第509話 彼女の信念

「……ああ?」



 男は見た。森の片隅から、紫の煙が噴き出したのを。



「おっと……随分と大層なお出ましだなぁ?」



 出てきたのは深緑の髪をしていた。赤ではない。



「目的のではないがまあいい――遊んでや」











   自分が逆に遊ばれたと気付いたのは、




   腕に着いた傷が赤ではなく、




   紫をしていたのを見たから。











「……!!!」




 言葉も発さず、ただ悶えて、形容し難い物を多量に噴き出して。



 とうとうそれは肉塊に戻っていった。






「ひっ……ひいいいい……!!!」

「殺せ!!! たかだかガキだ!!! 大したことはねえ!!!」






 錯乱して逃げる者、襲いかかる者、状況が飲み込めていない者、茫然自失した者。



 全て等しく、毒に沈んで溺れ死ぬ。






「おおおおおおお俺はもう降りる!!!! 逃げる!!!」

「……」


「何だお前? 薄ら笑いなんて浮かべて、気が狂ったか!?!?」

「……沼だ……」




「え?」




「だから、言ってるだろ……沼だ!!! 噂に聞いてたあの暗殺一族を、まさかこんな所でお目にかかるとはなあ――!!!」











 戦況は拮抗状態。どうやら連中は、数を武器にこちらの体力を削ぐつもりらしい。



 それがわかった所でどうにもならない――という所に、伝令と思われる小柄な男が割り込んできた。






「ボス! ボスぅぅぅ!!!」

「何だぁ!? こちとら忙しいんだよ!!!」

「沼です!!! 沼が現れました!!!」

「……あ゛あ゛!?」


「深緑の髪に紫の瞳の!!! も、もうこちらは壊滅状態です……!!!」

「ほーう……!!!」




 するとボスと呼ばれたその男は、アーサーとイザークから興味を失ったのか、


 にやりと気持ち悪い笑いを浮かべて、伝令が来た方向に走り去っていく。






 他の連中もその後を追っていき、戦況は急速に変転していった。




 アーサーとイザークは当然のように、ある可能性に思い当たる--




「……深緑の髪、紫の瞳、って……」

「まさか……!!」











 血が舞い悶声が躍る。人間以外の生命は、彼女に恐れを為して震え縮こまる。




 二本の刃に血が滴る。片方は予てから愛用している、アレキサンドライトが埋め込まれた短剣。もう片方は、それとお揃いの、アメジストが埋め込まれた短剣。




 青白い光が彼女を照らす。風に揺れる深緑の髪は不幸の象徴。紫の瞳には純粋なまでの殺意が宿る。






 服装もそれに合わせてか。


 学生服ではなく、宵闇に溶ける紫装束に変わっていた。











「……」




 周囲を見回す。辺りに転がっているのは血を撒き散らす死体だけ。


 動いているものの方が数少ない。逆に目立つ。




「……いた」






 飛ぶように走り、舞うように刃を斬り付ける。



 標的は断末魔を上げることすら許されない。傷は僅かでも毒が瞬時に回って、内部から破滅に至らせる。






「ひ、ひいいいい……!!!」

「は……ははは!!!」






 背後から不意打ちを喰らわせるような、暗器が飛んでくる。



 それを弾いたのは――彼女にとてもとても従順な騎士。



 タキシードを纏ったゴブリンのセバスン。






「な、何だと!!! 沼の癖して使い魔持ちか!!!」

「お嬢様、背中はお任せください」

「うん」




 敵の位置は掴めた。



 わかったらそこに飛んでいくことは容易だ。








「ぬ……沼あああああああ!!! へへへへへへ……!!!!」






 接敵したら、あとは教わった通りに刃を振り下ろす。



 重装備でも構わない。毒はそれすらも厭わない。



 擦り傷一つが致命傷になる。








「「「ぎゃああああああああ……!!!」」」











「……」

「……」






 静かになった。




 あれだけけたたましかったのが嘘のように。




 恐る恐る洞から出ていく――






「カタリ……ナ?」

「っ……」



 むせ返るような血と腐敗の臭い。視界に必ず入ってくる人だったもの。



 しかしそれらを目の当たりにした衝撃を差し置いてでも、今は探さないといけないものがある。



