第301話 アサイア

「くっ……」




 巨大な足に向かって、剣と盾を手に立ち向かう一人の若者。鬼気迫った表情からは、これが観劇であることを忘れてしまいそうになる。




「ああ、何てことだ。銀を束ねし我が剣でも、貴様の肉体には傷一つ与えられないのか。おのれ、光の主シュセ神の御加護を受けたにも関わらず、それをふいにするような真似を抜かす、見るも醜い巨人め!」


「我等は宵闇に生きる者! 日が昇る間は見向きもせず、聞きもせず、声を掛けもせずに粛々と生きているではないか! 我等の何が気に食わない? 何故我等の住まう場所に光を当てようとする!?」




 若者の問いに対して、巨大な足が持ち上がる。さながら目の前の矮小な存在を、踏み潰すように。






「が、あっ……!! くそっ!! 離せ!!」




 若者の足には光の糸が巻き付き、逃げることを許さない。




「もはや、これまでか――」




 歯を食いしばり、目を閉じたその時、






「ウラド様!!」






 舞台袖から、一人の女性が飛び出した。








「……お前は、カーミラ? 我が愛しい妻ではないか?」


「はい、ウラド様と久遠の愛を誓い、身を焦がそうとも共に生きていく決意をいたしました、貴方の妻カーミラでございます……」


「馬鹿を言うな!! 私の言いつけを破ってのこのこと出てくるようなことが、愛であるわけがない!! あの巨人は、お前のような儚き命なんぞ、ものの一瞬で潰してしまう、そのような恐ろしい存在なのだぞ!!」


「ですが貴方も、その恐ろしい存在に、たった今潰されようとしていました。それをただじっと見ているだけだったのが、私には耐えられとうなかったのです……」




「……ああ、そうだ。お前は昔から、強情な所があった。昔、私が灰色の荒野を駆るミノタウロスを討伐し、戯れにその血を吸おうとした時も、そのようなけだものの血は高貴なる貴方には相応しくありませんと、身体で抱き着いて止めてきたことがあった……」


「その通りです。貴方の命は、高貴で尊ぶべきもの。ましてや、今見えている愚鈍な化物なぞに、潰されていい命ではないのです」






 二人で見上げる巨大な足は、機嫌を損ねたように震えている。






「気付いているか、聡明な愛しき人よ。この巨人と剣を交えてからというものの、日の光は一向に強くなるばかりだ。奴が持つシュセ神の御加護が、世を影無き光で覆い尽くそうとしているのだ」


「ええ、気付いておりますわ。勇敢で愛しき人。光有る所に影は有り、影無くして光は存在し得ない。この巨人は、イングレンスの理に反しようとしているのですね」




「ああ、その通りだ。理を破る者がまかり通ってしまえば、理を守る者は死の淵に追いやられていくだけ――しかし理に則る以上、理を破る者への手立てがないのもまた事実なのだ――」


「ならばもう、初心に帰ってみるのはどうでしょう。ほら、こうやって――」






 女性は跪き、天を仰いで両手を組む。






「混沌たる闇の神よ。紫闇拡がる寂寥に、夜を想いて剣閃振るう。主の奮励は我が道標。主と双肩並べるその日まで……」


「混沌たる闇の神、エクスバート神よ! 我等は宵闇に生きる者、汝の忠実なる下僕なり! 我等が愛した狂おしい夜は、今忌々しき光に飲み込まれようとしている! どれだけ夜を想いても、偽りの幻想の呼び声がそれを消し去っていく!」


「苦しい、憎い、狂おしい!!! どうか、どうかこの慟哭が耳に入られましたら、我等の元にお寄越しくださいませ――沌夜を率いる、狩人達を!!!」






 瞬間、一部を残して、壇上の照明が落ちる。




 視界が殆ど見えなくなった講堂に、音が響く。






 それは天井から聞こえてきて、更にそこにスポットライトが当たって――




 上空を駆る、悍ましい亡霊の大軍を照らし出した。








「亡霊の狩人、ワイルドハント!! 私は今死の淵に立っているのか? かの者の姿を見れば、魂を混沌の底まで連れていかれてしまうのだ!! いや、それは違う!! 今私は、我が妻がかの者達を呼ぶのを、しかとこの目で見た!! 呼び声に応じぬ主君が、この世には存在するものか!!」






