第277話 傷跡は深く
「よし……よし。ありがとう。お前ら、申し訳ないけど椅子持ってきて座ってくれ。ああそうだな――アーサーとイザークは、極力私の後ろに入るように」
「……わかった」
「ああ……」
言われた通りに、三人は椅子を持ってきて座る。
「うっし……先ずは最初に、お前らに訊こう。放課後になってから今に至るまでの状況を教えてくれ」
「……臨海遠征が終わって、久しぶりの学園で。放課後になったから、お見舞いに行こうって話になって……」
「最初ここに来た時、エリスは寝ていたんだ。でもオレの声を聞いたら目を開けて……オレと目が合った瞬間、暴れ出して……」
「ボクとアーサーで押さえつけようと思ったけど、逆効果だった。もっと暴れちまって……エリスには悪いことをした」
「そうか……そうか」
優しく、温かく、けれども悔しそうに、
ローザはエリスの手を握り締める。
「エリス、これから話すことは、お前にとっても重要なことだ。しっかりと聞いてほしい。もし耐えられなくなっても、ネムリンや私がいる。それでも耐えられなくなったら、私の手を握り返せ。いいな?」
「――」
エリスの頷きを確認した後、今度は三人に向かって。
「……さっきのことは、お前らの責任ではないさ。だってお前らは知らなかったもんな。今エリスの身体に、何が起こっているのか……」
「……」
「……お前らは十二歳か。なら媚薬については……まだ知らないか?」
「……薬、ですか?」
「薬つっても、怪我や病気を治す為に用いるんじゃない。酒や煙草と同じようなもんだ。子供が使ったら強すぎる効力故に、人生の全てを狂わされる」
「……それを、エリスは飲まされた?」
「……」
「大人が使う、大人にならないと使えない物を……飲まされた」
「……」
「……十二歳だぞ。十二歳なのに、あいつは何でそんなもの……!!!」
「アーサー、それ以上は言うな!!」
再びエリスの呼吸が不安定になり、ネムリンが抑える。
「……っ」
「お前の言いたいことはわかる、私だって同じ気持ちだからな――だが冷静になって聞いてくれ。私も冷静になって話すからな」
「……すみません」
「よし、話を元に戻すぞ。エリスが飲まされたのは、数ある媚薬の中でもとびきり強い効力を持つものだ。それを飲んだら最後、ある特定の手順を踏まなきゃ、一生薬の効果は切れない」
「効果は切れないって、つまり……」
「発情して男を求め続ける。視界に男が映る度理性を保てなくなってしまう。今はまだあいつに対する恐怖心が残っている状態だから、それが勝ってしまい、感情が抑え切れなくなった。それが結果として暴走ということになったんだろう」
「……その、特定の手順、って?」
「一方的な支配だ」
憎悪を孕んだ声色。
普段の彼女にはない、本物の憎しみだ。
「あまりにも醜穢だ。この世に存在する邪悪な願望を、全て受け止めないといけない。尊厳を踏みにじられた上で、隷属を強要させられる」
「……」
「十二歳でも差し支えのない表現をするとこんな感じだ。もっとストレートに表現できるが……それを聞いたら、お前らは卒倒するだろう」
「ああいいよ。もう十分わかったよ……特定の手順を踏むにしても、苦痛を味わうことには変わりないってことだろ。それって、それって……」
「……飲まされた時点で、苦しむことが決められたようなものじゃないか……」
再び拳を握り締めるアーサー。
「……特定の手順以外で、何とかする方法は?」
「人間本来の治癒能力に期待するってやつだ。生活を徹底的に管理し、食って寝て健康的な生活を送る。そうしていくうちに、薬の成分が排出されていくって算段さ」
「……薬で直ぐに治るわけじゃ、ないんですね」
「……早くて三ヶ月、最悪半年を見積もっている。その間は学園にも行かずに、私らと一緒に生活してもらう」
最初はともかく最後の言葉に、きょとんとする四人。
「第四階層にな、そういうのを専門にして治療するエリアがあんのよ。暫くはそこで生活してもらう。勉強は私が教えるから安心しろ。今までとは少し違った生活をすることになるが、まあ慣れていくさ」
「……」
「そう不安そうな目するな――ってのも無理があるか。至って普通の森だよ。詳しくは行ってから説明すっからな。んでだ――」
再びアーサー達三人の方に向き直る。
「さっきので重々わかっただろう。まだ傷を負ってから日が浅い。不用意に他人と接触してしまうと、本人にも強い負担がかかってしまうんだ。どうなるかなんて私にも予想つかない――」
「……」