「……!」

「金属の音……!」






 音を頼りに向かっていくと――











「……」

「カタリナ!! 目を覚ませ!!」


「……」

「オレだ!! アーサーだ!! 賊じゃない!!」






 二本の短剣で繰り出される、切れ目のない斬撃。



 アーサーは剣をそれらに合わせるように動かし、確実に弾く。





 自分は相手のことを理解しているが、相手はそうではないらしい。



 集中しすぎて我を忘れている――








「アーサー!! 今確認した!! 結界壊れてる!!」

「そうか――なら、これで帰れる、なっ!!」



「……」

「だから!! もう戦いは終わった!! 正気に戻れ……!!」






 エリスとギネヴィアが見たのはその光景。






「……!!」




 大切な人と友達が、交戦している。



 友達の方は殺すつもりでいる――






「だめ……カタリナっ!!!」








 ギネヴィアが止めるのも聞き入れず。



 臭いも視界も眩む程の速さで。



 カタリナに体当たりをする――






「ぐっ……!!!」











 地面に倒された彼女が目を開くと、



 赤い髪の友達が身体にのしかかっていた。



 緑の瞳から零れた涙が落ちる感覚が、



 波紋のように拡がっていく。








「エリ……ス……」




 記憶。




 目的を遂行する為に、信念を果たす為に、




 敢えて認識しないようにしていたそれが、溢れんばかりに脳裏を過る。






「あ……ああ……」




 血の臭い。腐敗臭。それらを発生させる要因となったのは誰だ?



 アーサー。友達。彼に斬りかかったのは誰だ?





 正当防衛。聞こえはいいだろう。しかし事実を捻じ曲げはしない。



 未だに残っている。皮膚を斬り付けるあの感覚が。毒に苦しみ悶え死んでいく姿が。






「ああああああ……!!!!!」






 落ちる涙に混じって自分からも汗が噴き出す。



 彼女を振り落とすように身体が震える。





 泳ぎ出した目は空を木々を映し出し、脳に認識されないまま溺れる。



 口から発せられるのは、アルミラージの威嚇にも劣らない奇怪で不快な甲高い音だ。







「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
















 数日後。




 百合の塔への道を、満足気に歩いていく女子生徒と雪だるまのような少女がいた。






「いや~」


「ほっくほくだったね~」


「なので~す」



 木曜日から三日間、魔物学のフィールドワークで出計らっていたリーシャとスノウである。






「いっぱい買っちゃったもんね~。おからドーナツ」

「おからが入っているのでへるしいなのです!」

「でもおからが何なのかは教えてくれなかったよね~」

「きっとすてきなものなのです!」






 そうこうしている間に、自分の居室に到着した。



 ぐいっと扉を開けて――






「たっだいまー! リーシャちゃんが帰ってきたわよー! 美味しいおみや買ってきたから皆で食べよー!」

「なのでーす!」






「「……あれ?」」








 叫んでから空気感に気が付いた。




 エリス、ギネヴィア、クラリア、サラの四人が、沈痛な面持ちでリビングに集まっている。






「……あのー、ただいま?」

「……ん」


「えっと……何かごめんね?」

「ああ……そういえばアナタ、フィールドワークだったわね……」


「私のいない間に何かあったの? あとこれおみや。おからっつーもんが入ってるドーナツだよ。美味しいよ」

「水をもってくるのです!」

「……」




 無言でドーナツに手を伸ばすクラリア。そして蹲ったままのエリスは、手紙を一枚渡してきた。




「……誰から?」

「……カタリナ」

「え?」

「とにかく読んで……」

「……」






 手紙を開くと、



 実に彼女らしい、丁寧な文字で、たったこれだけ。








『ごめんなさい。あたしはもう皆と一緒にいられません。実家に帰って二度と姿を見せません。さようなら』

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