第336話 黒き翼の神

「……さて。ここにいらっしゃる皆様は、このイングレンスの成り立ちについてはご存知でしょう? 遥か昔マギアステルと名乗る者とその眷属が、イングレンスの理を造って天上に去っていった」




「だがその時、雲を突き抜け、星々の側に居並ぼうとしたその刹那に、連中は何をしたか? そう、我々から翼を奪ったのだ!」




「原初に生まれし人は、その背に翼を持っていた。大空を羽ばたき、己の意思で世界を旅し、何者にも縛られず生きていくための力だ! あろうことか、天上で鎮座する連中はそれを奪った!」




「鳥や竜はその身体に翼を持つ。だが連中は愛を唄って誠を為すようなことはしない。奴等にあるのは弱肉強食、生物としての本能のみ! 女神の恩赦すら考えないような連中にそ翼は相応しいと、あの女神と眷属共は謀ったのだ!」




「それは何故か! 答えはわかり切っている! 翼を持つ人、神々に匹敵する智と美と心を持つ人が、自らが鎮座する天上の玉座まで侍られるのを封じたかったからだ! 造り出した生命に反逆の刃を向けられるのを恐れたからだ!」




「古より伝わるこの世界の真の名、それは『ウィングレス』! 即ち、『翼を失いし者』の世界! 連中はそのように理を定めた――我々は地に伏し生きることを望まれた! 運命という鎖に縛られて生きるものだと、連中は考えた!」






「だがそのような、悪逆無道な連中に!!! かの御方は刃向かおうとした!!!」






「かの御方は人であった!! 皆と共に飯を食らい、眠りにつき、心の底から誰かを愛した!! そうして人と出会い、一期一会に流れ行くうちに、疑念を抱いた!! 何故運命に束縛されないといけないのかと!! 運命に流され死に絶える人々を見て、世界の理を憎んだ!!」




「長き道のりであった!! 女神の置き土産、この世界に満ちる魔の力を取り込み続け、遂にそれは実った!! 翼だ――黒き翼だ!!」




「背中に美しい黒き翼を携えて、女神に刃向かい、理の形を変えようとした!! しかし何たることか!! それに気付いた女神は、あと少し、雲を突き抜け空が濃紺に包まれた時、かの御方を撃ち落としたのだ――!!」






「神である!! 不完全な理を造っておきながら、天上で傍観するだけに徹する、白き翼を持つ連中とは違う、真実の神!!」




「黒き翼を持つその御方こそが、人にとっての真なる神なのだ――!!!」






     讃えよ、黒き翼の神を!!!




     再び目覚めになられるその時まで、




     我等は下僕足り得る力を蓄えよう!!!











