第416話 スランプ

 それから時間が流れ、放課後。課外活動は普段通りに行われている。行わなければならなかった。






「皆様こんにちは……」



 講堂に入り、名ばかりの挨拶を済ませた後、更衣室に向かおうとするリーシャ。



「あ、ちょっとちょっとリーシャ」

「何ですか先輩……」

「いや、私は顧問のハンナだよ」

「ああ……すみません、先生」

「私はいいんだよ別に。それよりも、そっちは一年生の更衣室だよ?」

「……」



 数秒かけて、彼女の言っていることを飲み込み、そして踵を返した。






「……全然大丈夫じゃないねえ」


「カル……お前が来なくなってから、益々狂い出してしまったよ……」








 無造作にマットを敷いて、ぞんざいに身を投げ出す。


 ぼぅっとしていると、聞きたくない声が聞こえてくる。






「やあお嬢様方、今日も元気に練習しておりますかな?」

「キャークリングゾル様ー!!」

「こちらを向かれになられてー!!」

「こちら差し入れでございますわー!!」




 音を認知しない為には集中する必要がある。


 しかし集中しようにも力が出ない。


 だからぼぅっとするのだが、そうすると音が聞こえてきて――




「先輩」

「……」


「リーシャ先輩」

「……んあ」

「だらしない声ですね。それでも曲芸体操部の一員ですか」




 見下ろす形で声をかけてきたミーナ。恐らく彼女からすれば、叱咤のつもりなのだろう。


 これが普段だったら、反骨精神でやる気が出たかもしれないが。




「ならあいつらはどうなるのよ」

「……それは」

「へぇ、ミーナも言葉に詰まることがあるんだ」

「……」


「まあいいや……そうだ。一緒に練習しようよ。私何だかやる気起きなくてさあ」

「……ええ、構いませんよ」

「やったー。んじゃ、よろしくね」






 こうして二人揃って練習をすることになったのだが。






「んぎぃ……」

「先輩、柔軟体操サボってませんか? 以前より硬くなってる気がします」



「……うわあっ」

「今着地体勢が取れていませんでしたよ。危ないです、怪我の元です」



「よっ……あたぁっ」

「先輩、バトントワリングの基本ですよ。しっかりと物体を見て、そして掴むんです」






 という調子で、散々な結果に終わったのだった。








「……」




「リーシャさん、お疲れ様です! これ魔力水です!」

「ああ……どうも」



 そそくさとやってきたネヴィルから受け取り、そしてばっと飲み干す。


 味のない水だった。



「リーシャさん、練習風景見ていましたよ。その……」

「遠慮しないでよ。思ったことあったなら言ってよ」




 その言葉にネヴィルは、生唾を飲んで一瞬間を置いてから。




「……以前より演技の質が落ちていることは確かだと思います。でも、気に病みすぎる必要はありませんよ! きっとスランプってやつです!」




「スランプ……」

「誰だってある現象です。ある一点を境に、それまで順調に伸びていた能力が伸びなくなる。でも乗り越えさえすればまた幅が広がるので……それまでの辛抱です!」

「……」






 気が明るくなった気がした。


 目が開かれ、世界が明るくなったように――見えただけ。






「だから基礎練習をしっかりと「そうかぁー!!! 私スランプなのかぁー!!!」






 しかし今はその錯覚にすらも縋りたかったのかもしれない。






「能力伸びないなら……練習しても無駄だね!!! 私帰るわ!!!」






 道具も後輩も置き去りにして更衣室に向かう。



 スノウもおどおど、何度も二人と主君を見つめた後、更衣室に向かっていく。








「……違うんですよぉ~……」

「……」


「スランプだからこそ、基礎練習をしっかりと……そもそも練習しなきゃ、能力は却って下がっていくだけなんですよぉ……」

「……本当にそれだけなんでしょうか」


「え?」

「先輩が不調である理由……それ以外にもありそうな……」






 背後からは、聖教会の人間達が談笑に花を咲かせる声と、それらに媚びる令嬢等の身分の高い生徒の声が聞こえてくる。











「お父さん! 起きて起きて!」



 薄茶色の髪に水色の瞳の少女が、父親を叩き起こす。



「うん……何だよ、もう少し寝かせてくれよ……」

「そんなのだめー! だって外に雪が積もっているもん!」

「雪が……?」



 父親はのっそりと身体を起こすと、窓から外を見遣る。



「おお……これは固めがいのある新雪だなあ」

「でしょ! だから雪だるま! 作ろ!」

「ふふ、それもいいねえ。でも先ずはご飯を食べようね」

「うん!」








 一階に降りると、母親がシチューを作って待っていてくれていた。牛乳をじっくり煮込んで作る、少女のお気に入りの料理。



「お母さんおはよー!」

「あら、今日は早いお目覚めね」

「雪だるま作るからねー! お母さんも作ろうよー!」

「そうね。貴女に誘われたのなら乗るしかないわね」

「やったー!」



 ぴょんぴょんと飛び跳ねた後、少女は椅子に座る。父親も遅れて隣の椅子に座った。



「それじゃあ、食事にしましょうか。カルシクル神に祈りを捧げて――いただきます」

