第271話 戦闘準備・後編

 日が暮れ、島にもすっかり夜が訪れた。




 ぽつり、ぽつりと灯り出した篝火が、皆の心を辛うじて落ち着かせる。




 しかし落ち着いた所で、朝が来てしまえば、あの化物が襲ってくるのだ。








「ってー……」

「済まないな。この期に及んで、血が必要などと」

「いいよ、全然いいよ。必要なんだろ?」

「……ああ」




 地面に描いた魔法陣に、血を垂らしていく八人。


 そうした後は全員外に出て、じっと見守っている。






「よし……準備は整った。来てくれ」






 ヴィクトールは魔法陣に手をつけてしゃがむ。


 手招きされたナイトメア達も、周囲に集まっていく。




 魔力を流し込むように、ヴィクトールは目を瞑る――






「――」




 魔法陣から閃光のような波動が走る。




 それに包まれると、何か物を押し付けられて、肉体の中にめり込むような感覚がした。








「……よし。終了だ。何か……違和感は感じるか?」

「す、すごくどきどきするのです……」

「恐らく俺の鼓動が感じられているのだろう。問題ない」

「ふー……」




 へたれ込んだスノウは、リーシャに回収されて頭を撫でられる。




「しかし大丈夫か? ボクら七人に魔力供給を行うって。疲れないか?」

「日頃より魔力の質を高める訓練は行ってきた。ある程度なら耐えられる自信はある。やらないよりは、足しておいた方がいいだろう……それに」




 ヴィクトールは魔法陣を足で消しつつ、中央に置いてあった物体を回収する。


 それは剣を納める鞘――アーサーが持っていた、装飾が豪華なあの鞘であった。




「奴がこの鞘を通じて魔力を送ってくれた。前線に出られないことを気にしている様子だったが……これだけでも十分だ」

「……これが原因で不調を来さないといいけど」




「それにしても、このような魔法陣も描けるとは。ヴィクトール様は誠に魔術に対する造詣が深いんですね」

「……勉強、してきたからな」

「!!!」




 シャドウが妖精達に向かって大きく手を振り、ヴィクトールを指差す。そして拍手をする。




「……凄いんだぞこいつは、って言っているな」

「シャドウ……」

「!!!」


「……ありがとう、な」





 こうして戦闘準備は粗方終わった。


 次に何をしようか考えている所に漂ってくる、香ばしい匂い――








「これは……」

「肉だ!」




 目を輝かせて、皿を持ってきた者を見つめるクラリア。


 しかしその目は急速に輝きを失う。






「……」

「クラリア? どうした?」


「……これ、肉じゃないな?」

「はは……やっぱり、獣人の方にはバレちゃいますか……」




 彼はそうして一人一人に深皿を渡していく。


 そこには焼かれた肉――と思われる料理が、野菜と共に盛り付けられていた。




「皆さんは大豆って知っていますか。自分もここに来て初めて知ったんですけど、ブルーランドとかの南の地方でないと育たない作物らしくて。この村でも育てているんですよ」

「……まさか、豆なのか? これが?」

「ええ。大豆を潰して、肉の形にして固めているんです。これが結構ボリュームがあって、お腹がいっぱいになるんですよ。そうして今まで乗り越えてきました……」




 申し訳なさそうに彼は俯く。




「……」

「……英気を養ってもらいたかったんです。ですが、駄目でしょうか……」

「……いいや」




 次に彼が顔を上げると、


 クラリアは深皿を受け取り、料理を食べ始めていた。




「美味いぜ。豆って言われなきゃ、獣人以外は気付かないと思う。肉厚も凄かったし……アタシ、頑張れるぜ!」




「んー、確かにがっつりだわ! 腹一杯になる!」

「もぐもぐもぐ……」

「……まあ、いいんじゃないの」




 他の面々も座って食べ尽くしていく。お腹が膨れると、如何なる状況であろうとも元気は出る。






「いいか皆、明日は絶対に勝つぞ。絶対に勝って、この島を出て、皆に本物の肉を食べさせてやるぞ!!」

「うん……クラリアの言う通りだね。明日は絶対に勝とう。この村の、そしてあたし達の、未来の為にも」

「そうだな! ボクらはまだまだやりたいことあるんだ! ここで死んでたまるかってんだ!」

「同じ!」

「私もぐっ!」

