第460話 三騎士と女王
それから数日間で、わたしが騎士になる準備はさくさくと進んでいった。
宣誓式とか、騎士になるにあたっての注意事項とか、鎧の発注とか……見たことのない高級品を何度も見かけ、その度に驚いて声を上げた。
そしてこの日がやってきた。
ティンタジェル入城――騎士の中で最も偉大な方に、挨拶する日だ。
時間は午後六時ぐらい。すっかり暗くなって、壁掛けのランタンがぽちぽち点灯する。
「ううう……」
緊張でお腹が痛い。あの人に殴られた時よりも痛い。
何より服が堅苦しい。今までは軽い布の服だったのに、今日からは白銀の鎖帷子だ。わたしの身体は全身筋肉痛で許すだろうか。
当然わたしの腰には、特製の鞘に納められた
本当に、この剣がすごい剣なの……?
「ははは、圧倒されているかな。この城の雰囲気に」
「……圧倒されない方が無理ですよぉ」
モードレッド様はあの日以来、わたしにとてもよくしてくれている。
騎士になるにあたっての準備も大体行ってくれた。何もわからないわたしに色んなことを教えてくれた。
わたしに対して何かしらの不満を抱えていそうな人は、全てモードレッド様には従ってて……この人がいなかったら、こうして城に立ち入ることも叶わなかっただろう。
「確かに平民には近寄り難い雰囲気であるが、直に慣れるさ。逆に今は存分に緊張するといい」
「な、何だかそんなこと言われるなんて想定外……」
「他の騎士とは違い、私は少し引いた観点から物事を見なければならないのでね」
「……ご意見番?」
「そういうことだ。健全な組織運営には、歯に衣着せずに進言できる者が必須だ」
そういう話をしていたら、遂にやってきてしまった。
「ああ……」
「こ、この先に、いるんですね……」
「その通りだ。この応接室に、三騎士と呼ばれる者がいる」
「聖杯を守る騎士達を取り纏める騎士――今後君が指示を仰ぐ、上司となる人間だ」
こういう時には、モードレッド様の優しい説明も淡々と聞こえてくる。
そして彼は扉を開け放った。
「先ずは挨拶をするといい、初対面で好印象を植え付けるんだ」
「……よーし」
考えられる中で最大限の礼節をこなす――
「……失礼します!!! こんにちはーっ!!! ギネヴィアと申しますー!!!」
大きな声で挨拶をして部屋に入る。そして頭を下げる。
「……」
「話には聞いていたが、予想通りの小娘だな」
低く広がる澱みのない声。
わたしはそれに対して、呆気に取られながら顔を上げる。
視線の先には丸い机を囲うようにして、二人の人がソファーに座っていた。
「……日中は未だ客人が城を訪れる。今のような大声は響く、故に出すのはやめてもらいたい」
銀色の長髪で赤い瞳の男性が、怒りを含んだ声でそう言った。
「まあまあ許してあげて? ここに来るのは初めてなんだし、わからないこともあるでしょう?」
金色の髪で青い瞳の、三つ編みを団子状に纏めた女性が咎めるように言った。
「……それで、その小娘が
「その通りだ、マーリン」
「田舎臭い子供ねえ。まあいいわ、お菓子でも食べてって頂戴」
「ではエリザベス、君の隣に座らせてもらおうか」
何だか凄い時間が流れたように感じたけど――
とにかくわたしは女性の――エリザベス様の隣に座った。歩く時に手と足が同時に動いていたらしく、鼻で笑われた。
「あらぁ~……こういう場所、初めて?」
「は、はいっ……!」
「緊張が続くようなら茶を飲むに限る。どうぞ」
モードレッド様が慣れた手付きで紅茶を淹れ、それを勧めてきた。
「で、ではいただきます……」
「……!!」
口に含んだ瞬間、すっきりとした味が口いっぱいに広がる。
それはすぐにわたしの身体を駆け巡って、心地良い快感を与えてきて――
「……何故泣く必要がある? たかだか紅茶の一つではないか」
「ずぅ……ずっ、ずみましぇええ……」
淹れ立ては必ずあの人が頂いていったので、わたしは出し切った残りカスしか飲んだことがなかったんです……!
「責めてやるなマーリン。余程主だった男から酷い扱いを受けてきたのだろう」
「……それぐらいの悲劇性があった方が、創世の女神の御眼鏡にも適うってものだろう?」
モードレッド様は
「……貴方ってほんっとそういうの好きよねえ。この影の世界被れが」
「運命についての文章が散乱しているご時世、詩的にならない方が珍しいと思うな」
「私はそういうの好きじゃないの。現実主義者だからね」
「……にしてもこの小娘、本当に
……え? 今、何て?
「女王……陛下……?」
「ん? ……あー! そうね、それを説明しなきゃいけないわね。貴女の仕事内容にも関わることだし」
「説明には貴君が適任だと考えるが。騎士に取り立てたのは貴君だぞ、最後まで責任を持て」
マーリン様もエリザベス様も、モードレッド様をじっと見つめている。
「……勿論そのつもりだったよ。君達のような捻くれた者には、任せ難いからな」
「……」
「……」
「あ、あのっ……!!」
これは、あの人に仕えていた時にも感じた空気……いわゆる一触即発!!!
