第二章 5-1


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「うわぁ…これはまた、どれくらいの人がいるのかしら」


 水火すいかたる御料車ごりょうしゃに揺られること一週間、広大な帝国領を南北に貫く街道を北上し、道中の宿場町で最高級の持て成しを受けた一行は、ついに皇帝の待つ帝都カンヨウへと到着した。


 レイネリアにとっては二度目となる訪問であったが、帝都の南側にそびえ立つ堅牢堅固けんろうけんごな大門をくぐり、帝宮ていきゅうに向けて大通りを進むと車窓に映った光景に目を見張った。


 帝国は質実剛健を国是こくぜとしており、外交上の威信に関わる場合は別として、基本的には過度な装飾や儀礼的行為を排する国家である。しかし、いま彼女の目に映るのは、まるで救国の英雄の凱旋を想起させるかのような、華美な修飾が施された外壁と街道の両端を埋め尽くす無数の群衆であった。


 それはミストリアの来訪を歓迎しているように観えた。帝国とはその拡大政策から対立する向きが強かったが、臣民の中には純粋に天人てんじん地姫ちぎを崇拝する者も数多くいるのだ。


 もっとも、今回においては帝国の思惑によるところが大きい。敢えて仰々ぎょうぎょうしく歓待することで、天人地姫とは友好的な関係にあり、決して脅威ではないと国内に向けて啓蒙けいもうする狙いがあるのだろう。


 単純な戦力でかなわぬのであれば、形式の上だけでも祀り上げてしまうことで有名無実化してしまえば良い。ミストリアとて、帝国が最低限の節度を保ちさえすれば敵対する必要はない…いや、出来なくなるのだ。


 やがて、御料車ごりょうしゃが宮殿へと近付くと、唐突に車両の壁が消え去り、中にいた三人の姿が衆目に晒される。その瞬間、周囲からは地響きのような歓声が沸き起こった。御料車に施されていた四鏡今鏡マジカル・ミラーによって、外部から隠すのではなく、敢えて見えるように可視化したのだろう。


 突然の事態に微動だに出来ずにいる彼女を尻目に、サナリエルは淑やかに手を振って群衆に応えている。ミストリアもまた慣れた様子で、指向性のない清らかな笑顔を浮かべており、それがより一層の神秘性を醸し出していた。


 ミストリアいわく、こういう時に一番楽なのは微笑みなのだという。特に何も考えずとも、相手は勝手にその表情に意味を見出みいだし、また作り出していく。それは相手の心を写す鏡となり、好意を寄せる者には祝福として、よこしまな感情を抱く者には警告として、相手が真に望み、また恐れるものとして現れるのだという。


 しかし、それはミストリアや皇女だから出来る芸当であった。仮に彼女が真似をしたとしても、そこまでの価値を相手に示すことは出来ない。その領域に達するまでには、まだまだ彼女では力不足なのであろう。


 そして、御料車が宮殿の門を通過すると、車両の壁は元へと戻り、ゆっくりと速度を落として停車する。やがて、扉が外側から開かれると、三人は皇女を先頭にして降車していった。


「遠路遥々、御身の来臨らいりんを賜り、帝国を代表して心より歓迎の意を表する」


 そこには文武百官を従えた今上皇帝きんじょうこうてい、ドミティアヌス=トク=ディアテスシャーの姿があった。先の軍事演習においては、陣幕で近侍きんじしていた彼女であったが、改めて帝宮にて対面する姿はあの時とはまるで別人のようであった。


 等しく後光が指すような重厚な存在感は、気を抜けば平伏してしまいそうなほどに威厳に溢れており、宴席では斯様かような人物と対峙していたのかと思うと、自身の無謀さと不遜さがにわかには信じられなかった。


 しかし、それ以上に過敏な反応を示したのはミストリアであった。皇帝へと向けられた表情は驚愕と狼狽に満ちており、美しい翡翠の瞳が濁りを帯びたかのように見開かれている。


 明らかに様子が変であった。如何に皇帝の面前であれど、帝国軍全てを相手取ることすらいとわなかったミストリアが、まるで時が止まったかのように茫然自失としていた。


 やがて、臣下たちの間からは不快感を伴う咳払いが聴こえてくる。ミストリアが我に返ったように答礼を述べると、皇帝はただ満足そうに頷くのであった。

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