。


 一方で、対象を視認さえ出来れば、どんなに距離が離れていようとも行使が可能であった。もっとも、対象との距離が開くほどに効力は弱まるようで、手練を相手にして気付かれずに無力化することは難しいだろう。


 以上のことから、この力はせんせん、とにかく先に仕掛けることが肝要であった。迂闊に相手の間合いに入り、攻撃の起点となる動作が始まってしまえば、仮に意識を失わせても勢いまでは止められず、良くて相討ち、最悪の場合は致命傷を負ってしまう。


 とても不安定で、そして危険な力なのだ。それは諸刃もろはの剣というだけではない。何時いつ何処どこで、誰を相手に使うのか…疑心暗鬼に囚われ闇雲に振るってしまえば、たがが外れた凶刃きょうじんと成り兼ねない。


 伝家の宝刀という言葉があるように、真に必要な時までは抜くのを控え、いざ抜いたら確実に仕留めねばならない。そのためにはあらゆる相手、あらゆる局面に対応できるように、もっと実戦経験を積む必要があるだろう。


 何とも矛盾した話である。しかし、武芸も魔法も本来はそういうものなのだ。彼女はようやく本当の意味で、貴族としての責務を果たすべきときが来たのかも知れない。そして、最後の仕上げとして、同時に二つの毛塊を並べた次第である。


 それにしても幾ら相手が魔物とはいえ、流石さすがに三日も共にすれば情も湧いてくるものだ。愛玩動物としては些か大き過ぎるが、こうして寝ている姿は可愛らしいと言えなくもない。


 近頃は鍛錬に明け暮れていたこともあり、彼女も当てられたように眠気が押し寄せてきた。ミストリアは中座ちゅうざして森に食材探しに出向いており、本当は留守居るすいを務めていなければならぬのだが、疲労の蓄積により立っているのも億劫となり、蹌踉よろけるように白茶の毛塊に背中を預けた。


 規則正しく収縮と拡張を繰り返すそれは、まるで上等な座蒲ざふのようであった。丸太兎は肉だけでなく、毛皮も高級品として珍重されており、あながち間違いでもないのだろう。


 自然と二体の処遇について思いを巡らせていた。このまま生け捕りにして市場に流せば幾許いくばくかの路銀となるだろうが、無論そんな不義理をするつもりはない。しかし、この先も連れて行く訳にはいかない。曲がりなりにも二体は魔物であり、人に危害を加えぬ保証はないのだ。


 正直、愛着がないと言えば嘘になる。りとて、人と魔物の間には生存競争という高い壁がそびえており、それを乗り越えるべきは今ではなかった。


 ミストリアが戻ったら森に帰そうと彼女は決意した。この先、二体がどうなるのかは分からない。呆気なく人に捕まりかてとなってしまうか、或いはつがいとして次代に命を繋いでいくのか。


 もし後者であったのならば、少しだけ羨ましいとも思う。好きな相手と未来を紡いでいく…それは、今の自分にはとても難しいことだ。出来る理由よりも、出来ない理由の方が多すぎて、考えることすらも辞めてしまったことだ。


 不意に、茂みの奥から微かに葉のこすれる音がした。ミストリアが戻ってきたのだろうか。間もなく訪れる別れに、一抹の寂しさを抱きながら腰を上げようとした瞬間、こちらに向けて攻性魔法が放出されたことを感知した。

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