「えーと、騎士の仕事とは、聖杯に仇成す敵、例えば魔物や賊といった存在を、駆逐することではないのでしょうか……!?」
「……」
「……」
こういう時の対処法。何とかして話題を逸らす。
「……逆に訊こう。君は自分に、そのような仕事が務まると思うか?」
「う……」
無理。断固として無理。
「答えなくていいわよ。普通に考えて、従者やってたようなひよっ子に務まるわけないでしょう?」
「……はい」
事実だし反論のしようがない。というか、話題を無事に逸らせたことへの安心感の方が今は大きい。
「だから貴君には別の仕事を与える。それは討伐任務と同じぐらい、いやそれ以上に重要なことだ。
「え……」
また心臓が大きく鳴る。もう勘弁してほしい。一体わたしに何をさせようって言うんですか。
「では……善は急げだ。女王陛下の元に案内しろ」
「そう気を急がせるな……」
「……何だと?」
再び一触即発の危機。三騎士っていつもこんな関係性なんですか……?
そして今度は、わたしより先にモードレッド様が口を開いた。
「まだ彼女は君達の名前を知らない。最後に自己紹介をしていってくれ」
それを受けて、やれやれと肩を竦める二人。
「……マーリン。マーリン・グレイスウィル。三騎士の一人だ。仕事は聖杯及び騎士達の管理。以上だ」
ぶっきらぼうに言った後、お代わりの紅茶を注ぐ。
こう……あれだな。性格は悪いけど、それでも人がついていくカリスマがある。そんな感じの人だ。
「エリザベス・ピュリアよ。騎士達の上に立ち騎士達を率いる存在、三騎士の一人。普段は聖杯の恵みを必要としている人に耳を傾けたり、聖杯の力を授かるように誘ったりといった仕事をしているわ。よろしくね」
その後エリザベス様は、お菓子を一つ口に入れる。
一連の動作が何だか艶やか……魅力ってやつかな?
「マーリン様、エリザベス様……改めまして、ギネヴィアです。今後ともよろしくお願いいたします……」
と、名乗った時点で重大なことに気が付いた。
「あれ……お二人は三騎士ですよね?」
「そうだけど、何よ。モードレッドから説明聞かなかったの?」
「いえっ! 聞いてはいたんですけど、その、三騎士なのにお二人しかいないのはどうしてなのかと思いまして……!」
するとマーリン様もエリザベス様も、揃ってモードレッド様を睨む。
「三人目はそこのそいつよ。モードレッド!」
「……えっ!?」
「……何故説明しておかなかった?」
「私の活動において、そのような地位は無意味だからだ」
「下にあろうとも上にいようともやるべきことには変わりない……それではギネヴィア」
改めて切り出されて、わたしは背筋を正す。
「女王陛下の下へ向かうとしよう。君も腹は満たせたかな?」
「は、はい!!」
何かもうすぐに消化された感じがするけど、とりあえず食べるだけ食べた。
「ふふ、いい返事だ。では私はこれで」
「失礼します!!!」
来た時と同じぐらいの勢いで、わたしは返事をして頭を下げた。
そしてモードレッド様と部屋を出ていく。
お城の構造は三階立て。一階は人が待ち合わせる大広間、あと聖杯に関する壁画とかがいっぱい飾られてる。文字はそんなに読めるわけじゃないけど、多分そんな感じだった。
二階には廊下があって、そして謁見の間と呼ばれる部屋がある。ここに聖杯が置かれていて、騎士達によって出入りが厳重に管理されている。
……謁見? 聖杯って人じゃないよね? 物だよね? 謁見って言葉になるぐらい、すごいってこと? さっきの女王陛下っていうのにも関係が?
そんなわたしの疑問は、三階に上がったことで全て解消された。
「……ここは女王陛下とその関係者しか立ち入ることのできない、聖地の最奥と言ってもいい」
モードレッド様は、そんなことを言いながらわたしの前をつかつか歩く。
謁見の間の両隣にある階段、それを上るとまた廊下がある。昇ってすぐ右手には大きな扉があった。あそこから出ると、ティンタジェルの街が一望できるらしい。
今来ているのは、その大扉とは正反対の扉。両開きで豪勢な装飾が施されている。
「――女王陛下。モードレッドでございます。貴女様に会わせたいお方がいらっしゃいます――」
「今後貴女様に最も近い立場にあられる予定ですので、しっかりと顔を覚えてくださればと……」
「ええ、承知しました。それでは、お二人でごゆっくりと」
扉越しに会話をした後、モードレッド様はわたしに向き直る。
……ちょっと待って? 今、お二人でって言った?
「……先ずは女王陛下に挨拶をしてきなさい。それが終わったら、ここの部屋に戻るように」
「……わたし一人だけでですか?」
「陛下はそれを望んでおられる。あまり張り詰めずに、肩の力を抜いていくといい」
そう言ってモードレッド様は、豪勢な扉から見て左手の部屋に入っていった。
そこは控え室みたいな雰囲気だったけど、今はそんなことはどうでもいいんだよ。
「え……ええ?」
挨拶をしなければならない。でも、挨拶って言われても……急に……?