 恰幅の良い、雄大な声で語る、その男の言葉に合わせて、



 周囲の黒いローブの人間達は一様に祈りを捧げる。






 杖を天に掲げ、黒い魔弾がその先に生まれる。奴等の肉体には、狂った黒の線が現れ、狂気で彩り虚無を飾る。



 それを目にしたら離れることを許さない。一度視界に入ったら逃れることは断じて叶わない。






 奴等の姿が脳裏に焼き付いて、声が耳にこびりついて、存在が心を蝕み破滅に導く。



 器官が悲鳴を上げるのは、それに対しての抵抗だ――








「う……あ……」

「キアラ、しっかり……う、うう……」

「ルシュド、きみも駄目じゃないか……! ほら、ここに座って!」

「ありが、と……」

「ルドベック、きみも安静にした方がいいです。冷や汗が半端ないです」

「……そうさせてもらう」




 そろそろ倒れる生徒も出てきた。依然として頭を抱える生徒も増え、そして、




「!? オマエ、どこに行くんだ!?」

「……」


「まさかっ、中央に……!? 駄目だ!!」

「どう見たってアイツら正気じゃねえ!! 目を覚ませ馬鹿!!」




 イザークは勢いのあまり手が出てしまうが、


 彼はそれも意に介せず、のっそりと進む。




 その輪に加わることを望むように――






「クッソ!! おい、もっと来てくれ!! 抑え込むぞ!!」

「何だよ、何でこんな……さっきまでは油跳ねて、火傷して飛び回ってたじゃねーか……!!」






 彼だけではない。他にも虚ろな目をした生徒が、中央で演説を行う奴等の元に向かおうとしている。






「くそっ……魔法が……」


「これで生徒達を……洗脳か? 洗脳させようと――」




 ヴィクトールは分析を進めるが、


 とうとう頭痛が来てしまう。




「ぐっ、うう……」


「――!!」


「シャドウ……へ、平気だ……俺は、この程度……」




「大したことは……「お待たせー!!」






 明るい声が聞こえたかと思うと、




 周囲を覆っていた淀んだ空気が、一瞬のうちに晴れる。






「!?」

「回復結界よ! ここにいれば、少しの間は大丈夫!」




 てきぱきと箱の中を漁り、治療の道具を取り出すレベッカ。


 それ以外にも、衛生兵と思われる騎士が続々とやってきている。




「もーちょっとの辛抱! 今から楽にしてあげるからね!」











「……な」


「なな……」


「ななななななななな、




 なーんてことをしてくれたのかっ!!!」






 その男、ルナリスの演説と、周囲の人間達の儀式めいた行為は、




 ローザのデスボイスとアルシェスの木の幹パンチによって強制的に中断された。






「ア゛ア゛ア゛……てめえら。絶対に許さねえぞ。ぜってーに許さねえからな!!!」

「殺る気マンマンだねえローザチャン! まあ俺も同じ気持ちだ――絶叫上げる覚悟はオッケー?」




 大勢の魔術師と騎士が、黒いローブの人間達を取り囲む。奴等はそれに対応せざるを得ない。




「まっ、俺としては様子を見させておきたいのだが――」「下がれクソアルシェス!!!」


「あいよー!!」






 横に飛び退いた後ろから、


 螺旋状の炎と風の矢が吹き飛んでくる。






「カムラン魔術協会……!」

「我々の監視の下で、我々が容認できる活動ならば行っても良いと、そのような取り決めだったはずでは?」




 アドルフとルドミリアは、平静を装いながら、ルナリスに詰問する。






「ほっほっほ! いやぁね! 何も悪いことではないと思うのだよ! 我々が何を目的として活動をしているのか? それを知ってもらうまたとない機会だ! そうは思わんかね!」


「見たまえ、この天幕の数々を! 多くの生徒がここに集い、楽しい雰囲気で語り合っている! その会話の中に我々は混ざろうとした、何もそれだけのことでは--「ふざけないでくださいませー!!!」






 耐え兼ねたリティカから、魔弾を括り付けた鎖が飛び交う。






「これは、この立食会は!! 貴方達のお話を聞く為の催し事ではございませんわ!!」

「リティカ!!」

「明日の最終戦、学園全体の成績が懸かっている試合に、赴く生徒達に力をつけてもらう、そのような結集会なのですわ!! それを、こんなに、滅茶苦茶にして――!!」

「ああもう――くそっ、どうとでもなれ!!」




 リティカの魔法に合わせて、紫の炎で援護を加えるリュッケルト。




 それを横にローザとアルシェスは、カムランの魔術師達を片っ端から薙ぎ倒していく。






「あああああつえー魔術師がこんなに……!!」

「狼狽えるでない!! 我等も魔法を扱えるのは同じことではないか!」

「ちょ、ちょっと待って、深淵結晶……!!」

「こぉのノロマがよぉ!!」




 左手に欠片、右手に杖を持ち、辺り一帯が吹き飛ぶ程の魔法を放つ。


 その肉体には、呼応するように黒の刻印が表出していた。








「くっ……!!」

「ああああ……!! 手が、焼ける……!!」

「急に仕事任せちゃって悪いねカベルネ!!」




 マーロン、カベルネ、ブルーノが属いる宮廷魔術師の軍団。


 即席の魔法陣より魔力を注ぎ、戦闘での魔法が広範囲に影響を及ぼさないようにしていた。互いに本気で応酬しているので、甚大な魔力を要する。




「はい父さん!! 魔力結晶!!」

「おおありがとう!! ……って!! マチルダ!?」

「あたしは頭痛が軽い方だからお手伝いしてんの!! 他にも騎士様のお手伝いしている子、いるよー!!」

「そ、そうか!! でも無理はするな!! 父さんとの約束だぞ!!」











 一歩間違えれば死ぬことだってある、命のやり取り。


 それを否応なしに見せつけられている。僅か十数分の出来事、しかし周囲は戦場と化した。






「ほっほっほ!! いいですもっとやってしまいなさい!! 我々の邪魔をする者は駆逐するのみです!!」

「くはっ……!!」


「……やっぱり最初からこうする気だったんじゃないか!! 初めから、この場を荒そうと……!!」

「何のことですかな? そちらが攻撃してきたのが最初ではないか!!」

「演説に洗脳の魔法を刷り込んでおいてどの口がっ!!」

「ほっほっほー!!」






 騎士や魔術師達が応戦している。カムランは地面に立っている連中の相手に夢中で、




 上空には気付かない。




 一本の槍が、覇を纏って落ちてくる――








「――ジョンソン・ハーレー。グレイスウィル騎士団長の名に懸けて――」






        参るッ!!!








