第231話 最終戦前日・その3

<午前七時半 男子天幕区>






「……」




 今日も今日とで、朝起きて顔を洗うヴィクトール。



 いつもはすぐに顔を拭くのだが――




「……何だ」



 眼鏡をかけていない主君の姿を取ったナイトメア・シャドウは、嬉しそうに彼を見つめる。



「……俺がこの所、生を実感していると」



 忠騎士は小刻みに頷く。



「……貴様にはそう見えるのか」



 主君は遠くを見つめて目を閉じる。





「……!」




 目を閉じていたかと思うと、突然シャドウはかっと目を見開き――


 ヴィクトールの服の裾をつまんで、一点を指差す。




「今度は何だ――っ!?」




 

 先程まで誰もいなかったその場所に、男性が一人立っていた。




 縮れた黒髪の、温厚そうな人物である。





「……久しいな、ヴィクトール」

「父上……」





 戸惑う息子ヴィクトールをよそに、父――ヴィルヘルム・ブラン・フェルグスは近寄ってくる。





「いらしてくださったのですね……」

「息子達が戦う折角の機会だ。ミュゼアやアーノルドに無理を言って、休みを貰ったんだ。もっともあの二人も一緒に来たがな」

「そうでありましたか。私……我々のために、ありがとうございます」

「……」




 言い直した姿に穏やかに微笑むヴィルヘルム。


 一方のヴィクトールは、ここまでの会話のどこに微笑む要素があったのか、見当もついていない。




「ウィルバートの方にはご挨拶されたのですか?」

「いや、あいつにはこれから行く所だ」

「そうでありましたか。きっと喜ぶことでしょう」

「そうだな……何だかんだ言って、あいつは私やお前のことが好きだからな」

「……」




 弱虫毛虫の、臆病で軟弱で、腑抜けで意気地なしのニンゲン――




 いつか弟が言い捨てた言葉が想起される。




「父上……」




 自分の失態は、恐らく耳に入っているだろう。


 失望しているに違いないだろう――




「その……」

「私はもう行くよ。明日の試合、期待しているからな」




「……わかりました。ご挨拶に来ていただき、ありがとうございます」





 元来た道を進み、手水場を後にするヴィルヘルム。その背中に、ヴィクトールは延々と礼をしていた。




 もうこの会話は終わりなのだと、彼が感じた瞬間。





「ああ、そうだ――」



「お前も、色んなことをしてしまったみたいだがな」



「それを受け入れ認めてくれる、良き友人がいる。素晴らしいことではないか」




「――やはりお前は希望だ。グレイスウィルに送り出して、正解だったよ」






(……え?)




