第二章 4-1


-4-



「我が国に御身を奉迎ほうげいできたことを光栄に存じます」


 ハナラカシア王国がツキノア領に要塞を構えているように、ディアテスシャー帝国にもシュンプ平野を挟んだ先にそれはあった。リンシ要塞、帝国の威信に掛けて建造された南方の軍事拠点である。規模は王国側のゆうに倍はあり、城壁には側防塔そくぼうとう狭間はざまが所狭しと張り巡らされている。


 かつては王国による夷狄いてき討伐、土雲つちぐも熊襲くまそ俘囚ふしゅうなどとの戦いに際して、同盟国として助力することを主な目的としていた。しかし、辺境の異民族がことごとく王国に帰順し、領土の拡大と安定化が図られた現在においては、むしろ王国に対する睨みを利かせる役割へと変じていた。


 帝国の武力が顕在化した荘厳な建造物、そして一糸乱れず整列する兵士たちを背景として、薄手の軽やかな装束に身を包んだ貴人が優雅に一礼する。胸甲キュイラス臑当グリーブなどの防具は身に付けていないが、衣に刺繍された炎の紋章とその鮮やかな銀朱ぎんしゅの髪が、それがサナリエル皇女であることを如実に物語っていた。


 不意に一年前の記憶が蘇り、レイネリアは戸惑いを隠せずにいた。また皇女も言動とは裏腹に、その視線はミストリアではなく彼女に向けられているようであった。


「来週、帝都で典礼てんれいを挙行する運びとなり、此度こたびは不肖ながら私が案内役を仰せ付かりました。また、陛下も御会見ごかいけんを希望されております」


 本来であれば皇族が案内役を務めるなど、帝国の天人てんじん地姫ちぎに対する深い尊崇そんすうの現れと解すべきだが、既に皇女の暴走を経験済みの彼女は、これもまた何らかの思惑によるものではないかと感じていた。


 しかし、斯様かようなことよりも憂慮すべき問題がある。彼女はミストリアを一瞥するが、その澄ました表情からは胸中を窺い知ることは出来ない。彼女は意を決すると、皇女に向けて毅然とした態度で返礼した。


はなはだ畏れ多きことなれど、天人地姫に代わり皇女サナリエル様に申し上げます。貴国の奉迎の意に感謝いたしますが、この地より帝都までは幾らか時を要する故、典礼てんれい御会見ごかいけん今暫いましばらくお待ち頂きたく存じます」


 帝国の南端から帝都まではおよそ二ヶ月を要すると見込んでいた。それを来週に挙行するとは、即ち馬車での移動を念頭に入れているということだ。つまりは、何時いつぞやのように御料車ごりょうしゃへの同乗を要求するものであり、等しく御幸ごこうへの介入であった。


 しかし、皇女には到底承諾できぬようで、また美麗な尊顔を露骨に歪めていた。それも無理からぬことではある。皇帝の勅命である以上、独断でひるがえすことなど出来る訳がないのだ。互いの使命と矜持の狭間で、火花を散らすように視線を交わせていた二人であったが、やがて皇女がへそを曲げるように不平を述べた。


「ニー様、次にお逢いしたときはサニーと呼ぶと約束したではありませんか」


 どうやら先ほどまでの睨み合いは思い違いであったようだ。心做こころなしかミストリアからの視線が痛いが、今はそれどころではない。まるで生娘きむすめのようにねる姿を見兼ねて背後に控える兵士が何やらいさめると、皇女は再び優美な表情を取りつくろって言葉を続けた。


「レイネリア殿も異なことを申す。あれほど帝国への礼を失すると恐れていたのはそなたではないか」


 それは半ば想定済みの問答であった。ホーリーデイ家は天人地姫の庇護者であると同時に、その意思を本人に代わり伝える代弁者でもある。故に、弁が立つこともまた必須の素養であった。


「それは王国の使者だからにございます。此度は天人地姫の陪従者ばいじゅうしゃとして拝謁している故、恐れながら礼を失しているのは帝国かと存じます」


 全くの正論であった。ヌーナ大陸において天人地姫に干渉できる者などいない。してや御幸ともなれば、如何なる介入も許される道理がない。もっとも、先のツキノア家のように歓待と称して留めることは往々にしてあるようだが。


 しかし、必ずしも正論がまかり通るほど人の世は容易くない。如何に正鵠せいこくを射ようとも、力なき文は武の前に屈せざるを得ない。皇女の後ろに控えていた兵士たちが血走った目で彼女を睨み付けていた。


「控えよ、レイネリア殿の申すとおりである。しかし、妾とて陛下より大任を仰せつかった身、すれば帝都まで陪従するより他あるまい」


 それは旅の同行の宣言であった。皇女のったりの表情を受け、始めから狙いがそこにあったことに彼女は気付かされた。まんまと皇女に口実を与えてしまった訳である。


 皇女の突然の宣言に兵士たちは動揺を隠せないでいたが、当の本人は至って平然な顔をしていた。むしろ、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら彼女たちのもとへと近付いてくる。


「二人とも仲が宜しいことね。此処にいたらしまうから、早く御料車に乗せて貰えないかしら」


 荒野から運ばれる熱風に反し、冷淡な言葉が二人を凍り付かせた。先ほどから沈黙を守っていたミストリアが、あっさりと同乗を受け入れたのである。


「どうせ施しはもう済ませてあるのでしょう」


 ミストリアの射抜くような視線を皇女がさらりと受け流す。王国や教国と違い、帝国にとって天人地姫による救世済民きゅうせいさいみんは、必ずしも諸手もろてを挙げて歓迎すべきことではなかった。


 それは自国の難題、臣民の救済を他者に委ねることに他ならぬからだ。故に、御幸を前に民衆の不平不満を解消し、困窮者に救いの手を差し伸べることが慣習となっていた。


 未だ要領を得ない彼女を押し込むようにして、三人は御料車へと乗り込むと、帝都への長い旅路に就いたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る