 過度に輝いていた壇上の照明は、




 天井から飛来してきた蝙蝠によって、徐々にその光度を下げていく。






「そうだ、そうだそうだそうだ!!! あの憎き光を狩り尽くせ!!! 我等闇の覇者には夜こそが相応しい!!! 影の世界に日の光を齎すことを、エクスバート神はおろかシュセ神すらも望んでいない!!! 大いなる光と闇の幻想が、理を乱す者に夜想の裁きを与えるだろう――!!!」






 巨大な足は、壇上の明度に比例して、その動きをどんどん弱めていく。






「見たか、憤ろしい閃光の巨人め!!! 我等の祈りがかの御方に通じた!!! もはやこの銀の剣も、只の鈍ではない――汝に絶対になる死を与える、必殺の一撃と化すのだ――!!!」






 青年は、足に向かって、剣で斬り付ける――











 それから数十秒立つと、再び照明が灯される。






 しかしそれは月のように青白く、けれども柔らかくてほんのり暖かい。








「ああ、カーミラよ。今私の魂が打ち震えておる。あの月が再び我等を照らすのだ。闇に浮かぶ狂いし光、我等の世界にはあの光だけあればいい……渇いている。飢えている。この牙が首に刺してくれよと、悶えて一人でに飛んでいきそうだ――」


「ウラド様、銀を束ねて光を打倒せし人……私は、もう……」




 ぐったりと倒れ込む女性を、抱え込む青年。




「しっかりしろ!!! 君はまだ、ここで死ぬべき人ではない!!! 私だけを助けに来た挙句、おめおめとその命を絶つことなぞ断じて許さん!!!」


「いいえ……私は、少しばかり疲れただけでございます。あのワイルドハントが招来なされている間、私は神の意思を繋ぎ止めておりました。それで力を使い果たしたのでしょう。早く崩滅と壮麗とが折り重なったあの屋敷に帰り、窓からの月に照らされながら、瞳を閉じて夢に意識を委ねたいものです……」


「そうか……大義であった。私一人が祈った所で、それはあまりにも無力で拙いものであった。そのような惨状では、エクスバート神はワイルドハントを遣いには出さなかっただろう。君がいてくれたからだ。君がいなければ、私は……」




