第127話 幕間:獣人の国・その1

『ああ、愛しい貴方、恋しい貴方。私の身をこれ程までに焦がしておきながら、貴方は何も応えてくれないのね』


『思い上がるな、執念の令嬢よ。私はお前の身を焦がした記憶はない。お前が勝手に焦がれて息絶えているだけだ』


『日々貴方のことを想っているのに、貴方はそうして拒んでばかり。一度話を聞いてみようとはちっとも思わないのね』


『私は氷の騎士パーシヴァル。時をも止めるようなこの零度に、お前の炎は熱すぎる』





 少年リュッケルトは部屋の椅子に座って、本を読んでいた。窓の外では落ち葉が風に吹かれて舞い落ち、何事もなかったかのように風景に同化している。





「リュッケルト、部屋に入っていい?」

「ああ、その声はリティカか。別に大丈夫だよ」

「では失礼して……」



 扉が開かれ、リティカが中に入ってくる。彼女はライトブラウンのロングヘアーを大きな緑色のリボンで結んでいる。服装は紺色と白のセーラー服、これはパルズミール魔法学園の制服だ。



「何をしていたのかしら? 宿題?」

「んー……それも何となく手につかなくてね。だから本を読んでいたんだ」

「まあ、リュッケルトにもそんなことがあるのね。いつも勉強してるかぼーっとしてるかのどっちかじゃない」

「ウェルザイラ家の血を引いているからと言って、年がら年中やる気に満ち溢れているわけじゃないんだよ。あと本だって読む」



「ちなみみにどのような内容の本を読んでらしたの?」

「昔の戯曲だよ。『氷姫の狂恋』って知ってる?」

「まっ、騎士王伝説の一つですわ! パーシヴァルが女性に付き纏われて辟易するお話ですわね!」

「想像以上の辟易ぶり、そして執念だった。これ史実だったら恐ろしいね」




 そう言ってリュッケルトはリティカに向き直る。藍色の髪を流して、今は部屋着のスウェットを着ていた。




「ていうかそういう君は何をしているんだい、ウィングレー家のお嬢様?」

「うふふ……私が何の理由もなしに訪ねてくると思う?」

「全然思うね。君はいつでも僕の部屋をふらりと訪ねてくる。理由がある方が珍しいよ」


「ところがなんと、今回は理由があるのよ。ベス先生から貴方を連れてくるように言われているの」

「ん、ベス先生が? 成程……それで制服を着ているのか」

「丁度園舎で作業をしていたら声をかけられて。だから早く準備をしてくれる?」

「はいはい、わかったよ。そうだ、折角来てもらったんだし、待っている間そこのお茶菓子つまんでいいよ」

「やったぁ!」






 十一月も残り半分となったある土曜日。グレイスウィル魔法学園と同様に、パルズミール魔法学園でも大半の生徒は休日である。



「ぶぃっひっひっひー! おれ様の勝ちだぁー!!!」

「がはっ……」




 だがこの日はやけに騒がしい。獣人の生徒が走り回っても平気なように、建物全体に耐震魔術が施されている園舎の中でも、今日は振動がやかましい。




「流石ジル様! ラズ家の血を引く貴方様に敵う者はおられませんなぁー!」

「おらぁ! わかったか人間! てめえのような奴がジル様に歯向かうなんて百年早いんだよ!!!」

「……う……」



 大きい牙と耳、ふさふさの明るい茶色の毛を持つ、巨大な体格の少年。ジルと呼ばれる彼は大勢の獣人の生徒に囲まれながら、一人の人間の生徒に暴行を加えていた。



「あ……あ……」

「おいてめえもだぞ兎! ジル様を差し置いて人間と仲良くするなんて言語道断! 獣人の恥だ!」

「……!」



「ジル様、こいつはもう動けませんぜ! 次はこの恥晒しをどうか!」

「ぶひひひ……そうだなあ、おれ様は凄く気分がいいんだ……」

「……あ……」

「だからなぁ!!! お前も思いっきりボッコボコにしてやるぜぇー!!!」

「ウオオオオーーー!!!」




 生徒達が歓喜の声を上げ、ジルが棍棒を振り上げたその時――




「ぶぐっ……!?」

「おやめなさい、貴方達」




 やや低く重みのある声と一緒に、全員の身体が硬直し、動かなくなってしまう。


 そこにやってくるのは古めかしい眼鏡をかけ、少し皺が見えている兎耳の女性だった。




「……これは本物の棍棒ではありませんか。これで殴ったのですか?」

「しょ、しょうがないだろ! この人間が食堂の順番を譲らないから……!」

「……」



 女性は黒い兎耳の生徒だけ金縛りを解除すると、倒れている人間の生徒に近付く。



「今すぐ保健室に連れて行く必要があります。手伝ってくれますか?」

「あ……は、はい……!」

「ベス先生!」




 そこにリュッケルトとリティカが階段を上がってきて合流する。




「先生、こんな所に……って、これはどうしたんですか!?」

「二人共、いい所に。今からこの生徒を保健室に連れて行きます。手伝ってください」

「勿論喜んで! マール、お願い!」



 リティカの身体から、たくさんのリボンやアクセサリーを着けたマミーが出てくる。



「オホホホホ……お話は聞こえていたわぁ。この子をぐるぐる巻きにすればいいのかしらぁ……?」

「血が出ている所を中心によろしくね!」

「御意ですわぁ……」




 マールは生徒に手を当て、器用に回復魔法を行使していく。アンデッドのナイトメアとは思えない程の器用さだ。


 その隣で周囲を見回していたリュッケルトは、丁度ジルと目が合った。金縛りが解けてきたようで、呼吸の動作でのみ身体が動いている。




「……ぐぅ……」

「僕も人間だよ。殴るかい?」

「……おい。撤退するぞお前ら」



 蜘蛛の子を散らすように退散していく、ジルとその子分らしき生徒達。



「……弱そうな生徒を見つけて、危害を加えていきり散らしているだけですよね、本当」

「うふふ……止血完了したわぁ……後は先生よろしくねぇ……」

「では参りましょうか……」




 ベスは生徒を魔法で浮き上がらせ、そのまま背負って階段を下る。


 そして保健室に連れて行かれた生徒は、治療を施されることになった。






 無事に生徒を連れ込んだベス、リュッケルト、リティカの三人は、保健室近くの廊下で談笑している。




「すみません、折角来てもらったのにあのような……」

「いえ、先生のお役に立てたなら幸いです」

「……確か一年生ですよね、彼。随分と行動が過ぎますよね……」

「何せ親がクーゲルト・パルズ・ラズですから。ラズ家の現当主に甘やかされて育ってきたのでしょう……」

「まあ、なんて可哀想な。私のお母様を見習ってほしいものね」



 リティカは頬を膨らませて腕を組む。



「ルドミリア様まで行くとちょっと……あの方は別格な所がありますから」

「……そういえば先生、僕を呼び出した理由って何ですか?」

「ああそうね。愚痴はこの辺にして……卒業研究はどうするのかと思いまして」

「……あ~……」



 リュッケルトは頭を抱えて溜息をつく。



「先生、卒業研究って七年生の話ですよね? まだ時間はありますよ」

「でも資料や調査の関係で、六年生の後半からテーマについて考えないといけないの。私は自分が受け持っている子にはこうして訊くことにしているわ」

「へぇ……いい先生だね、リュッケルト」

「まあね……うん」



 依然頭を抱えたまま、リュッケルトは切り出す。



「……正直楽なんですよね、僕の場合。父上や母上、伯父上にも頼めばすぐにでも資料がやってくる。だから……だからこそ、自由で選べないっていうか」

「ちなみに私はね、獣人の遺跡について研究する予定よ。お母様には遠く及ばないだろうけど、やってみせるわ」

「リティカはルドミリア様のことを尊敬しているからな~。いっそ僕も伯父上がやってる分野にしちゃおうかな……となると、農業?」

「効率的な畑の耕し方とか、栽培の仕方による味の変化についてとか。身近にある『食』の分野だからこそ、奥深いのではないかしら」


「え~……でも何かあれだな。ジャネットみたいな研究してんなって小馬鹿にされそう……」

「まあリュッケルトったら! ジャネット様を愚弄するのはよしてくださる?」

「ああ、そういえばルドミリア様と仲良いんだったなジャネット……世界中飛び回ってるけど」




 そこに馬の嘶き声が聞こえてくる。




「おや、馬がこちらに……」

「あ、この声はデュークだ。僕のこと探しながらこっち来てる」



 手を振っている間もなく、三人の目の前に黒いバイコーンが涼風吹かせて到着した。



「どうしたんだいデューク。今日は一日中母上に駆り出されていたと思うけど」

「ヒヒーン!」


「……え? お客さんが来ているから挨拶してけ? リティカも一緒に?」

「あら……二人が呼ばれるということは、相当のお方なのでしょう。私に構わず行ってらっしゃいな」

「そうさせてもらいます。卒業研究については後々……」

「ベス先生、それでは失礼します!」




 リュッケルトとリティカはデュークと共に園舎を後にする。








 そして肝心のウェルザイラ邸――パルズミール緩衝区セントラル別荘において。




「さあ、遠慮しないでどーんどん食べて頂戴ね! こちらはアグネレタスとライトシュリンプのマリネよ~!」



 アメリア・ロイス・ウェルザイラ。かの熱血学園長ことアドルフ・ロイス・ウェルザイラの実妹であり、非常にアグレッシブなことで有名。



「ま~だまだありますぞ~! こちらは鶏肉のガーリック焼きですぞ! ちなみににんにくはターナ産! 地産地消というやつですなー!」



 ヘンリー・グリスリット・ウェルザイラ。グレイスウィルは王家ことプランタージ家に仕える一流の魔術師であり、歴史学者でもある。そしてアメリアの夫である。






「「「……」」」



 そんなおしどり夫婦の熱烈歓迎を受け、レーラ率いる調査隊は非常に困惑していた。






「……おい。お二方には何も連絡行ってなかったのか?」

「確かアドルフ様が連絡してくださってるはず……よ。それよりも何故貴方はちゃっかり食べているのかしら……」

「出された物は食べなきゃ食材に失礼だろ」



 冷製スープをずるずる啜りながら、アルベルトは騎士達を見回す。



「おう、お前らも食っていいんだぞ。遠慮しないで食え食え」

「し、しかし……」

「お偉方の好意には甘えといたほうがいいぞ~? あーうめー」

「……では、失礼して……」



 豪快に食べるアルベルトを見て、他の騎士達も目の前の料理に手をつけていく。



「生ハムのチーズ巻き……」

「会食でよく見かけるやつだな」

「……」


「どうした、何か苦手か?」

「……うち、チーズはちょっと無理で……」

「成程、ではこうしよう」



 カイルは配膳用のフォークを器用に使い、ウェンディの皿に自分のマリネを取り分ける。



「この生ハムは俺が食べる。お前はサラダを食べるといい」

「え! そ、そんなことできな……あ、でもよそっちゃったか……」

「嫌いな物を無理して食べなくてはいけないという道理はない」




 そしてカイルは食事を進めていく。流れるように見事な所作だ。




(カイル君……自分よりもうちのこと、優先してくれた……しかもフォークの動かし方もキレイ……)


(……やっぱり、うちはカイル君のことが好き! だから……)




「ねえ、カイル君……」

「ウェンディ」

「!? はひぃ!?」


「今食堂に入ってこられたのはリュッケルト様とリティカ様だ。お前は初めてお目にかかるだろうから、この機会に覚えておけ」

「あ……そ、そうだね……」

「まあ初めて会うのは俺もだが。これまではパルズミールに留学されていたからな」

「うん……」



 ウェンディはとぼとぼ二人に視線を移すのだった。






「あら二人共! 来てくれてありがとう!」

「デュークに呼ばれてやってきました。母上、お客様というのは……」

「じゃーん! こちらにおられるグレイスウィル騎士団の方々よ! その数なんと三十人! も~う私嬉しくなっちゃって~!」

「それで歓迎を行っていたというわけですね」


「そうそう、そゆことっ! 一番上座に座られている青髪の方がレーラさんで、その隣の狐の獣人の方がアルベルトさん。今回の隊長さん? なんですって! 挨拶をしてきて頂戴ね!」

「はい。では失礼します」

「私も行きまーす」




 リュッケルトとリティカはレーラとアルベルトの席に近付き、会釈をする。騎士二人も急いで立ち上がり、頭を下げた。




「お食事中の所失礼します。自分はリュッケルト・ロイス・ウェルザイラと申します。本日はパルズミールにお越しいただき、誠に感謝します」

「失礼いたします! 私はリティカ・ロイス・ウィングレーと申しますわ! 獣人の住まうこのパルズミールの地、ご堪能していってくださいませ!」



「……えっと、アルベルトです。よろしくお願いします」

「レーラでございます。ご挨拶にいただいて誠に感謝申し上げます」



「ふふっ、流石王国の騎士様ね。礼儀もしっかりしているわ」

「そうだ母上、よろしければ僕達も食事をしていきたいです」

「そのつもりでデュークに呼んでもらったのよ~! さあこっち空いているから、座って座って!」

「では失礼します」

「私もお邪魔しまーす!」




 二人が去っていき、椅子に再び座った後、アルベルトはレーラに耳打ちをする。




「……絶対ミスっただろ。連絡行ってないだろこれ……!」

「……よくよく考えたら、小聖杯が盗まれたという情報は一部にしか伝えられていないわ。情報を統制しようとしてあえて伝えていない可能性はあるわね……」


「マジかよ……じゃあ観光とかなんたかって思われている所で調査しないといけないのか?」

「それはまあ、一応事情を話してみましょう。大丈夫、アメリア様はわかってくださるお方のはず……」

「うっし、その辺はレーラに任せる」



 アルベルトは鶏肉に食らい付き、獣のような形相で食いちぎった。

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