第538話 商店街の日常
第二階層の商店街。散々外部に荒らされたこの区画も、商売人達の根性によって着々と復興を見せていた。客足も以前のようにとは言えないが、それでも経営を維持できるぐらいには戻ってきている。
「ばあさん、飴玉三つ」
「あいよ。銀貨一枚だ」
「さり気なくぼったくるの止めろクソババア」
「チッ。青銅貨三枚だ」
ゼラの舌打ちに白目を剥きながらも、クオークは会計を終える。その際ロッキングチェアに座る彼女の足元で、だらりと目を閉じているハワードの頭を撫でてやった。
「にしてもあんた、最近飴玉ばっか買うねえ。幼児退行でもしたか」
「何かさー……あんなことがあったから。こんなちっぽけな飴玉の味が恋しいなあって」
「……」
「おんどりゃー! 何だ何だ、シケた状況になってんな!」
商品がたんまり詰め込まれた箱を抱えて、どかどか入ってくるのはシャゼム。
「おお、今日もババアの手伝いに精が出るな獅子男」
「ぶっちゃけ学業サボってばあちゃんの手伝いしたいぜ!」
「これがスターゲイジーに溺れた末路か……」
「ふん……」
「何だばあちゃん? 言いたいことありそうな顔して?」
「わかるのかい」
「何年ばあちゃんの孫やってきたと思ってる!」
「……」
「……あんたら二人じゃ締まらんと思ってねえ」
一瞬だけ、三人の時間が静まり返る。
「……あー。それはまあ、わかります」
「俺達が一番そう思ってるし……」
「……ったく。何をしているんだろうね、ガゼルは」
「僕がどうかしましたかぁー?」
店の入り口から、彼はひょっこり顔を覗かせていた。
その事実を飲み込むまでに数秒程かかる。
「……あっ!? お前ガゼル!? 帰ってきてたのか!?」
「んなら先に言ってくれよー!!」
「いやあ済まない済まない。では、こちらにどうぞー」
「「ん?」」
ガゼルが案内したのは――
「……うう……」
「……誰?」
「マジで誰?」
「何だい、あたしよりも背中が曲がってるじゃないか」
その男は確かに背中を丸めながら、老いぼれた足で店に足を踏み入れる。
顔も腕もしわくちゃで、最早原型を留めていない。
「色々訊きたいことがあるから取り敢えず三文で」
「お出かけした 知り合った 店に興味示したので案内」
「はいはい把握。でも店つったって、ここ日用品売ってる店だぞ」
「だからこそだよ。グレイスウィルでは人はどう過ごしているのか、気になるんだって」
「……?」
クオークの不思議そうな態度を横に、男は商品を物色している。
真っ赤に実ったラズベリーの実を――小分けにしている箱から、取り出そうとしていた。
「何やってんだい、全く! ああ……お陰で立ち上がることになっちまった!」
「ああ……」
「ガルルルル……!」
ゼラが急ぎ足で男に迫って、その手を叩き落とす。
ハワードも追い着いて完全に威嚇体勢だ。
「こいつ金銭取引もわからないような世界から来たのか?」
「いや、そこは理解できてるよ。これ箱で一つの品物なんですよ。取り出さずに丸ごと持っていってください」
「……そこなのか?」
ガゼルは持ってきた籠を男に渡す。震えながらもそれを受け取り、男はラズベリーの箱を入れる。
「……他に何か見て回るかい」
「んー、日用品とかどうです?」
「……」
「ありゃ、食べ物にしか興味ないみたいだ。でもそりゃあそうか……外の世界の物なんて、滅多に食べられないからなあ」
「マジでどんな所に行ったらこんなのと知り合うんだ?」
折角なのでクオークとシャゼムも彼の買い物に付き合う。
「外の世界っつーと……バドゥ地方から来たのかか?」
「あそこってでっかい河があって乗り越えるのは無理って話じゃないっけ?」
「バーカ、ルドミリア先生ちょくちょくフィールドワークに行ってるだろ。無理ではないが綿密な下準備がいるってことだよ」