「……だから、当分の間は見舞い禁止だ。これから生活する場所も、悪いが教えられない。教えたら行きたくなってしまうからな……だが、エリスの容態については定期的に知らせる。これは約束する」
「容態次第では徐々に解放していくさ。何時になるかは本人次第、しかも心じゃなくて身体次第だから、わからないけどな……」
「……それなら」
真剣な眼差しで、ローザを見つめるアーサー。
「ん?」
「それなら、一つ提案いいですか」
「何だ?」
「オレのナイトメア……カヴァスを、傍に置いてやってもいいですか」
「……ほら、カヴァスって犬だから。犬に触っていると安心できるんじゃないかって……それに、何かあったら、オレも状況が知ることができるし」
「……」
考え込んだ後、薄目を開いて。
「……私が何やるか信用できないってか?」
「そんなことは……!」
「冗談だよ。まあ、アーサーの言うことにも一理ある。動物枠は私のネムリンとその他で何とかしようと思っていたが、増えることには越したことはない」
「じゃあ……」
「ほらわかってんならさっさと呼び出せ」
「……はい」
指を鳴らすと、自分の身体から愛くるしい白い犬が現れ、
そして一目散にエリスの膝に乗る。
「ワンワン!」
「エリスのこと、よろしくな」
「ウー……ワオン!」
「ほーう、近くで見るのは初めてだが、こんなにちょこまかと……これなら安心だな、エリス?」
「……」
カヴァスを抱きかかえながら、しっかりと一回だけ頷く。
その顔は僅かながら綻んで、嬉しそうだった。
「よし……あと説明することは……ないか?」
「あ、ボクから質問っす」
「おう何だ」
「その……さっきからエリスずっと喋ってないじゃないですか。それも薬っすか?」
「……声が出ないっていうのは、強いショックを受けた時に起こり得る症状だ。けれでも薬の影響は多少あるだろう。魔術的な影響で、本来出る所で声が出せなくなってしまっている。息を吸う時とかだな……まあ時間経過と共に少しずつ、また喋れるようになっていくから安心しろ」
「そっすか……よかったっす。一生このままだったらどうしようかと……」
「乗り越えていければ元に戻るさ――こんなもんかな?」
「はい、あたしはもう大丈夫です……二人は?」
「ボクも十分わかったよ」
「……」
アーサーは重々しく立ち上がり、帰り支度を始める。
「……カヴァスも託したんだ。あとはもう……回復を信じることしか、できないんだろう」
「……」
「そんな暗い顔すんなって。去年のアルーインでの出来事、オマエも覚えてるだろ? ローザさんは一流の魔術師なんだ、信用していいと思うぜ」
「……」
「そりゃあまあオマエをナンパしようとしたとか口が悪いとか色々思う所は「ア゛ア゛ア゛」
「んひぃ~……」
一時的に痺れてしまったイザークを、立ち上がらせるカタリナ。
「じゃあねエリス、あたし達……もう行くね」
「……」
「うっし、元気でやれよ。元気になってから、また色んなことしような。ボクらずっと待ってるからな!」
「……」
「……」
周囲の時間が止まったかのように、じっと見つめ合うエリスとアーサー。
「……元気、でな」
「……」
「エリスのこと、よろしくお願いします」
ローザに向かって、深々と頭を下げる。
「……ああ。任せろ。宮廷魔術師の肩書に懸けて、絶対に治してやる」
それからゆっくりと顔を上げて。
「……失礼します」
「失礼しました。ばいばい、エリス」
「じゃーな! 失礼したっす!」
ばたりと扉が閉じられ、部屋には二人だけが残される。
「……」
「……」
「……毎度思うが」
「いい友達だよな」
不意に彼女は過去を語る。
「私、小さい頃さ。精神が不安定だった時期があって……そんで親でも手がつけられないってことで、診療所にぶち込まれたんだ」
「辛かったぜ。まだ心的療法も研究が進んでいなかったから、部屋に一日中閉じ込められて適応訓練させられんの。人に迷惑かけてばっかだったから、心配してくれる友達もいねえ。そこから他人なんて信用できんってなって、今のような性格になっちまっただけだけど」
「でも、お前は違う。待っていてくれる友達がいる。心配してくれる友達がいる。それだけで……どんな辛い治療も耐えられるってもんさ」
両手を握り締めてじっと目を見つめてくる。
装飾品のない瞳が湛えるのは、大人としての覚悟と責任だ。
「戦おう。絶対に勝ってやろう。こんな穢らわしい呪縛からさっさと逃れて、元の生活に帰ろうな――」
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