「……ううっ」
女王陛下……どんな人だろう……お母さんのように優しい女性か、女天下のすごい横暴な女性かのどっちかだよね……
いや、どっちにしても、一歩間違えれば殺されるかもしれない……!!
……
……
……ええい、
今度こそ、
もうどうにでも――
「――失礼しま「きゃあっ!?」
……え?
「え……え? あ、あの……?」
顔だけを突っ込んで、部屋の中を見回す。高級品の魔法松明とか、すごく高そうな家具の数々とか、驚く物はたくさんあったけど、
今はそんなこと重要じゃない。というか、全部吹っ飛んだ。
「……はぁ。びっくりしちゃった……」
両開きの扉。その開いた片方の扉に、ちょうど隠れるような状態で、
女の子がいた。
「……え?」
「……え?」
わたしはきょとんとした。女の子の方もきょとんとしている。
立ち位置からして、わたしと同じタイミングで、扉を開けようとしていたのかもしれない。
「……」
腰ぐらいまである赤い髪、まあるい緑の瞳。肌は真っ白で、白いワンピースを着ている。
わたしの心は無意識のうちに苺を連想していた。
その時、既に満たされたはずの腹が鳴り響き――
「……美味しそう」
わたしは、そう口走った。
「……」
「……」
「……」
「……え? わたし……美味しそう?」
戸惑いを隠せない声色で女の子はそう言った。それもそうだよね、わたしだって意味わかんな――
って!!! 何言ってるんだわたし!!! これまでの話を思い出せ!!! 女王陛下って、この子のことじゃないのか!?!?
ああああああ!!! やってしまった!!! やってしまったああああああ!!! 女王陛下に向かって開口一番なんてことを!!! もうこの場で首を撥ねられてもおかしくは――
「ぷぷっ……」
……ん?
「あはは……」
……え?
「……あははははは……!」
……あれ?
……笑ってる?
「……お姉ちゃん、変な人! わたしのこと見て、美味しそうって言ったの、お姉ちゃんが初めて!」
そう言って、女の子は扉を閉めてから、
「ねっ! お話しましょ!」
わたしに――抱き着いた。
「えっ……えっえっ!?」
どうすればいい? えっと、本当にどうすればいいんですか?
「……嫌? わたしとお話、嫌?」
「いえいえ全然大丈夫ですよ!? 滅相もありませんよ!?」
女王陛下に抱き着かれているって状況、あの人に言ったらどんな反応をするだろうか。
二度と叶うはずのない空想をしているわたしの目の前で、女の子は笑顔を咲かせる。
「じゃあ……えっと、このままでもいい?」
「へ?」
「わたし、ぎゅーしてもらったことなかったから……だから、お姉ちゃんにぎゅーしてもらいたいな……」
「……」
何も言わず、わたしは女の子を抱き締める。
綺麗な髪を撫でる。女の子の吐息が部屋の中に満ちていく。
年相応の可愛らしい声だ--尋ねたわけじゃないけど、そう思った。
「……お姉ちゃんの腕、あったかいね。他の騎士さまとは違う。一番あったかくて、一番力強くて、一番……」
声がわたしの胸に埋もれていく。わたしの両耳は、その中ですすり泣く声を捉えた。
「……女王陛下」
「わたしは……ギネヴィアと申します。
まあとりあえずこんな感じで――
「……」
すると、女の子は泣くのをやめて、
「……お姉ちゃんも、そうなんだ」
諦めたかのような口調でそう言った。
「……え」
「お姉ちゃんも、騎士さまの仲間なんだ」
「た、確かに騎士ではあるけど……」
「そんなこと言って、わたしから離れようとして……」
「わたしに、いたいこと、たくさん……して、くるんだ……」
「……!!」
違う。
それだけは違う。
「そ、そんなことは、ございま……ないよ!! そんなことは絶対にないよ!!」
イングレンスの鱗片も知らないわたし。
「わたしは、人を傷付けるような騎士じゃないよ!! わたしはそんな騎士にならない――皆を助けられるような騎士が、わたしの夢だから!!」
イングレンスの中心にいるこの子。
「だから!! だから安心して!! わたしはあなたを傷付けない!!」
どうして創世の女神は、こんな二人を引き合わせたんだろう。
「……」
「……ほんとに?」
女の子はまた顔を上げる。緑色の瞳は、泣き腫らして赤くなっている。
それでも精一杯浮かべた笑顔は、とても愛らしかった。
「うん――うん。まだ、何ができるかわからないけど。でも、これだけは約束する。わたしは、何があってもあなたの力になる。女神が造ったこの
「……」
わたしの胸に顔を寄せてきた。
鼓動を感じ取るように、静かに目を瞑って。
「……エリス。わたしの名前はエリスだよ」
これが、
「エリス……エリスちゃん。これから、よろしくね」
わたしとエリスちゃんの、
「お姉ちゃん、ギネヴィアお姉ちゃん。よろしく、ね……」
最初の出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます