第359話 幕間:カンタベリーの聖域
イングレンスの東側、グレイスウィルの向こう側にあるデュペナ大陸。
今朝方ここのある町に、四人の人間が到着した。彼らは大仰に迎え入れられた後、豪華な馬車に乗って更に南に向かう。
「猊下。今回の観戦、誠にご苦労でございました」
「ああ。実に有意義だったよ、ジャスティン――まあ彼らが大体的に動いたのは想定外だったが」
馬車に揺られながら、ヘンリーは窓の外を見遣る。月が昇り行く空から、雪が降ってきていた。
「彼らにとってすれば
「そしてあのルナリスという男。やはり彼は指導者の器ではありませんね。騒がれるとわかっていて強行したのですから」
「我々には関係なかったのでいいんですけど、誰も止めなかったのでしょうか。どうして彼の独断が許されたのでしょうかね」
「ああ、それについてはだな――いなかったらしいぞ。いつもの『お目付け役』が」
「……ふむ」
リチャードもメリアも、ジャスティンも頷く。心当たりなら確かにあった。
「『黒と金の鎧』、『臍を出した煽動的な女』、『毛皮の猛獣』、『しわがれた老人』――でしたっけ」
「待て、猛獣については聞いていないぞ。手先であると判明したのか?」
「老人が猛獣と共に行動していたという情報があったそうだ」
「……そうだったのか」
「その四人のうち、今回は誰も付いてきていなかったということだ。まあ猛獣が監視をできるかというと疑問符が浮かび上がるがな」
「しかしそれは何故でしょう。ルナリスを放置してでも優先するべき事項ができたのか――」
「それについては我々の知る所ではない。知れるものなら知りたいぐらいだ」
馬車が止まり、正門の開かれる。御者に続いて大勢の人間が道を作り、四人の帰還を歓迎する。
カンタベリー。デュペナ大陸の南の果て、フォード荒野を超えた先の、イングレンス聖教会の拠点。
大聖堂を始めとした多くの宗教的建築物が立ち並び、聖なる組織の本部であること、建物自体の厳かさ故に聖地と呼ばれる。
神が舞い降りしこの季節には、聖地を巡礼する者も多い。今こうして移動している中でも、数え切れない程の信者とすれ違った。
「ふぅ……全く。この時期は寒くて敵わん」
大司教の生活拠点となっている館。そこにに到着したヘンリーは、すぐさまロッキングチェアーに座って一息つく。従者が素早く召した物を片付け、紅茶の準備を行う。
「猊下、この後のご予定は?」
「特にはない。仕事があるのは明日からだからな。三人はどうだ?」
「私も予定はございませんので、猊下にお仕えしようかと」
「右に同じです」
「……申し訳ございませんが、私は街に用がございます。願わくばこれにて失礼させて頂きたく……」
「構わない。折角こうも人が押し寄せてきているのだ、暫しの喧騒を楽しむといい」
「有難きお言葉。では……」
一礼をし、部屋を去っていくメリア。彼女から視線を外し、残った二人に向けるヘンリー。
「……私も街を散策するとしよう。十五分後に出発だ」
「はっ……」
カンタベリーの町は大きく三つの区域に分けられる。
一つは大聖堂。女王の像が座し、洗礼を受けし司祭達が集う場所。二つは貧民街。女王の恩賜に縋ろうと、世界各地からやってきた者によって形成された街。それは貧しい村人だったり、病気の物乞いだったり、それらに目を付けた商人だったり実に多彩だ。
そして三つが、聖地街。大聖堂と貧民街に挟まれた、司祭やその家族、聖教会から認められた商人や魔術師が居を構え、生活を営む街である。
「今年も実に多くの人がやってきましたね」
「なのに人の着ている服はそこまで大差はない」
「言いますねえお兄さん」
ヘンリ―達三人は、ある露店で品物を物色していた。カシミヤのコートを羽織り、山高帽を被った姿からは、高い身分であることが自ずと誇示される。
「……綺麗な石ですね」
「綺麗でしょうその石。神聖属性の魔力が込められたパワーストーンでございます」
「本当は?」
「只綺麗なだけの石でございます」
及第点、と言いかけたその時だった。
「……む?」
<おまえっ!! 何をしているんだ!!
