第130話 幕間:獣人の国・その4
それから会食を終えた後、アルベルト達は町の宿に向かいそこに泊まることになった。明日ラズ家を訪問することになる為、緊張する場面を前に英気を養っておくというのが目的だったが、
まさかその必要がなくなるとは誰が想像できただろうか。
「夜分遅く失礼します。アルベルトさん、お客様がいらしています」
「んあ……?」
時刻は大体午後十時頃。アルベルトは自室で、同室のカイルに尻尾を櫛で梳かしてもらっていた所だった。
「んだよ獣人の至福の時間に……」
「文句ならお客様に言ってください。まあ言えるものなら……ですけど」
「はぁ」
「既にレーラさんは移動しています。ここから三つ右の空き部屋です。お客様は貴方とレーラさん二人だけとお話したいと……」
「つまり騎士の中で偉い奴を呼べってこったな。どれ……」
アルベルトは渋々ベッドから立ち上がり、関節を鳴らす。
「いってらっしゃいませ。自分はカモミールティーでも入れて待っています」
「俺麦酒がいい」
「仕事中ですよ。冗談はよしてください」
「へいへい」
そして指定された部屋に入室する――
(……んっ!?)
直後に感じる物々しい殺気。それは隅にこじんまりといながらも、存在感を隠し切れていない、
赤い目をした黒馬が放っていたものであった。
(カ、ル、タ、ゴォ~……!)
アルベルトは大体四十年もイングレンスで生きているので、彼が何者かについては知っている。
(アルビム商会のドン、ハンニバルのナイトメア……この町にアルビム商会の野郎が多いのも、そういうことか?)
「もしもし~? 先程からカルタゴ様を凝視なされて、貴方本当に偉い騎士さんなんですかあ?」
「あ、え、失礼しました」
そそくさと椅子に座るアルベルト。隣には既にレーラが座っていて、固い表情で湯気の出ている紅茶に一切手を付けていない。
正面に座っているのは、やはり赤いスーツの、アルビム商会の男だった。声からして非常に胡散臭い。
「へーえ、これは素晴らしい耳と尻尾をお持ちで!」
「おっと、人を乗せて話し合いを有利に進めるおつもりですか、商人様」
「いえいえ、ただ率直な感想を伝えたまでですよ!」
薄いクリーム色の髪を八二ぐらいの割合で分けている。目は非常に細く、口角は常に上がっている。鼻は鋭く小顔、というより身長含め全体的に小さい。それに赤いスーツが合わされば胡散臭さは天井を突き抜ける。
「さあさあ、早くお掛けになって。貴方ももう眠いでしょう? それはこちらも同じです。早く用件を伝えたいので、さあさあ!」
「……」
アルベルトも機械的に、紅茶を腹に流し込んだ。
(……よく口が回るな。アルビムは力で押し通すイメージが強いが、こんなのもいるんだな……)
視線だけでレーラに伝える。俺はこういう場面でどう動けばいいかわからんと。
それを受け、返答代わりにレーラが切り出した。
「では……先ず初めにご確認いたしますが、貴方はアルビム商会の方で間違いありませんね?」
「勿論! この赤いスーツはですね、商会員にだけ与えられる商売道具なんですわ! そしてこれを着てきたということは、しっかりと大切な話をしに来たってことでしてぇ~」
男はレーラにずいっと詰め寄る。上目遣いで覗き込み、特有の手を合わせてこねる動きを取る。
「貴方がたがこのスーツを見ると直ぐにわかるように、我々もわかるんですよ。その鎧はグレイスウィルの物ですよね?」
「……ええ、そうです」
「おほぉ、やっぱり! それでしたらね、早速商談……というよりはですね、返還をしたいなあと!」
「返還?」
そう言って男は鞄から布に包まれた物体を取り出す。
「どうぞ中身を見てください。その上で伺いたいことがありましたら何なりと!」
「……」
「……」
男は熱視線のみで、早く布を開けるように催促している。
「……開けるぞ」
それを受けて、任せている以上自分がやるしかないと、アルベルトは警戒しながら布を捲った。
「……!」
一瞬、彼の視界が橙色の光に覆われた。
それが消えると現れたのは、黄金の杯。持ち手にも曲がった部分にも、神を讃える模様や古代文字が刻まれ、いかに偉大な物であるかを主張している。
それが自分達の探し求めていた物であることは、瞬時に理解できた。
「……我々は」
「はいはい、何でございましょう?」
「我々はこれを……土の小聖杯を探して、ラズ家に向かおうとしていました。現在ラズ家に貸し出されていたと聞いたからです」
「そうでございましたか! それなら益々好都合! わざわざ遠出することなくここで目的を達成できますね! 我々としてもこんなに早く返還する機会を迎えられまして、非常に好都合でございます!」
「……先程からずっと『返還』と申されておりますね。古代の遺産と引き換えに何かを要求する、『取引』ではなく?」
「いえいえ、本当にただ返還したいだけなんですよこちらは。何にも悪意はございません!」
男はこねている手を身体に引き寄せ、言葉を続ける。
「うちのお得意様が駄々をこねましてねえ。何でもいいから小聖杯を見てみたい、古代グレイスウィル帝国の神秘をその身で味わいたいと! 我々としても無視できないお方だったので、ちょーっとだけ借りたんですよ!」
「成程。
「そうですそうです! 言葉で説得できれば良かったのですけれど、お二人もご存知でしょう? ラズ家の方ってねえ、どうにもお話が通じにくくって!」
「つまり今回は正当性より時間を取ったというわけですね」
「そうなんです! いやあ、話が早くて助かります!」
「……」
レーラは一旦紅茶を口にし、両肘を机に着いて考え込む。目の前の男になるべく隙を見せないように気を遣う。
「いかがでしょう? 他に何か知りたいことはございますか?」
「……そうですね。では単刀直入にお訊きしますが、小聖杯に何かしましたか?」
「何かとは、具体的に?」
「例えば……毒を流し込んだりとか。或いは、これは偽物で本物はまだ手元にあるとか」
「それはありませんよ。まず私が保証致します。それでもう一度布を捲って見てみてください? 直ぐに本物だと実感し直すでしょう?」
「……しかし……」
「いや、これは本物だ。俺もそう思うぞ」
アルベルトはレーラの言葉を遮り、顎を僅かにしゃくってみせる。
そこでレーラも、男の手の中に煙幕弾が入っているのがようやく見えた。それは獰猛な獣の目のような、飢えた赤色をしている。
隅で微動だにせず、ただ交渉を有利に持っていこうとして威圧を続ける、カルタゴと同じ目の色だった。
(受け取らないと力づく、ねぇ……)
「……わかりました。アルビム商会のご厚意に感謝致します。今回は土の小聖杯を返還していただき、誠に感謝致します」
「いえいえこちらこそ! 少しの間ですが借りることができて非常に有意義でした。ではでは、お話も終わったのでこれで……」
「わざわざこちらにいらしてくださったのです。商会本部までお送りしますよ」
「おお、それはありがとうございます! ではではご厚意に甘えさせていただきますよ~。本日はどうもありがとうございました!」
「……俺は片付けをしておくよ」
「なら頼ませてもらうわ。それでは……」
レーラが立ち上がり、男と一緒に外に出る。部屋の入り口で待機していた騎士と合流したのか、人数が増えた語らいの声が聞こえてくる。
(……いや、絶対何か仕込んでいるよなあ……)
アルベルトは残った口に紅茶を流し込みながら、布に包まれた古代の神秘をじっと見つめるのだった。
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