 頭を上げてその言葉の意味を訊いた所で、


 返事をしてくれる相手はどこにもいなかった。








「フィッシュアンドチップス! フィッシュアンドチップス! やっぱり朝はこれに限るぜ!」

「味が薄いからボク好きじゃないんだよね!」

「高血圧で死ぬぞ」

「何それひっど!!」



「すこーんすこーん、すここここーん」

「……ルシュド?」

「ジャムをかけたらすここここーん……どうした?」

「いや……何でもねえ……何でもねえよもう……」



「ハンス、やろう。すこーんすこーん」

「いい!! やんない!! 飲み物準備する!!」

「わかった。よろしく」

「あ、ああ……」





 朝練帰りの一同は、現在焚き火に様々な食材を火にかけ、てきぱきと朝食を作っている。





「刻んだチーズもかけてあげましょ」

「んほー美味いやつ!!」

「チーズは最強食材。これ常識よ」



「山羊のチーズが最高に美味いんだ! アタシの好物だぜ!」

「ワタシは癖があって好きじゃないのよね。その辺の感覚は、獣人だと違うのだろうけど」



「おいハンス、オレのはセイロンだセイロン。オレはアールグレイは好きじゃないんだ」

「オマエ紅茶はホント拘るよなあ」

「あ~間違ってきみのセイロンにレモン汁入れちゃった~」




            しゃきん




「残念だハンス、お前とは良い関係を築けていると思っていたのに」

「冗談だよ!! だから構え取るな!!」



「皆ー今日のパイはキャラメルアップルパイよー」

「おれ、林檎パイ、大好き!」



「ぜぇぜぇ……ぼく見たぞ、この女スターゲイジーに手ぇ伸ばしかけたの……」

「殺す気か!!」

「あのねえ、アナタ達散々スターゲイジースターゲイジーって馬鹿にしてるけどねぇ、これ魚料理なのよ? 栄養満点なのよ? まあワタシは食わないけど」

「やっぱり殺す気じゃねーか!!」





 チーズがかかったマフィン、ブルーベリージャムのスコーン、フィッシュアンドチップス、キャラメルアップルパイ、その他諸々が好みの飲料。



 それなりに豪華な朝食が出来上がった所に――



 この天幕の本来の住人が戻ってきた。





「……」

「……あら、いい所に来たじゃない?」

「ヴィクトールおはようさん!! ボクらが来たぜ!!」



「……何を、しているんだ?」

「見りゃわかるだろ、朝食作ってたんだよ」

「いや、だがここは……」

「アナタに朝食振る舞いたいって言ったら、他の生徒は空気を読んでカーセラムの方行ったわよ」

「なっ……」



「紅茶とコーヒーとミルクどれがいい?」

「……コーヒー」

「あいよー。まあいいから座れや」

「アタシの隣が空いているぜー!!」

「……」




 最初こそ戸惑う様子を見せたが、腹が減っているので自然と選択肢が減る。




 ヴィクトールは言われるがままにクラリアの隣に座った。




「はいオマエの分のマフィンな!」

「ハギスのマフィンねそれは」

「えっ」

「冗談よ。ドッキリで仕込んでやろうと思ったけど、やめたわ。ふっつーのエッグマフィンよ」

「なあ今後こいつに食材調達頼むのやめようぜ?」

「……」



 その後、フィッシュアンドチップスとスコーン、それからパイが配られ、



「んじゃ挨拶しようぜ!」

「マギアステル神とアングリーク神になんたらかんたらー」

「いただきまーす!!」






 ――お前も、色んなことをしてしまったみたいだがな




「うっひょおおおお!! うめえ!!」

「はぐはぐ……」

「ルシュド、こぼれてるこぼれてる」

「うああ……おれ、だめだ……」

「急いで食べるからだよ。ほらハンカチ」

「ありがと、ハンス」


「サラ!! お代わり!!」

「横ですーぐこれだもの。クラリア、アナタもこぼさないようにして食べなさい」




 ――それを受け入れ、認めてくれる、良き友人がいる。素晴らしいことではないか




「ふぅ……やはりセイロンはいい。透き通る味わいで頭がすっきりする」

「とか言いながらオマエ三杯目じゃねーか。水のように飲みやがるな」

「深みがあって赤みがついているだけの水だが」

「今ひでー持論を見た」


「そういうお前は何なんだ、朝からレモネードって」

「しゅわしゅわが頭をすっきりさせるんだよ」

「ふん、ならば紅茶と何ら変わりないな。実質紅茶だな」

「助けてルシュド……コイツ何言ってるかわかんない……」


「ほうした、いざーく?」

「ああ、あんなにも幸せそうにパイを食べちゃって……!」






(……希望)



(グレイスウィルに送り出して正解……)



(……)




「ヴィクトール? 飯冷めっぞ?」

「……ああ、悪いな」






 かれこれ食べること二十分後。






「うぃ~食った食った~」

「何だか眠くなっちまったぜ……」

「今日はまだまだこれからでしょ。訓練追い込むんじゃなかったの」

「そうだぜそうだぜ! アタシは起きるぜ! しゃっきーん!」

「でも三十分は休もうぜー。食後すぐに動くと腹痛くなっからよー」

「……」




 ヴィクトールは食後のコーヒーを飲んだ後六人を見回す。疑問を提示するには良い頃間だ。




「……それで、何故俺の天幕までやってきたんだ」

「アナタと話がしたいと思ったから」

「話とは?」

「ワタシは特にないんだけどね。でもコイツらなら何かあるんじゃないかしら」

「……そうなのか」

「んーまあそうなんだけど……」



 どうやら皆揃って、細かい内容までは考えてはなかったらしい。



「……そうだ。明日の作戦内容、確認するってのはどうよ」

「それに何の意味がある?」

「後でにしとくと忘れそうだから」

「それにその内容を踏まえてこの後訓練が行える」

「おれ、忘れる、多分。だから、知りたい」

「……」




「……待っていろ」



 ヴィクトールは自分の天幕に入って数分後、一枚の紙を持って戻ってきた。






「元々ケルヴィンは、魔術以外にも様々な学術的研究によって発展した国だ。哲学や数学、物理学や化学といった具合にな。単純な研究の成果なら……グレイスウィルよりも先を行っていると、俺はそう思う」


「そんな国の魔法学園だから、当然生徒も頭がいい者が多いんだ。より効率的に敵軍を攻略する作戦を考え、より効率的に技術を高める訓練を行う。そうした叡智が誇りに……奢りになっている所は、多少はあるのではないかな」



「ウィルバート――俺の弟は、特にその傾向が強い。何せケルヴィンを統べる賢者の血族で、加えて生徒会長だ。自分の力と叡智を、誰よりも強く自負している」


「自分が、自分達が最も強く賢い存在であることを証明するために、持ち上げてから完膚無きまで叩き潰す。彼奴はそういう奴で、他の生徒もそういう思考だから、疑うことなく彼奴に従う」



