第402話 悪食の風

 かくして四月も終わり五月。新緑芽吹くこの初夏に、エリス達はアルブリアからトゥーベリーという町に旅立つことになる。




 クラリアの説明によると、ロズウェリ家は代々この地にある教会で式を挙げているとのこと。古くから親交のある場所で、度々旅行に来ることも多いのだそう。








「今は五月だから鈴蘭の花が綺麗なんだぜー!」

「へーそうなのー! 楽しみー!」






 先ずはリネスまでの船に乗り、そこからトゥーベリー行きの馬車に乗り換える。往復で十日程度、滞在期間も含めると一ヶ月の旅行になる予定。先生方から宿題をたんまり貰ってのんびり船旅だ。






「……リーシャ」

「何ー?」

「何か……テンション高くない?」

「え!? 私いつもこんな感じじゃない!?」

「そ、そうかな……」

「あー空が青い! 今日も空気が美味いぞー!」






 大仰に手を動かすリーシャ。そこでカタリナはルシュドに耳打ちして訊いた。






「……リーシャ、ない、元気、最近」

「そうなんだ」


「料理部、普通、元気。でも、体操、ない、元気。おれ、聞いた」

「……曲芸体操部の方で何かあったのかな?」

「うーん……聖教会? 多分……」

「聖教会?」

「そうだな、ここ最近で変化があったと言えば其奴等だ」




 ここでヴィクトールが興味を持ったのか混ざってきた。




「最近聖教会の連中が、魔法学園に出入りしていることは知っているな」

「うん……うん。レオナさんがいなくなっちゃって、代わりに凄い人が来て……それからだよね」

「ヘンリー八世……聖教会のトップ、大司教。奴はどうにも魔法学園の動向を気にしているようでな。時々視察をしているようだ」

「偶に見かける聖教会の人はそういう目的だったんだね」

「で、リーシャはイズエルトの出身だ。イズエルトと聖教会は……な」

「……そういうことか」





 ルシュドの方を振り向くと、違う二人に興味を持っていた様子だった。






「どうしたの?」

「エリス、アーサー……話してる」

「え……」

「ふむ……」











 二人はずっと水面を眺めていた。



 すっと進んでいく海を下に、ぽつりぽつりと言葉を交わすだけ。



 続かない会話を何度も繰り返す。






「……」

「……」




「……エリス」

「……何?」




「この間は……ごめん」

「……それはもういいって言ってるでしょ」






 あの後アーサーはずっとカイル達に付きっ切りだった。


 エリスと再び合流したのは、百合の塔の保健室。そこで暫く離れに戻らない選択をしたことを伝えられて、それから別れていったのだった。


 こうして長い時間ずっといることも久しぶりなのだ。






「オレが、気付いていれば」

「ううん……アーサーが気付いていても、絶対襲われてたと思う」

「……」


「そうしたらアーサーも大怪我してた……だから、あれで良かったんだよ」

「……そうか」




 互いに探るように、慰め合うように話す二人。






 そうこうしている間に船笛が鳴り響く。






「着く、そろそろ。イザーク、サラ、ハンス、起こす」

「サラはあたしが行くよ。ルシュドは男子の方お願い」

「わかった」




 二人が客室に向かったのを見て、ヴィクトールは異なる方向に向かう。








「……貴様等」

「なっ!?」

「えっ!?」

「そこまで驚かなくても良いだろう」




 それよりも荷物の準備を、とエリスとアーサーに言う前に、




 ずっしりと重みを感じた。






「ぐっ……?」

「……ヴィクトール?」

「エリス、アーサー、貴様等は感じてないのか」

「感じ……」




 言われれば確かに、



 少し前から重み――気だるさを感じていたかもしれない。






 徐々に他の友人達も集まってくる。






「あ゛~……」

「あ゛あ゛……何よもうこれ、最悪……」


「……二人揃って何様だと言うのだ」

「すっきりしようと思って寝てたのに全然すっきりしねえんだもん……」

「寧ろ寝る前より辛いわ……クソが……」

「うーん、うーん……」


「確かに、何か空気がおかしい……?」

「え!? 何言ってんの!? そんなことなくない!?」

「リーシャ、真面目なのか冗談なのかわからない発言は慎め」

「……」






 人差し指を舐め、それを顔前に立てるハンス。




 数秒後、やっぱりそうだと呟いた。






「……何が?」

「これ、悪食の風だよ。ユディにいた時散々体験した……」

「……マジで?」
















 悪食の風。ウィーエル近辺で時折発生する、異常な魔力の澱み。これに当てられるとだるさや不調に襲われ、大半の人は普段の調子で活動することはできなくなる。


 ウィーエル近辺で発生する現象であるのに、何故かリネスの町を覆うように発生していたのだ。








「そうか、そうか……うん」




 エリス達と同行していたクラヴィルは、馬車の発着所で話をしていた。




 それが終わると、強張った顔で出てくる。






「どうだったヴィル兄?」

「……馬も御者も調子が出ていない。暫く休ませる必要があるようだ」

「じゃ、じゃあ……どうなんだ?」

「ポーションとかで治療を行って、最短で三日後には出発できるそうだ。その間この街に留まることになるな」

「三日……そうか、良かった……」