 青年はそう言いながら、女性の首を露わにする。




「これは私からの、せめてもの礼だ。穏やかに眠りにつけるよう、今より更に身体が疲弊するよう、心地良い痛痒を与えよう」


「ええ、私はこの身体を貴方様に捧げます。どうか、この身に流れる赤き命の巡りを、貴方様の一部に……それが私の、幸福、でございます……」




 女性の首筋に青年が噛み付こうとした所で、






 照明が一気に暗転する。






 そして一瞬の静寂を待って、幕が下りてきた。
















「いよーーーーーっアーサー君お疲れ!!!」

「中々の名演技でしたわよー!!!」




 着の身着のまま部室に戻ってきたアーサーを、三年生の先輩生徒が歓迎した。




「あ、ありがとうございます先輩方。しかし、何もここまで……」

「すげーもんにはすげー賞賛を送る!! それだけ!!」

「さあこれ食え!! ブラウニー・ボムだ!!」




 奥のテーブルには、ダレンによって持ち込まれたであろう容器が幾つも積み重なっている。




「料理部のやつですね」

「ブラウニーの中のチョコレートで二度美味しい!! まさに甘味のびっくり爆弾!!」

「さり気なく手を伸ばしてるけど着替えて???」

「ああ、すみませんマイケル先輩」




 アーサーが更衣室に入ったのを受けて、アザーリアが目の色を変える。その視線はブラウニー・ボムの箱に注がれている。




「アーサーく「料 理 部 で 買 え!!!」


「……しゅーん」

「これはなー!? 名演技を披露してくれた一年生諸君への差し入れなんだぞー!? お前のものじゃないのー!? ドゥーユーアンダースターン!?」

「いえすあいあむでございますの……」

「うっしわかればよろしい」


「安心しろ、アザーリアの分は俺が奢ってやる!!」

「ダレン……!!」

「そういう所だぞお前!!!」




 そこに入り口から、ラディウスがひょっこり顔を出してくる。




「ちょいと君達、アーサーって戻ってきている?」

「今更衣室だよ」

「そう、じゃあここから言うか。アーサーにお客さん来てるよー」

「お客さん?」

「今隣の空き教室で横になってるから、後で会いに行ってあげてー」

「わかりましたー」




 その瞬間、しゃっとカーテンが開かれる。


 学生服に着替えたアーサーだ。キャスパリーグも発現している。




「もしかしてお前のファンか!? 早速ファンできたんじゃないの~!?」

「いえ、横になっているということは……恐らく知り合いです」

「あれっそうなの。ていうかあれかな、気分悪くしちゃったかな」

「ワイルドハントの演出凄かったからねえ。流石はマチルダ先生の監修だ」


「とにかくボクはお客さんに会いに行ってきます」

「いってら~。あ待って、ブラウニー・ボムはどうする?」

「ん~……三箱貰っていきましょう。振る舞います」

「りょうか~い」

「ニャァオ~ン」











 そして隣の空き教室。






 アーサーは演劇部のパンフレットを眺めながら、エリスの様子を見守っている。






「『宵闇王ウラドの巨人討伐記』……」

「ワオン?」

「ケルヴィンの歴史を元にした劇で、デュペナの方では有名らしい。ヴァンパイア族のウラドという青年が、光の巨人ネフィリムを討伐したことにより、ヴァンパイアは神聖八種族として名を馳せるようになったと」

「ワオーン……」




 そこにがらがらと扉が開かれて、噂の後輩がご登場。






「失礼します。アーサー・カルトゥス、只今推参……」

「オレ達はお前の正体を知っているぞ」

「……アサイア・カルトゥス、ただいまやってきましたぁ……」




 アサイアはアーサーの斜め右前、エリスの正面に座る。




「エリス起きろ。アサイアが来た」

「……」




 身体を優しく揺すられ、目を覚ます。


 そのまま目を擦りながら、ホワイドボードに手を伸ばす。




「……まだ声が」

「そうだな……」


「ニャオ~ン」

「ワホ~ン」






『劇見たよ かっこよかった』

「ありがとうございます。ボク……私に演じられるかどうか、不安な所ありましたけど。でも練習、頑張りました」


『すごく頑張ったの 見ててわかった』


『だけどごめんね 発作起きちゃった』

「発作?」


「呼吸が荒くなって倒れた。演劇部の学生が来て、空いているここに運び込まれたんだ」

「そうだったんですね……その発作って、何が原因か心当たりあります?」

「……」




『なんかね お月様はだめみたい』


「月……ですか。しかしあの劇において月は……」




『ヴァンパイアだから 月は大切』


「ええ。仕方ないのは仕方ないんですけど、それでも申し訳ありません……」






 深々と頭を下げるアサイアに、アーサーは温かい箱を差し出す。




「ん、これは」

「購買部の生パスタだ。お前の分だ、遠慮なく食え」

「あ、じゃあこっちも……料理部のブラウニー・ボムです」

「ブラウニー?」

「食べてみればわかります。エリス先輩もどうぞ」

「……」




 箱を開けて、取り敢えず一つ食べる。




「……!」

「チョコケーキの中にチョコレートか……考えたな」

「これテイクアウトだから冷めてますけど、あったかいままミルクやホイップクリームにつけて食べると激ウマらしいですよ」

「なら料理部に行く理由はなくなってないな」


『うん あとね』

「何だ?」


『他にやりたいことあるの』

「何処に行きたい?」


『ホラーハウス』

「……」

「……」






 一年生担当の教員が総出で出店している、俗に言う肝試し。






「……その、恐怖系は……少し……」




『わかってる 雰囲気だけでもいいの』

「んー……生徒会の方に相談してみますか?」

「名案を思い付いた」


「おっ、何ですかアーサー先輩」

「お前とファルネアで入って、その感想を伝える」




 当然固まるアサイア。パスタのフォークを片手に持ったまま。




「……この際だから私はいいとして、何でファルネアなんですかぁ!?」

「エリスともお前ともオレとも仲が良いだろう」

「ま、まあそうですけど!?」

「よし、シフトを確認するために早速料理部だ。甘味も欲しいしな」


「……何か今日のアーサー先輩アグレッシブですね!?」

「予定が詰まっているんだ……ホラーハウスの終了時間が、曲芸体操部の発表に間に合うようにしないといけない」




『外出許可 今日だけなの』

「あ、そういう……わかりました。行きましょう行っちゃいましょう!」

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