「故に連中は、敢えて罠を仕かけて誘導するのが主な戦い方だ――」





 ヴィクトールが広げた地図には、フラッグライトの設置個所が事細かく描かれてある。





「え~っと……ケルヴィンが北、パルズミールが南西、ボクらが南東だよね」

「その通りだ。特に見てほしいのは、第八から第十六までだ。これらは中央のティンタジェル付近に設置されている。中央ということは、二つの軍をどちらも釣りやすいということだ」


「今までもやってたな、そういや。この辺を罠にして、他の軍の戦力を削ぎ落すんだよね」

「そうだ。連中、第一から第七を放り出して、真っ先にここを制圧に来るからな。先に取るのは不可能と言ってもいい」


「取った所で取り返されるでしょ。それも渾身の力で、叩きのめしてくる」

「そうだな――連中は文章を読み解く能力も高いからな。規定の隙を突いて、罰されない範囲の魔法を行使している。故に戦闘力も高いんだ」

「マジで問い合わせが殺到しているらしいぜ。各魔法学園から、特に貴族の親からのな」




 炭酸が抜け切って、ただのレモン水となったレモネードをイザークは飲み干す。




「まあそれはいいとして、そんな連中にどう立ち向かうつもりだ?」

「……陽動作戦だ。連中と渡り合える――連中を前にしても怯まない者が単騎で突貫し、引き付ける。その隙に部隊が突撃し、自分の領土にするって算段だ。これを延々と繰り返し、地道に増やしていく」


「うし、方針はわかった。それでその、陽動を行うヤツが重要なんだよな? 誰がやるんだ?」

「幾人か腕の立つ者に声をかけている。陽動を行う者は補給部隊扱いにして、魔法も自由に使えるようにする予定だ」




「そして……その役目、貴様等にも任せたいと思っている」





 アーサー、ルシュド、クラリア、イザーク。四人の瞳を、じっと見据えるヴィクトール。





「……ボクもなの?」

「別に倒す必要はない。ただ挑発して、妨害しながら時間を稼いでもらえばいい。貴様はそういうことは得意だろう?」

「うっへへぇ! 確かにぃ!」


「とはいえある程度の怪我は覚悟しておいた方がいい。それが怖いなら辞退してもいいが……」

「いや! やるよ! 頼まれたんならやるよ!」

「……」




 ふと、ヴィクトールは黙り込み下を向いて俯く。




「……どした?」

「いや……」


「言いたいこと、ある。そうだ」

「……」


「言ってくれなければ理解できないのだが」

「しかし……」


「アタシ達はヴィクトールの友達だぜ!! だから言ってみるといいぜ!!」

「……」





 それから数秒の沈黙を経て――





「……俺は」


「貴様等を……信頼しているんだ」




 両手で顔を覆い、苦悶に満ち出した顔を隠す。




「先程、連中を前にしても怯まない者と言ったが……殆どの者がそれは不可能だと思う。連中は効率的、手段を選ばない冷酷な連中だ。そんなのを前にしたら、誰だって怖くなるさ」


「怯まないために必要なのは、覚悟だ。何を前にしても揺らぐことのない、強い心の根幹だ」




「……貴様等にはそれがあるだろう?」


「俺を……友人を馬鹿にした彼奴を、打ち負かせてくれると、強い覚悟を決めているのだろう?」





 震えながら顔を上げた先にあったのは、



 友人達の笑顔だった。





「……勿論、勿論、もっちろんだ!! 今日までずっと、その意気で訓練頑張ってきたからな!!」

「アタシはあいつを許せねえ!! だから絶対、目に物見せてやるって決めてんだ!!」

「馬鹿、される、嫌だ!! だから、おれ、頑張る!!」

「……オレ個人としては、言いたいことは山程あるが」



 且つて脅しをかけた彼ですらも、今はすっかり微笑んでいる。



「今は不問にしておいてやる。だからこの剣を、お前のために振るうとしよう」



 自分に対して笑顔を、真実だけを向けてくれている。





「……皆」




「……礼を言わせてもらうぞ……」





「んな堅苦しいのは無しだって!」

「ぐはぁ!」



「とりあえず、アタシの役割は陽動だな! 陽動……何訓練すればいいんだ!?」

「緊張の中でも戦えるように、素振りでもすればいいんじゃないかしら」

「それはいいな! アタシ、素振りしてくるぜー!」



「おれも、する。ハンス、行こう」

「わかったよルシュド。早く行っていい所取ろう」



「ボクらも行こうぜアーサー!」

「ああ、そうだな。ヴィクトールはどうする?」

「俺は他の生徒とも確認を行わないといけない。だから一緒には行けないな」

「そっか! んじゃあ、お互いできることを頑張ろうぜ!」




「うぇいうぇいおー!!」

「「「おー!!」」」




 各人気合は十分。決戦前の一日はこうして始まった。





「……」

「何してんの。アナタもやんのよヴィクトール。ワタシもやるから、ハイオー!」

「……」



「……おー」

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