「いただきまーす!」

「いただきますっと」








 食事を終えて外に出る。今日の天気は至って快晴。日光が雪に照り付け、裏切って肌に攻撃を仕掛けてくる。


 それすらも心地良く思える程に、一面の銀世界が広がっていた。






「さて、雪だるま雪だるまっと。何処に作ろうかー?」

「ここー!」



 少女が指示したのは、屋根の下の日陰になっている場所。雨風も凌げそうな場所だ。



「ここに作れば、しばらくは雪だるまいるでしょ? だからここ!」

「よし、お父さんは賛成だ。君は?」

「私も……賛成よ……っと」



 既に母親は体となる雪玉を、ある程度の大きさに作り上げていた。



「お、お母さん……! すごい!」

「ふふ、久しぶりだから張り切っちゃったわ。何処に置きましょうか?」

「こっちー!」



 少女が立っている隣に、母親は雪玉を転がして置いた。



「これは大きいから、お父さん雪だるまだね!」

「あら、それならお母さんも作ってあげないと」

「子供雪だるまもだな。よし、お父さん頑張っちゃうぞー!」

「私も頑張るー!」








 そうして時間が流れていき、



 日が暮れる前に、軒下には三つの雪だるまが完成した。








「できたー! 疲れたー!」

「中々腰が折れたねえ」

「でも可愛らしくできたんじゃない?」



 母親は雪だるまの隣に立って、満足そうに叩いている。一番大きい父親の雪だるま。



「そうだね……偶にはこんなのも悪くないか」



 父親は雪だるまの細部を整えている。二番目に大きい母親の雪だるま。



「お父さんもお母さんも、最近暗い顔ばっかり! でも雪だるま作って、笑顔になったでしょ!」



 少女は雪だるまの前に立って、にこにこと飛び跳ねる。一番小さい子供の雪だるま。



「……お前は本当に、元気な子だよ」

「そうだよ! 私は元気なのがとりえ!」

「ふふ……」





 父親は少女の頭に手を置く。



 全身を覆う優しい温もり。



 母親は少女の肩を抱く。



 全身を伝う温かい優しさ。





「いいかい、お前はずっとそのままで生きていくんだ。明るく元気で、周りの人も幸せにするような子。それが一番、お前が輝く生き方だと、お父さんはそう思うよ」

「それこそ、あなたが憧れている、曲芸体操のプリンシパルのようにね。でもたとえ舞台の上じゃなくても、あなたはずっと太陽のように輝いている子だからね」





 見上げると両親の顔がそこにある。



 優しくて温かい、大好きな二人。





「……うん!」



「私、明るく元気に生きていく! 約束するね!」











 二人が少女から手を離し、さて帰ろうかと振り返った時、




 その集団の姿を見た。






「……? 何、あの人達……」




 白いローブに身を包んだ集団。規則性のある歩き方で、こちらに近付いてくる。


 先頭にいたのは濃い灰色の長髪をオールバックで纏めた男だった。




「お父さん、お母さん……」




 二人は何も答えず、急いで少女を家の裏手に移動させた。


 そして窓をこじ開け、少女だけを中に入れる。




「え……?」

「いいかい、外が静かになるまで出てはいけないよ」

「父さんと母さんは少しお別れするだけだからね。大丈夫よ……」




「またいつか、会えるからね――」






 それだけ言って二人は去ってしまった。








「な、何のことなの……?」






 自分がいる部屋から、顔の先だけを覗かせて外を見遣る。




 玄関先で、二人は近付いてきていた集団とはち合い、




 そして先頭の男の前で、冷たい雪の上に正座をした。








「お、お願いします……!!! どうか、どうか、慈悲をお与えになられてください……!!!」

「……」


「もう、もう、何も残っていないんです……!!! 他の人々も同じなんです!!! これ以上持って行かれたら、冬を越せない――」

「ほう――」




 そう叫んだ父親を、



 男は音を立てて踏み付けた。




「あがぁっ……!!!」

「この島の島民、村人共は全員そう言ったよ。我々に慈悲があるだなどと、そんな幻想に喰らい付いていた」




 男が背後の集団に指示をする。彼らは来た方向とは反対側に向かったり、他に家がある方向に向かったりして、



 最後に、父親と母親を羽交い絞めにした。




「あっ、あああああっ……!!!」

「まあこういう展開における、定石というものだな。物がないなら身体で支払え――連れて行くぞ」

「うっ、うぐっ……!!!」




 目が合った気がした。




 こちらを振り向いた父親と、母親と、






 両親を無残に扱う、あの男と。








「……!!!」






 窓から身体を離し布団に潜った。



 できるだけ身体を平らにして、人がいると思われないようにして。



 呼吸も最小限にして待つことにした。



 耳は音を入れてくる。それは彼方から聞こえてくる悲鳴のようだった。誰が発しているのか、どうして発しているのか、それを考える程心は平穏を保ててない。






 ただひたすらに待った。言われた通り、静かになるまで――








「……」



「ん……」






 静かになった。