<ああ……あああ……!!
ヘンリーの足首を掴む、襤褸を纏った子供。
それを引き剥がした大人と同様に、狐の尻尾と耳が生えていた。
ぞろぞろと野次馬のように、襤褸を羽織った人間が近付いてくる。
「すみませんっ!!! すみません、すみません、すみません……!!!」
「……何故足首を急に掴んだのです?」
「あんたら!!! 金、持ってんだろ!!!」
「しっ……!!! 口答えするな!!!」
「その金くれよ!!! おれたち腹減ってんだよ!!! 死にそうなんだよ……!!!」
叫ぶだけ叫んで泣き散らす子供。その頭を押さえ付けて謝罪を繰り返す大人。
「……猊下。彼の腰元を」
「……おやおや」
鼻を通って脳を刺激する特徴的な臭い。
それを確認したヘンリーは大人の元に向かい、腰に差してあった瓢箪を強奪する。
「……!!! そ、それは……!!」
「……中身は酒ですかな?」
「やっとのことで作ることのできた、米酒なんです……!! そ、それが、ないと、もう……!!」
酒。
酒である。
それも知らない名前だ。
「……恩赦しましょう」
「……え?」
「この酒を徴収されて恩赦されるのと、酒を捧げずに首を切られるか。どちらが良いかなんて、明白ですよね?」
「……!!」
二人は頭を地面につけて、ありがとうございます、ありがとうございますと、早口言葉でも言っているかのように繰り返す。
ヘンリー達はそれに一切目もくれず立ち去っていく。直前に対応していた商人は、三枚の金貨を舐め回すように見ていた。
「……なあ、何で酒なんだ?」
「え?」
「何で酒なんかで、許してくださったんだ……?」
「そりゃあ……司祭様がお飲みになるからでしょう?」
「で、でも司祭様は、女王陛下に選ばれた聖なるお方。酒をお飲みになられるのか……?」
「も、もしかしたら飲んでおられるかもしれないだろう……聖教会の方は、我々よりも神について学んでおられるんだ。我々には図り得ないことをしてらっしゃるに違いないんだ……」
露店から離れ、人気のない路地裏を歩く。騒がしい人込みから遠く離れ、静寂が一帯を包む。
その静寂は三人の姿を、物珍しそうにじろじろ見つめ、隙を伺い吐息を吐いている。
「猊下。何故このような路地裏に参られたのです」
「臭くて敵わんか?」
「いいえ。それよりも貴方様のお召し物に、カビが生えたようなこの不愉快な臭いがこびりついてしまう、それが心配なのです」
「はっはっは、そうかそうか。何の為に香水が発展してきたと思っている?」
「その香水は、猊下の素質をも覆い隠してしまうので、好きではないのですよ」
「口が回るなリチャード。今日はどうした?」
「ええ、あの酒――米酒と言いましたか。それをあのお方に献上するのが待ち遠しくて」
「私も、ジャスティンもございます猊下。あの方は大層お喜ばれに――」
男共の矯声。
それは、たった今通りかかった道の先から聞こえてきた。
「……ほら。これが路地裏までやってきた理由だよ。表通りでは決してできない催し事が、頻繁に行われている――」
道を進んでいく度、男の中に混じって、一際溺れたような女の矯声も聞こえてくる。
「……猊下。この声は……」
「ああ……私も聞き覚えがあるよ」
「こちらより観察致しましょうか」
雑多に積まれた木箱の隙間から、その先の広場を覗く。
「んほおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「メリーちゃんもういっちょおおおおおおおお!!!!!」
「あひいいいいいいいいいいいいい×××が×××しちゃうのおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
酒に溺れ、薬にも堕ちた風貌の男達。
彼らの中央で女が一人、艶やかに身体をくねらせている。下着姿で。
周囲の臭いは異様なものであった。酒精は愚か、
「もう、仕方ないわねえ……ほぉらっ♡」
「うっひょおおおおおおおお!!!!!」
