第401話 婚姻話

 保健室の片隅。そろそろ生徒が帰ってくる夕暮れ時、エリスはベッドの近くでそれを眺めていた。






「エリスちゃん、気分はどぉ?」

「ゲルダ先生……あっ」


「せんぱいこんにちはです!」

「ファルネア殿下――じゃないわぁ、ファルネアちゃん。お見舞い買ってきてくれたのよねぇ?」

「はい! これ、ハーブティーです!」




 ファルネアはサイドテーブルに茶葉を置き、そして淹れ始める。




「そうだぁエリスちゃん、一緒にいた騎士様と宮廷魔術師様についてなんだけどぉ」

「……!」

「昨日ようやく病態が安定してねぇ。あとは治療を続けていけば回復するって」

「そ、そうでしたか……!」


「ただ……結構長くかかりそう。半年以上は目を覚まさないままだと、医術師の方が仰ってたわ……」

「……」




 肩を落として俯く。ハーブティーの香りと湯気が慰めてくる。






「せんぱい……」

「ファルネアちゃん……ごめんね、ハーブティー飲むね……」

「……」






「失礼しますわ……」

「あ……!」

「先輩……」


「あらぁ、アザーリアちゃん。どうしたの、甚くお疲れの様に見えるけどぉ」

「突然且つ怒涛の来客対応で骨を折ってしまいましたの……」




 アザーリアは丁寧な所作で箱を置き、そしてファルネアの隣にある椅子に座る。


 普段の彼女と比べて、若干背中が丸まっていた。




「リングルスのバターカップ、苺味の新作ですわ。エリスちゃんなら喜ぶと思いまして」

「ありがとうございます……」

「うふふ……さあ、早くお食べになられて……?」

「先輩も一緒に食べましょう?」

「そ、そうですわっ、その言葉を待っていましたの……!」






 三人で――一緒にいたファルネアもバターカップに手を伸ばす。






「はふぅ……訪問されてきた方は、フェリス商会でお世話になっている方ばかりなのですけれど。押しが強くて且つ下品な視線を送ってくる方もいまして、苦手な方も少なからず……」