 何も音が聞こえなかった。それは雪が降る夜のようで。






「お父さん、お母さん……」




 唯一頼りになる存在に呼びかけながら、



 窓から外を見た。



 夜よりも恐るべき物が広がっていた。






 銀世界が漆黒に変わっている。






 地面は黒に、全てを飲み込む漆黒に変貌して、足の踏み場も見当たらない。遠くの方では木が枯れ、煙が上がっているのも目に入った。



 そして、その光景に震えていると、



 雨が降ってきた。






 少女の目でもわかる。それは黒い雨だった。



 そして気が付いた。この黒い雨が、外の光景をここまで豹変させたのだと。



 最後に少女は感じた。感じてしまった。



 黒い雨には悪意が宿っている。



 落ちて行った先を、全て喰らい尽くす悪意。






     飲み込まれたら二度と戻ってこられない






「いや……」



「嫌だ……!!!」








少女は部屋に籠った。カーテンも閉めて、窓と扉の鍵も閉めて。

雪だるまは溶けた雪が飛び散って、一部が黒く変色した。


お腹が空いたので外に出た。窓から身体が見えないように、縮まりながら。ついでにカーテンも閉めていった。

雪だるまは気温によって形を変えだした。



            ……



乾いた芋しか残っていなかった。芋に火を通して、何回も噛んで食べた。火は母親が着けていたのを見よう見まねでやった。ちょっとだけ熱かった。

雪だるまは融解が進んで、半分程度の大きさになった。


用を足したくなったので、部屋の隅にした。次からは臭いが嫌になったので、空いた木箱を探してそこにした。

子供の雪だるまが完全に溶けて、マフラーだけがそこに残された。



            ……ャ



沐浴をしたいと思ったので、僅かに残っていた水を沸かそうとした。上手くいかなかったので諦めた。

母親の雪だるまが完全に溶けて、人参だけが残された。


寒くて寒くて溜まらなかった。家中にある布団を全部被っても震えが止まらなかった。火を起こそうとしても手が震えてままならなかった。

父親の雪だるまが完全に溶けて、木製のバケツだけが残った。



            ……シャ



待った。待った。いつまでも待った。父親が戻ってきて、自分を肩車してくれるのを。永遠に待った。震えながら待った。枕に顔を突っ伏して待った。母親が戻ってきて、美味しいシチューを作ってくれるのを。




            ……ーシャ




白い雪が降るのを。喜んで外に出るのを。両親の話を聞くのを。日常が戻ってくるのを。ずっと待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待った待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って




いかないで、いかないで、いかないで――






            リーシャ!!!











「……!?」






 そこはかつて自分がいた家ではない。



 白亜の壁、百合のアラベスクが描かれた――百合の塔、グレイスウィル魔法学園の女子寮。その一室。



 左を見ると、自分のルームメイトが、大層心配そうな顔でしゃがんだり、座っていたり、立っていたりしていた。






「え……何、これ……」

「何これはこっちの台詞だよ……まだ課外活動の時間なのに戻ってきて、部屋に入ってすぐに寝るとか言って……夕食の時間になっても起きてこないから、様子を見に来たら魘されてて……」

「……魘さ、れ……?」




「ねえリーシャ、マジで最近変だよ。もしかしたら気づいていないかもしれないから言うけど、精神病んでる。病気だよ」






 真剣な声で言うルームメイト達。






「……」




 でも。



 約束したことだから。



 最後の言葉だから――






「……そうだね! 流石に今日は参ってたんだと思う!」




 ベッドから出てきて、うーんと腕を伸ばす。


 それから満面の笑顔を作った。表情筋が悲鳴を上げる。心が音を立てて壊れる。




「で、でも……」

「いやー、何か私今スランプらしくてさぁ!! それで練習しても無駄なのかぁーって思って、不貞腐れてたんだ!! 心配かけてごめんね!!」

「ねえ、お願いだから保健室に……」

「ご飯食べれば元気になるっしょー!! じゃあ行くね!!」








 後ろは振り返らない。



 前向きに生きていくのに、振り返るという行為は邪魔なだけ。



 前向きに生きていくのに、振り返るという行為は嫌なことを思い出させるだけ。








「……リイシア」

「何かなスノウ!?」

「その……」

「今日のご飯なんだろうね! 何か揚げ物の予感がするなあ!」

「あう……」


「私、シチューが一番好きなんだよね――昔から! シチューがいいんだけど、シチューじゃないんだろうなあ!」

「……」






(……)



(スノウは、どうして……)



(こういうときに、何も言えないのです……?)






 溶けない雪だるまは、主君の身体の中で、零れない涙を流すことだけしかできない。

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