「――~~~~~~~~っ!?!?!?」






 バリンッ、と硝子が破れるような音。




 それを合図に、カムランの魔術師達は次々と力を失う。




 まるで糸が切れてしまったかのように、魔法が放出できなくなっているのだ。








「……成程な。ルナリス殿、貴方の役割がわかりましたよ」

「はっ、はわわぁ……!!」


「魔力を貯蔵して供給するためのタンク。特に目立った魔法が使える訳でもないのに、何故代表やっているかようやく合点がいった!」

「皆の者ー!! 私を守れー!!」


「逃がしませんよっ!!」

「団長に続け!! 一人たりとも逃がすな!!」






 喧々囂々、一転攻勢。




 ひ弱な魔術師達の悲鳴が飛び交い、それも徐々に静まっていく。











「……終わったか」

「うっし、武装解除。出てこいユフィちゃん」




 指を鳴らすと身体からナイトメアが出てくる。ネムリンもユフィも疲労困憊、出てくるやすぐに地に伏す。




「……うう……」

「無理させてごめんな? 今日は美味い飯いーっぱい食えると思ったのにな……」

「ネム~……」

「ネムリンもご苦労だったよ。ご苦労だったが……わかってるな。仕事は寧ろこれからだ」

「ム~……」






 この立食会を提案した彼女を思うと、いたたまれなくなってくる。






「……エリスが一番ショックを受けてると思うんだよな。だからお前がしっかりとフォローしてあげるんだぞ」

「……ああ」


「俺もぼちぼち行かねーと。千と四百近い生徒の診療を行わないとなんねえ。どう考えたって人手が足りん……まして、明日の試合に間に合わせるとなると」

「頼んだぞ……私は、私は。あの子だけで精一杯かもしれねえ……」


「……刻印持ちは黒魔法の余波に影響されやすい。お前も無理はするな、倒れたらエリスが悲しむ」

「……」






 普段の彼なら、俺が悲しむという所を――


 しっかりエリスに置き換えて言った所が、彼の才能や人間性を示しており、むかつく。











「……」

「……せんぱい」


「……」

「食べ、ますか……?」






 ファルネアの呼びかけに力なく首を振る。その後ろではアーサーがじっと肩を抱いていた。






「……エリス」

「……」




 ぽたぽたと膝に涙が落ちる。アサイアがハンカチを渡すも、受け取らない。




「お前は悪くない。悪いのは全部あいつらだ。勝手に踏み荒らした、あいつらが……」

「そうだ、エリスの言う通りだ」




 四人が顔を上げると、そこにはローザがいた。




 しかし――




「!!! げほっ……!!」

「ローザさん!!」

「エリス、こっちは見るな!」

「……!」




 少量ではあるが血を吐いた。ファルネアがすぐに駆け寄り、背中をさする。




「王女、殿下……私に、お心遣い……」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないです!! ふらふらじゃないですか……!!」

「ははっ――情けない――」




 何とか自分の足で立ち上がり、エリスの前に移動する。






「……!」

「……私もこんなんなっちまったが、決してお前のせいじゃない。勝手に暴れた連中の責任だ。幸いにも怪我人は出なかった――後は大人達がどうにかしてくれるさ」

「……!!」


「あの連中、カムラン魔術協会でしたっけ? 一体何が目的だったんですか!?」

「協会への勧誘、っていった所だろう。最もあれは洗脳に近いものだったが……」

「中央から遠いこの場所でも、声が聞こえてきたな。それに頭の中から響くような……魔法によるものか……」

「そんな強い魔法って……?」

「私はこの目で見た。魔法使ってる連中の身体に、黒い痣が浮かんでいた。これで確定だ、連中は黒魔法を研究している」

「「……!」」




 そのおぞましさに身の毛がよだつファルネアとアサイア。ローザはまた咳き込んでしまう。




「ごほっ……くっそ、気分が悪い……」

「ロザリン!!!」




 その人影はすぐにやってきて、


 ローザを肩から抱き締める。






「……ソラ」

「うわあああああん……僕、僕、心配したよぉ……」



 抱きかかりながらおめおめと泣く。大人らしくないとか知ったことか。



「ソラ……私は、まだ……」

「無茶しちゃ駄目だ!! 宮廷魔術師とか、そんなの今は忘れちゃえ!! エリスの面倒も見るし、他の子達の対応だって、全部僕がやる――だから!! ロザリンは休んで!! 僕からのお願いだ……!!」

「……」






 ソラの泣き声を背に、ローザは四人を見回す。






「……レベッカは勿論、ウェンディも今晩は戻ってこないだろう。エリスだって何があるかわかったもんじゃない、大人が一人じゃリスクに対応できない……」


「……だから。せめてもの気休めだ。お前らエリスと一緒に……「リップル!」「キャシー!」「カヴァス」




 ナイトメア達はそれぞれ返事をすると、目的の場所に駆け出していく。




「……悪い。私が刻印持ちじゃなかったら……こんな、こんな……」

「今はそれを責める時間じゃないでしょ!! ブレイヴ……ついて行ってあげて……」

「ばう!!」

「ネム~」




 ブレイヴとネムリンに支えられながら、ローザは宮廷魔術師の天幕に向かっていく。






「……よし。皆は僕が天幕に案内するよ。多分僕も呼び出されると思うから、その間四人はずっと天幕で待機だ。いいね?」

「はい!」

「わかりました!」

「……了解した」

「……」






 アーサーに支えられながら、騎士や魔術師が奔走する広場をぼんやりと見つめる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る