「アザーリア先輩にも、苦手な人がいるんですね」

「人間もとい神聖八種族、創世の女神より心を授かったんですもの。好き嫌いはございましてよ」




 すっきりとした味わいのハーブティー。作用が効いてきて心が落ち着いてきた。




「だからねエリスちゃん。貴女も嫌なことがあったり、嫌な人がいたら隠さずに言ってもいいんですの。それは仕方のないことなのですから」

「……はい」

「ファルネアちゃんもそうですのよ? 何か嫌なことがありましたら、吐き出してしまいなさい」

「う……」






 窘めるように言われて、ファルネアも糸が切れたらしい。






「こ、怖かった、です……」

「……この間のこと?」

「はい……課外活動で、学園に行こうとしたら、知らない人が、通してくれなくて……」

「そうねぇ……流石にあれは、驚いたわよねぇ……」

「目が真っ平で、怖くて……人間っていうより、人形みたいな感じでした……」




 おめおめ泣き出したファルネアを、アザーリアは優しく抱き締める。




「よしよし。大丈夫ですわよ……」

「……先輩。わたしも、お願いしたいです……」

「ふふ、わかりましたわ。でしたら二人纏めてして差し上げますわ。どうぞこちらに……」

「はい……」




 抱き合う三人。柔らかいハーブティーの香りと共に、穏やかな時間が過ぎていく。











「……お邪魔するぜー……」

「あら……クラリアちゃん。小さい声で何用かしら?」

「エリスに話があって来たんだけど……」



 まだまだぎゅーの途中である。



「エリスちゃん、エリスちゃん。お客様よ」

「えっ……は、はいっ」

「畏まらなくても大丈夫だぜ!」






 クラリアは鞄を抱えながら、きょろきょろ見回した後ベッドに座った。






「やべえ、勢いでベッドに座っちまった。いいよな?」

「うん。椅子埋まっちゃってるし」

「それならわたしの椅子を……!」

「いいぜいいぜー! 後輩に無理はさせたくないぜー!」

「はうわぁ……」




 バターカップを頬張るファルネアを横に、クラリアが切り出す。




「エリス、旅行に行きたくないか! 行きたいよな!」

「えっ……んと、行きたいか行きたくないかで言えば、行きたい……かな……」




 一人にはさせられないとか、色々問題はあるだろうが、一先ずは思ったことを言う。




「あのな、アタシの兄貴覚えてるか? イヴ兄の方だ! あとレイチェルさんも!」

「えっと……うん。確か婚約してるんだったよね」

「そうだぜー! で、その結婚式が五月にやるんだぜー!」

「へぇ……おめでたいね」

「そうだそうだぜー! で、父さんから手紙が来てな! アタシの友達連れてきてもいいって書いてあったんだ!」


「……わたしをお誘いってこと?」

「そうだぜー!!」




 話が進むにつれて、尻尾を大きく振り回すクラリア。アザーリアもゲルダも、ファルネアも温かい目で見つめてくれている。






「うん……それなら、乗ろうかな。ちょっと気分をすっきりさせたいし……」

「そういうことならぁ、私からも話をつけておくわぁん。エリスちゃんが遠出できるようにしてほしいってねぇ」

「きっとウィングレー家の皆様なら素敵な道具を作ってくださるわ!」

「ふふふ……気が早いけど、今から楽しみだなあ」











 数日後の放課後。授業時間は一般人がやってきて騒々しいが、放課後は元々人の移動が激しいのでそこまで違和感を感じない。


 演習場では今日も武術部が訓練に励んでいる。クラヴィルは自分の素振りをしながら、イザークと話す。






「……クラリアに誘われたのか」

「そうっす。気分が落ち込んでいるようなら、旅行に行こうぜって」

「ふむ……そこはまあ、あいつなりの気遣いなのかな」

「……」


「……話は聞いているよ。皆見ている前で糾弾されたら、いい気はしないよなあ」

「……もういいっす。忘れることにしたんで」

「ああそうか……悪いな」

「アイツが狂ってるだけっすよ」

「……そうか」






「でだ……」






 クラヴィルは演習場の隅に振り向き、そして歩く。






「ストップ。流石にもう休憩だ」

「っ……」




 剣の素振りを繰り返していたアーサーを引き留める。






 魔術による人工の重りを何個も付けて、彼は一時間以上も励んでいた。顔は赤く汗は滴り、手には豆ができている。


 それだけなら特に気にしない光景なのだが--クラヴィルは今の彼に、潤みを見ていた。




 つまり今にも泣き出しそうとか、強く何かを恐れているとか、そちらの方向に感情が昂っている。それは、獣人の暴走キャミル現象が引き起こされる直前に、よく見られる兆候であった。






「で、でも、オレは」

「剣振ってないと落ち着かないか?」

「……」


「そんなこと言ったら死ぬまで素振りすることになるぞ」

「ほら水だ」

「気が利くなイザーク」




 イザークは訓練をする気はさらさらなかった。


 数日前まではあったがそれも失せ切った。





 今日はアーサーの付き添いで来ている。彼の要望によってついてきている。




「わ、悪い……な」

「……オマエマジでどうしたんだよ。最近ずーっとここに来て、剣の素振りばっかしてるじゃん。打ち合いもする気じゃねーみたいだし」

「……」




「素振りは基礎でしかないとか言ったのドコのドイツなんだか。まあ……オマエがしたいって言うなら、これ以上ボクは何も言わねえけど……」




「……このままじゃマジで素振りで死ぬんじゃねえのか?」








 素振りは。



 剣を振っている間は、何も考えなくていい。



 しかし振っていないと、考えなくてはならない。



 あらゆる事項を差し置いて、自分自身について――






 ギネヴィアによって造られた破壊と殺戮の兵器、そうされている自分の存在意義について。








「あそうだ。クラリアが結婚式に行くってことは、クラヴィル先生も当然行くんです?」

「当然だろう。行かない理由がないからな」

「ですよねー。んじゃ、向こうでもよろしくっす」

「まあ気楽にやってくれよ。これはお互い様だ、何せ堅苦しい場っていうのは俺はそんなに好きじゃないからな。お前もだぞアーサー?」

「……」




「……アーサー? 酸欠で集中力切れたか?」

「っ……いえ、その、何でもないです。向こうでもよろしくお願いします」

「うん、話聞いてたみたいだな」

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