股を開き、男の顔に跨り、それから聖職を名乗るには余りにもおこがましい行為をした彼女。
類似の行為が繰り返される度、男達が硬貨を投げ入れる。銅貨銀貨はザラで、金貨も含まれていた。
「……猊下」
「これは……」
「ああ……」
三人は待った。彼女の気が済むまで、男共に持て囃されるそれが終わるまで待ち続けた。
どれぐらいの時間が経っただろうか。彼女は着替えて、平然とした顔で広場から出てくる――
「……!?」
「やあメリア。こんな所で会うなんて僕達も驚いているよ」
「最初に言っておくと、我々は君が何をしているのかを目撃したよ。随分と楽しそうだったね」
「……!!」
メリアの顔が青褪める。寒さにも動じなかった顔は、焦りと緊張によって始めて汗を流した。
「そ、その……」
「メリア」
「行ってしまったことは覆しようがないんだよ」
ヘンリーは二人より一歩前に出て、にっこりと笑いかける。
「問題なのは、その行為の意味だ」
「――何を思って、何を目的として、あのような行為をしていたのかね?」
柔らかに問い詰める。
するとメリアは、固い地面に膝をついて、項垂れた。
「お、お金……お金が欲しい、から……」
「……」
「か、彼らは、ああすると、いっぱいお金をくれるのです。だから……」
「……それだけですか?」
「え……」
「もっと他にあるでしょう」
足を鳴らし、腕の骨を鳴らして急かす後ろの二人。
「……」
「……ああ」
「……どうか、どうかお許しください……」
「最初はお金がほしくて始めたのは事実です。でも今はそれ以上に、素晴らしい心の拠り所となっているのです……! 見ましたか、あの男達の顔を! この身体から分泌される体液を彼らに与えてやる度、あのように狂って喜ぶのです! それが、それが――とっても愉快で、滑稽で堪らなくて!」
「私のしている行為は、言ってしまえば只の生活行為。それなのに、それを目撃できただけで、あの男達は猿のように笑って満足する。実に低俗で愚かで下衆だ! ですがそれを実感する度、私の心は満たされていくのです――それこそ、女王陛下に祈りを捧げている時よりも!! こんな、下品で下劣な行いをしている時の方が、ずっと心は落ち着いているのです――!!」
「――ああ。私の懺悔はこれにて終了しました。どうか煮るなり焼くなり、好きな裁きを加えてくださいませ」
魔法による拷問、肉体の踏み付け、首と胴体の切断。
たった数秒で、様々な罰を想像したが――
そのいずれも送られなかった。
――三人は、彼女に拍手を送ったのだ。
「……えっ?」
「……合格だ。君は相応しい人間だよ、メリア」
ヘンリーがメリアの手を取り立ち上がらせる。そしてハンカチを取り出し、コートに着いた雪を拭いた。
「ご、合格……私が、ですか……?」
「そうだ。君は『聖域』へ立ち入るのに、十分な資質を持っている」
「……!!」
「覚えているよ。君は確か『聖域』に立ち入りたいと、そう言っていたね。私としても君の活躍ぶりは聞こえていたから、それを許可したいと思っていたのだが、本当に相応しいか確かめる手段がなくて頓挫していたのだ」
「か、活躍……」
「聖教会は所属する人間の動向全てを把握しているんだ。全ては『聖域』へ導くのに相応しいか、判断を下す為にね」
四人揃って歩き出す。目指すは大司教の館だ。
「リチャード、ジャスティン、もしかして貴方達も……?」
「君より大分前にね。メリア、『聖域』は素晴らしい所だ。狂っていれば狂っている程、それが実感できる」
「狂っている……?」
「どういう意味かは、行ってみればわかるさ」
浮浪者の男から取り上げた瓢箪を振る。中から酒精のきつい臭いが噴き出してきた。
「――『聖域』にて、あの御方にお会いすればね」
神聖なる地、聖人が集う町。しかしその中で最も神聖なのは、無垢なる空から降ってくる雪だけなのかもしれない。
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