「そういえばそうだった……ルドミリア先生ぐらいの魔術師でもやっとなんだな。だとしたら、こいつは……?」
「河に流されて偶然拾われたとか?」
「なんて勝手に妄想繰り広げたけど結局どうなのさ」
「それは……」
「!!!」
男は籠を持っていた手を離し、ガゼルにしがみつく。
「ああ、わかってますとも。……外に出るのはいいけど素性を明かさないって頼まれてね」
「何だそりゃ……んでもまあ、ガゼルが連れてきたってことは悪い奴じゃねえんだろ」
「そう思う?」
「何年お前とつるんでやがる」
「確かに最近お前は単独行動多くなったけど……でも悪いことはしてないって、そう思ってるぜ!」
「シャゼム……クオーク……」
「ほれ何感傷に浸ってんだい。あの男ふらふら行っちまったよ」
「あ、待って待って!! 商品にべたべた触るのはよろしくないですー!!」
それから一時間程過ぎて。
「おやっさーん、ただいま!」
「おう、お帰りガゼル!」
「へいらっしゃい! ってガゼルか!」
自分の家――大衆食堂カーセラムの入り口から入ったガゼルは、ラニキとおやっさんに出迎えられる。
第二階層復興の気に煽られるように、カーセラムは今日も今日とて営業中。ただ、一部の座席や机には傷や焦げ跡が痛々しく残っていた。
「ほらほらさっさと三階に上がれー。お客さんが見てっと」
「後で部屋にラタトゥイユ持ってくからな。ま、ゆっくりしてってくれ」
「はいはーい。ささっ、こっちです」
「……」
男と荷物をエスコートしながら、ガゼルは厨房の隣にある階段を昇っていく。
(……僕には昔の記憶がなかった)
(それをおやっさんが拾ってくれて……しかも有難いことに、魔法学園にまで通わせてくれた。記憶について一切訊こうとはせずに、僕を包み込んでくれた)
(人望無しって罵られることこそ、最初はあったけど……そのたんびに叱りにすっ飛んできた。今思えばとんでもない営業妨害だったなあ……)
(おやっさんには感謝してもし切れない。だからこそ……)
「僕は僕のやるべきことをやらないといけない」
そっと呟いて、自分が居候している部屋の扉を開く。
勉強机の前に置かれた椅子に、薄いクリーム色のローブを着た魔術師が座っている。
「……ああ、ガゼル君か。このカレーライスという料理、とても美味しかったよ」
「ありがとうございます、ジャファルさん。実はそれおやっさんが開発した新メニューなんですよ」
「そんな物を食べさせてもらえたなんて……」
「今度のおやっさんは気合が違います。アンディネの一部でしか食べられていないこの料理を、イングレンス中に広めてみせるって言ってました」
「何て素晴らしい熱意だ……ふふ……」
にっこりと笑うジャファルの隣に、よぼよぼの男が歩いていく。
「……ジャファル、さま」
「どうだったかい、グレイスウィルの街は」
「にぎやかで……美味しい物も、あって……」
買い物袋の中を見せる。
「そうかそうか……よかった」
「今から、これ、食べる……」
「ならラニキに料理してもらおっか。持っていきますね」
「あっ……ああ……」
「大丈夫、全部は持っていきませんよ。それに食材のまま食べるより、加工した方が絶対美味しいです。加えてここにいるのは一流の料理人ばかりだ」
「……」
男は震えながら買い物袋をガゼルに託す。
「よし、じゃあ行ってきます。暫くお待ちくださいね」
(……俺には昔の記憶がない。故に剣を振るうことで、存在意義を満たしていた)
(それでアンディネ大陸を彷徨っていた所を……おやっさんが拾ってくれた。殺そうとしたのにも関わらず)
(一緒にアルブリアに渡って、そこでカーセラムを開く手伝いをした。料理についても一から丁寧に教えてくれた。俺が何者かなんて、一言も訊こうとはしなかった)
(お陰様で今はこんなにも、生徒やお客さんと楽しい日々を送れている。実に楽しい日々だ――)