「食べながら話すなよ……はあ」


「何だハンス、完食したのか。貴様のことだ、汚い飯とか何とか言うかと思っていたが」

「背に腹は代えられないんだよくそが!! くそっ、あいつ絶対許さねえ!! あいつぶっ潰した後にてめえらはぶっ殺してやっかんな!!」

「精々楽しみにしておくわ。コイツに決闘の妨害されたし、続きは受けて立つわよ?」

「上等だ……誇り高きエルフを馬鹿にしたこと後悔させてやる……」


「ハンス、戦う? おれ、行く。ハンス、戦う、気になる。おれ、観たい」

「え、あ、ああ……そうだな?」

「安心して、ルシュドは絶対に呼ぶから。楽しみにしておきなさいよ?」

「わあい」

「……くそがあ……」






 どうしても最後の晩餐という単語が過ってしまう。


 そんなこと考えていたら現実になってしまうので、つくづく考えないように努力する。


 単純に料理の美味さを実感していればいいのだが、落ち着く余裕ができるとやはり考えてしまう。






「……ボクが言うのもあれだけど、呑気だなあ」

「いいんじゃない? ピリピリするよりは気楽にした方が」

「全くそのとぅーり!!」




「……」

「……どしたんカタリナ」

「え、あ……うん」

「言いたいことがあったら言っちまえよ。さっきの台詞撤回するようで悪いけど、最後になるかもしれないんだぜ」

「……」




 彼女は胸に手を当てながら、絞り出すように言った。






「臨海、遠征……」


「臨海遠征、楽しい臨海遠征……の、はずだったのに。どうして、こうなっちゃったんだろう……」




「……」






「……何かさあ。もうこうとしか考えられないよね。誰かがボクらの臨海遠征を、滅茶苦茶にすることを望んだ」

「……恨まれることしたかな? 自覚ないんだけど?」

「ま、そうっすよねー……」

「……」




 真面目にやるのは自分の性分ではない。例え明日のことを考えて、手足はおろか心臓ですらも震えてしまっても。


 いつも通りを装って、皆を励ますのだ――




「とにかくさ。起こったことはもう仕方ねーよ。後は最善尽くして女神の気の向くままに、だ。目の前のことを頑張っていこうぜ?」

「……そうだね。他のこと考えている余裕なんてない。考えていたら、死ぬだけ」

「そうね、その通りだわ……」











 妖精達の家屋は、天井が開閉できるようになっている。何故そのような造りにしているのかを訊いた所、




 天気がとてもいい日に、寝ながら星が見えるようにしているのだそうだ。






「……」




 今日の星空は綺麗だ。こういう時に限って、意地悪にも星を隠す雲は一つも見えない。


 夜更かしが禁じられている臨海遠征では、決して見れない景色――






「う……」




 なのに彼女は、




「ぁ……いや……」




 それを見ることすら叶わず、




「いた……いたい……やめて……」




 星の一つも見えやしない、深い苦痛に閉じ込められて――











「……まだ起きているかしら」






 その声を聞いて、アーサーは起き上がった。






「……サラか。今は横になっていた所だ」

「そう。それじゃあ、腹は空いているわね」

「……食事か?」

「大豆を用いて作ったサラダボウルよ」




 サラは机の上に深皿を置く。まだほんのりと湯気が沸いていた。




「英気を養ってもらいたかったんですって。アナタも有難く食べなさい」

「……」


「そもそも、アナタが発破かけてくれなきゃ皆残らなかったのよ。その点では、アナタも一緒に戦っている。例え前線に出なくてもね」

「……」




 何も言わず深皿に手を伸ばす。


 その間に、サラは持ってきた鞘を彼の横に置いた。




「これのお陰で随分と助かったわ。どう? 眩暈とかしてない?」

「……平気だ。極端に体調が悪くなるようなことは、今の所ない」


「そう……よかった。言っとくけど、アナタあっちにいた段階で、それなかったら危なかったのよ」

「……そうなのか」




 食事の手を中途半端に止めて、アーサーは鞘に目を遣る。




「ワタシの雑な治療でも上手くやれて、最後まで走れたのだって、全部その鞘のお陰。アナタを維持するのに足りない魔力を、自動的に供給していたのよ」

「そう……っ!」






 今のサラの言葉から、アーサーはあることに勘付く。