 結婚式に間に合わないことを危惧していたクラリア、ほっと胸を撫で下ろす。




「まあリネスの街は観光名所揃いだ。暇潰しには困らないだろう」

「外に出たくないというなら宿題をやればいいだけだしな」

「ヴィクトールオマエ余計なこと言うんじゃねーよ」

「……」






 エリスは今後の予定について話し合う友人達を見ていた。




 しかしその耳はよからぬ方向に向いて、そして聞きたくない音を集めてくる。








「……はあ、最近やなっちゃうよなあ。何でリネスにいるのに不調に見舞われないといけないんだよ」

「昔もあったんだっけ? 悪食の風の大規模な移動」

「ああ、帝国時代の中で三回あったらしい。そこに共通しているのは、強い魔力を放出する物体があったということ。その魔力を狙って移動していったって話だ」

「強い魔力……っていうと、あの噂かな?」

「ああー、『聖杯少女』?」


「そうそう。やめてーっつって手を伸ばしたら、全てを元通りにした女の子! まさかと思うがあれに釣られたんじゃ?」

「そもそもあの噂って本当なのか?」

「本当だと思うぞ。魔法学園の対抗戦、それも総合戦で大勢の客が来ていたんだ。そいつらが投影映像を目の当たりにして、広めていったんだぞ。嘘なわけがねえ」

「でもその投影映像だって、かなりノイズが入っていて周囲の光景が鮮明じゃなかったって話じゃないか」

「女の子だけ鮮明に映し出されたって話だぞ。多分推測なんだが、聖杯レベルで強い魔力持っていたから、投影映像がくっきりと捉えられたんじゃないのか?」

「まあいいよ、噂の話なんて。でもさ……」






     仮にそうだとしたら、実にいい迷惑だよね











 走り出した。








「……エリス!?」




 引き留める声にも返さず、ただ一心不乱に。




「おい、宿は今から案内するって……!」

「追いかけないと! この街並みじゃ絶対見失う!」




 逃げるように――











(いや……)



(いや……!)



(嫌だよ……!!)











 世界有数の商業都市リネス。集う人々は多く、その分だけ建物も多い。


 故に入り組んだ道も非常に多く、グランチェスターの比になりはしない。






「……」



「ここは……?」






 知らない街で走り抜けたら、こうなるのは当たり前。



 迷子。人の海たるこの街で、波に飲まれて沈んで溺れる。






「わたし……どうして……」


「嫌だ……」


「ひとりぼっち、嫌だよ……」






 ふらふらと歩く。エネルギーを使ったのでお腹が空いてきた。



 エネルギーがなかったので、思わず人とぶつかってしまった。






「あっ……すみません……



     ふらふら、して、て……」











 顔を見上げた先には、




 彼の姿があった。






「……あ」




 グランチェスターで出会ったあの人。




「ああ……」




 力が抜けて、倒れ込みそうになる彼女を、彼はすかさず抱き抱えた。






「……疲れているようだね。少し休もうか」











 そのまま連れて行かれて、近くのベンチに座る。








「……」

「お腹が空いたかい?」




 こくりと頷くと、彼は苺を取り出した。




「……!」

「ふふ、苺が好きなんだね。そこの市場で買ったものだよ。さあお食べ」

「あ、ありがとう……ひっく」




 今にも泣き出しそうな目と声で、エリスはその苺を頬張った。




「……少し元気出ました」

「それは良かった」






 ふと、彼の視線はエリスの首元に向かう。それは白い真珠が埋められたペンダントであった。






「そのペンダント……強い魔力を感じる。何かのお守りかな?」

「はい。少し前にわたし、襲撃に遭って……それで外でもそんなことにならないようにって、先生が作ってくれたんです」

「先生?」

「魔法学園の先生です。いつもわたしのことを考えてくれて、頼りになるんです」

「そうか、そうか」




 こんなにも美しい少女を狙うとは何事だろうか。




「先生方にも心配してもらって、素敵なアクセサリーも作ってもらえた。君は実に恵まれているね」

「はい、本当にそう思います」




 このペンダントに信頼を寄せているのが窺えた。




「……アクセサリーといえば。私のあげた指輪は大切にしてくれているかな?」

「はい、この通りです!」




 彼女は左手の薬指を見せる。光に当たって金剛石が輝いていた。




「おや、元気が出てきたようだね。何よりだ」

「あっ……」




 どうやら自分でも気付いていなかったらしい。手を口に当てて微笑む。











「……おや」

「どうしました?」

「足音と声だ。……君を探している」

「あっ……そうだ、慌ててこっち来ちゃったんだ」



 ぱんぱんと頬を叩いて、正気に戻る。



「えっと……苺、ありがとうございました!」

「礼には及ばないよ。さあ、早く行って君を探している人を安心させるといい」

「はい! さようならです!」



 またしても丁寧に礼をして、彼女は去って行った。








 彼はそれを見送った後--




 月が沈むように、何処かに消えた。

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