(だからこそ、離れたくねえんだよな)
「おいラニキ」
「……ん」
「ガゼルから追加の注文だ。こいつを使って何か作ってほしいって」
そう言っておやっさんは買い物袋を渡してきた。
その中を見ると、この食材ならこのような料理ができるなと、自然と頭の中で組み上がる。
「……なあ、おやっさん」
「何だ?」
「おやっさんって……俺のこと、ずっとラニキって呼んでくれてるよな」
「そりゃあ、お前と出会った時に付けた名前だからな。ずっとラしか言えなくて、それで兄貴っぽい姿してたからラニキだ」
「……本当の名前を知りたいとは思わねえのか?」
「だったらお前は教えてくれるのか?」
「……いや。それは、その……」
「ならいいんだよ。お前の本名を知らないことで不都合は起きてないしな。教えたことで不都合が起こるってなら、そっちの方が問題だ」
「……」
「さあ、お客さんに料理を作ってあげるんだろ。早くしないと痺れを切らしてしまうぜ」
そう言っておやっさんは洗い物の仕事に戻る。
途中で生徒と思われる客が話しかけてきて、何か相談に乗りつつ手を動かしていた。
(……今だってそうだ。あいつが自分の部屋に誰か連れてきても、それについて深く言及しない。ローブの男としわがれた野郎って、どう見ても怪しいのにな)
(……優しすぎる。優しすぎるんだよ、おやっさん。いつかそのうち足元を掬われそうで怖い……)
(俺が……俺がどうにかして、守ってやらないと。それが恩返しだ)
(……俺には、それができる力がある)
ラズベリーの実を煮詰めて、軽くジャムにしてシフォンケーキにかける。カシューナッツは炒めて細切れにした鶏肉と野菜を添えて。
それからお気に入りの料理であるラタトゥイユを持って、ラニキは上に昇る。
「そぉれ、お待たせ。とびっきりの腕を振るってやったぜ」
「……!!!」
「何ていい匂い……涎が溢れてしまいそうだ」
「……」
「おうおうあんた、泣いてるのか? ならこれ食ったら干からびちまうな」
ちゃぶ台にどんどんと料理を置く。全部揃った所で、男は喰らい付くように手を伸ばす。
「ほら、手で食べようとしないで。ちゃんとスプーンを持ちなさい」
「……」
「……いいか、君は一人の人間なんだ。言葉を覚えずに生きてきた獣ではない……だからせめて、せめて、最期まで人間でいなさい……」
「……うう……」
男は大粒の涙と共に、目の前の料理を噛み締めて味わっていく。
「……老化の術式、か。それも急速なやつ、身体への負荷は計り知れない」
「貴方の主君も本当に酷い物を……」
「……」
目の前で飯を貪り食う男の肩に、腐れ落ちた紋様が浮かんでいるのが目に入る。
それは今にも彼自身を喰らい尽くそうとしていた。
「……二十五歳だ。まだ未来もあったろうに……少しだけ、ほんの少しだけだ。あの御方のお気に障ってしまったばかりに……」
「もう余命幾ばくか、なんだよな」
「……ああ。帰る頃にはは……エレナージュに、ペスタに帰る頃には。もう……」
「……ジャファルさんもお辛いでしょう」
「平気さ。もう平気になってしまった。こうして斃れていく者達を、私は何人も見送ってきた」
懐から物体を取り出すジャファル。
それは片手で握れる大きさの、何かを射出する道具--或いは武器。
「私も彼のようになってもおかしくはないんだ。今生きていられるのはこれがあるから……これに心血を注ぐことが、私の命を繋ぎ留めている」
「……どうなんですか、それ」
「正直、逃げられるなら逃げた方がいいのだろう。でもそうするわけにはいかないんだ……」
「……妻との誓いに懸けて。私は殿下を改心させるように努めなければ……」
汚い咀嚼音も、今は哀れんで聞こえてくる。
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