 彼女は自分の身体が、魔力で構成されていることを知っているのだ。


 人間とは違うことを――知っている。






「……サラ。お前……」

「ああ、忘れていたわね。ワタシはアナタの正体を知っているわ」


「……ナイトメアということをか」

「騎士王であることまでね。武術戦でゴチャゴチャやってる時に、ヴィクトールとアナタの会話を立ち聞きしたの」

「……そうか」






 サラは背中を向け、家屋の外を見つめたまま話す。アーサーは敢えて視線を合わせない。


 エリスの苦痛に悶える声を聞きながら、会話は進む。






「ワタシを殺したりはしないの?」

「このような状況でするか?」

「まあそうよね」


「……それに、お前の性格なら誰かに言うような真似はしないだろう」

「……まあそうね」

「……」




 ヴィクトールといいサラといい、頭の切れる者というのは、やはり理解できてしまうのだろう。


 だがその分、何故その秘密を公にできないのかも、理解してくれるのが有難い。






「で、それを踏まえて推測したのだけど」

「……」


「あのバケモノ、汗が流れていたじゃない。あれ……汗じゃないわ。魔力よ」

「魔力?」

「魔獣は幾つかの魔物を接合させているって話でしょ。多分魔術的な何かで無理矢理繋ぎ合わせているんだわ」

「完全に分離すると、今度は小型の化物のようになるわけか」

「そういうことね」




 月に照らされた彼女の顔は、憂いを帯びていた。




「地下にいた時、ワタシもほんの少し臭いを感じた。鼻を通じて脳に響く臭い。だから多分……あそこには神経毒かなんかが散布されていたんでしょう」

「毒……」

「魔力構成に干渉し、徐々に放出させていく毒よ。それで魔獣の魔力構成を乱して、身体機能を落としていた。制御しやすくするためでしょうね」




「普通の生命体だと魔力の上に皮膚や体組織があるから干渉されないけど、一から百まで魔力で構成されている生命体は、どうかしら。魔獣もそうだけど、他にも――」

「……ナイトメアか?」

「……そう、なるわね」

「……!」




 拳を握る。手が震える。


 魘される声が、一際大きくなって聞こえる。






「だからね……うん、ごめんなさいね。これはワタシのエゴかもしれないけど、言わせてもらうわ」


「今アナタが不調を起こしているのは――仕方のないこと。あそこにぶち込まれた時点で、アナタは何もできないことが確定していた。きっとそれは……避けれらない運命だったと思う。だから……気を落とさないで。っていうのも、こんな状況じゃ難しいと思うけど……」






 棘だ。


 悪意のない棘が、突き刺さってくる。


 それは真実や事実という名前を有している――






「……ワタシからは以上よ。何かある」

「……」




「……いや」


「……そう」




 彼女は立ち上がり、そして二階から降りようとする。






「……ワタシもう行くわ。明日は早いし、もう寝る」

「……ああ」


「……アナタも早く寝なさいよ」

「……」






 後ろ髪を引かれるように、サラは家屋を出ていく。











「……」




 エリスの隣に行き、そのまま横になった。


 彼女の分まで用意されたサラダボウルが、虚しく風に揺られる。






「……」




「エリス」




「皆、戦ってくれるよ――この村と、そしてお前の為に」








 開き放しの天井から風が通り抜ける。




 それが涼しく心地良くて、ここが南国であることを――自分達が一歩間違えれば死の深淵に叩き落される現状にいることを。




 どうにも忘れそうになる。願えるものなら、忘れたい。








「……オレさ、どうにも身体が弱っていて」




「一緒に戦えないんだ。お前と一緒に、ここで待っている」




「もどかしいけど――あいつらならやってくれる。そんな気がしているんだ」






「……でも」




「もしも皆が、負けそうになったら」




「その時は――剣を抜くよ。魔力を使い果たしてでも、あいつは、絶対に」








「……」




「そうなってしまったら、ごめんな」




「目覚めた時に――オレが消滅していたら、ごめんな――」

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