第三章 EP(終)


エピローグ



 レイネリアを乗せた馬車は帝都カンヨウを抜けた後、街道を北上して途上の宿場町に寄りながら一週間走り続けた。そして、セイトの都を後にした車両はバラトリプル教国との国境、ケンモン関へと近付いていた。


 そこは雄大なターパ山脈を構成する大山たいざん、ダイケン山とショウケン山に挟まれた隘路あいろである。大山を越えることは人の足では不可能とされており、必然的に教国へはその道を通る他なく、大軍の進行を阻む天然の要害となっていた。


 かつての大戦においては、皇国軍からの防衛に重要な役割を果たしており、軍備に乏しい教国が独立を保てる大きな要因でもあった。現在は帝国側と教国側にそれぞれ関所が設けられており、両国に王国を加えた三国同盟に基づいて、原則的に通行の自由が保証されている。


 やがて、その門がはっきりと見えてきたとき、途上には久方ぶりの漆黒のローブの姿があった。どうやら間に合った…いや、待ってくれていたようだ。彼女は御者ぎょしゃに礼を告げると、声を張り上げながら黒衣に向けて駆け出していく。


「ミスティーー!!」


 いつかのように、振り向いたフードからは金糸の髪と翡翠の瞳が覗いていた。間違いなくミストリアである。しかし、やはりその表情は決して彼女を歓迎するものではないようだ。


「レイニー、なぜ来たの?」


 再び、彼女は問われていた。その覚悟は出来ているのかと、それに見合う力は得てきたのかと。だから、彼女が紡いだ答えもまた同じであった。


「私はあなたと一緒に旅がしたい。もう一度、私のことを認めてほしいの」


 ミストリアはそれ以上は問わず、黙って前方に手をかざすと障壁を展開させる。此処より先へと進むなら、自分を認めろと叫ぶなら、この程度の壁は乗り越えてみせろという意思が込められているようであった。


 それは未投射、不干渉、非接触の三層からなる害意に対応した恒常的な障壁ではなく、特定の脅威に向けて実戦的に展開される任意の障壁であった。前回は愛という構造的瑕疵かしにより擦り抜けることが出来たが、いま試されているものは純然たる力なのだ。


 彼女は悠然とした歩みでミストリアに近付くと、可視化された障壁に手を触れた。それは彼女を以ってしても進行を阻み、ミストリアとの間に永遠ともいえる境を作り出す。


 もしも、純粋な武力でこの障壁を突破しようとしたならば、恐らくは王国の軍事力を総動員しても不可能であっただろう。任意の障壁は意識して展開せねばならない分、恒常的な障壁をも上回る強度を誇っていた。


 しかし、事ここに至っては、それは問題ではなかった。彼女が身に付けたくう属性、その魔法を消去する力がミストリアにも通用するのか、ただその一点だけである。


 彼女の目前にはまた知覚の世界が広がっていた。そこには無数の球体があった。色も大きさも様々で、何より一つ一つがとても強靭だ。やはり、失礼ながら師傅しふとは比べ物にならなかった。


 しかし、それでも同じことなのだ。彼女はタルペイアの一件で学んだように、目に映る全てを消すのではなく、最小限の穴を空けて隙間を作り、あっさりと障壁の先にいるミストリアに肉薄した。そして、そのまま力強く抱き締める。不甲斐ない自分を詫びるように、また共に歩むことへの許しを乞うように…。


 それに応えるかのように、ミストリアも抱き締め返してくる。ここに証明がされた。故に認められた。再び二人の道は交わった。それを見届けたのか、反転した馬車が街道を走り去っていく。


 だから、誰も気付かなかった。彼女は感極まって、涙を零しながらミストリアを抱き締めている。だから、誰にも彼女を抱き締め返すミストリアの顔は窺えない。


 天人てんじん地姫ちぎとして崇められ、一国を凌駕する絶大な魔力を誇り、神の花嫁に相応しき美貌をたずさえ、友として常に傍に居た。そんな人物がいま何の取り繕いもせず、激憤と恍惚と哀情を余すことなく垂れ流していた。


 それは、有りていに言って狂っていた。


 これは、現代に蘇りし空属性を操る少女レイネリア=レイ=ホーリーデイと、伝説を生きる神々の忘れ形見ミストリア=シン=ジェイドロザリーが、秘匿された世界の果てに至るまでの物語である。

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