第118話 事件は朝に端を発す・前編

 翌日。ダニエルが自分の部屋で目を覚ますと、自分以外はいびきをかいて爆睡していた。




「……」



 昨日他の皆はお客様の部屋に行っていた。そこで何か騒がしいことをして、それで体力を使い切ったのだろう。



「……うん」



 時計を見ると午前五時。ダニエルと同室の子供どころか、この孤児院の人なら目覚めない時間だ。



「やるなら……今しかない」



 覚悟を固め、ダニエルは毛皮のコートと手袋、マフラーを着て外へと駆け出す。






「おはよっ、エリス」

「……うーん……もうちょっと寝かせてぇ……」

「あ、それなら別にいいや。私が早起きなだけだし」

「……そうなのぉ……?」

「ん、まあねー。カタリナは……いいか。昨日散々眠いって言ってたし、まだ寝かせてあげよう」



 リーシャは慣れた動きで青いジャンパーとマフラー、毛糸の手袋を身に着けて外に出て行った。



 それから数分後にカタリナはもぞもぞ動き出す。



「……おはよぉ……エリス、さっきのは何の音……?」

「んっとね……リーシャが早起きで、わたしを起こしてきたのぉ……」

「そっかぁ……」

「……」

「……」



 ベッドに潜ったまま、エリスとカタリナは時計を見る。



「……まだ六時になったばかりだね。こんな朝早くから何してるんだろう?」

「……気になる、かも」

「じゃあ、せっかくだし、行っちゃう?」

「……行こうか」






「ふぅーん……」

「いっちにー、いっちにー、なのです!」




 まだ朝日が昇り始めた孤児院の庭。リーシャとスノウは入り口から程近い場所に立ち、ストレッチを行っていた。




「……あ、二人共。まだ寝ててよかったのに」

「仕方ないでしょ、もう起きちゃったんだから」

「う~……」



 リーシャはストレッチを再開しながらエリスにカタリナと話す。



「私朝はこうして身体を伸ばすことにしてるんだよね~。血の巡りが良くなるから~。いつもは部屋の中でやるんだけど、今日は久々に帰ってきたから外でやることにしたんだ~」

「なるほど。やっぱり身体動かす課外活動に所属してると違うんだなぁ~」

「エリスとカタリナもやる~?」


「じゃあ……せっかくだから~」

「あたしも……」



 エリスとカタリナもリーシャの隣に立ち、彼女の真似をして身体を動かす。



「それにしても、雪ってこんなにきらきら輝くだなんて、知らなかったなぁ……」

「意外と光を反射するんだよ~。油断してると日焼けもやばいの」




 遠くの地平線を眺めながら。




「……ん?」




 突然、リーシャは身体を動かすのをやめ、目を細める。




「……どうしたの?」

「……」

「あ、待って……!」





 湖の方へと走り出した彼女を、二人は慌てて追う。そして追い付いた。





「……これは……足跡?」

「……うん。大きさと位置からしても、きっとここの子供の物……」



 それは孤児院を出て、地平線へとどんどん吸い込まれていっていた。



「ねえリーシャ、この足跡が向かっている先って……」

「……間違いない。ブルニア雪原だ!」

「――!」




 リーシャが目だけで合図を送ると、すかさずスノウは彼女に魔法を行使した。


 そのまま何も言わず、雪原へと飛び出す。




「ちょっと、リーシャ……!」

「どうしようエリス……! 追いかけないと、見失っちゃう……!」

「……」



 エリスは助けを求めて周囲を見回す。手助けになりそうな人はいなかったが、代わりに街道に続く道に掲示板を見つけた。



「カタリナは先に行ってて! わたしは後で追いかけるから!」

「でも……!」

「わたしは『魔法使い』だよ!? 大丈夫、絶対追い付く!」

「……うん、わかった!」



 互いに頷き合い、エリスとカタリナは背中合わせに走り出す。






「はぁ……はぁ……」



 壁を越えれば銀世界。異類異形渦巻く弱肉強食の領域。輝光きらめく白き大地、眼光ぎらめく赤き瞳。



「……苺、苺の実……」




 孤児院と雪原を隔てる柵は、ウルフェンの襲撃に遭って壊れている。それを知れたのはアントニーが話していたから。彼はその先に進もうか迷っているうちに、年長の子供に見つかって叱られていたけど、自分は違う。


 この日の為に防寒具を買って対策をしてきた。毎日節約をして、保温の魔法具も買った。今の自分は完璧だ。何にだって負けやしない。




「……! あった……!」



 思考を歪める白の世界、正気に戻す赤の果実。無味なる視界に現れた、甘酸っぱい小さな恵み。



「これを持って帰れば……ぼくのこと、きっと……!」






「――二人共!? ついてきたの!?」

「だって――! リーシャだけ置いて、行けるわけないでしょ!」

「――っ! そうだよね、ごめんね――!」




 リーシャとカタリナは、スノウとセバスンによる身体強化の魔法で。エリスは強風を発生させ、自分の背中を押して。それぞれ異なる方法で、雪の大地を疾駆している。




「ねえ――! 船の中で話したこと、覚えてる!?」

「えっと確か! 冬の時期のブルニア雪原は、寒さで特定の魔物が異常繁殖してるから――! 単独で行くことは、許されてないんだよね!?」

「そう、そうなの! 異常繁殖が見られたら、駆除してもらうまで行くのは禁止! でもこの辺りは、城下町に比べて規制が緩くて――!」

「だから雪原に行っちゃう子とか、いるんだね――!?」

「毎日シスターにこっぴどく言われてるし、子供達同士で見守り合いもして――ッ!」





 三人は静止し、足跡の続く先を見る。





「グルルル……」




 逆立つ水色の体毛、いかつい体つきに鳴動するような唸り声。


 口の中から現れ出て、刹那輝く牙と爪。


 四本の足で獲物を見据える、獰猛な氷の獣。




 そんな彼らが二十匹ぐらいの群れになって、足跡を追って移動していた。




「アイスウルフェン……! やっぱり異常増殖してたか!」

「どうする……? 戦うにしても、数が多いよ……!」

「それなら、何とかしておびき寄せるしか……!」

「……」



 群れと一定の距離を保ちながら、三人は様子を窺う。



「……まだ走り抜けられる力はある?」

「え……?」



 

 そう言いながら、カタリナは灰色の煙が渦巻く玉を取り出していた。




「煙幕弾だよ――どうしてこんなのを持っているのかは、訊かないでほしいな」

「……」

「……」



 エリスとリーシャは黙って頷き、また群れの方を向く。



「走る方角を決めて。その方向に真っ直ぐ行った方が、迷わなくていい」

「じゃあ……今見ている方向で」

「了解。三からカウントダウンするよ。あと、セバスン」

「承知」



 セバスンはエリスとリーシャに手を当て、それぞれに魔法を行使する。



「……これ、人体にも強力な毒だから。影響を出さないための保険だよ……」

「ありがと、カタリナ」

「何だか……すごく、心強いね」

「……じゃあ行くよ」





 三人は深呼吸をし、駆け出す体勢を取る。





(知らぬ汝に苦悶の毒を――)




「三……」


「二……」


「一……」




「――ゼロッ!」





 柔らかな雪を踏み締め、三人は正面に向かって走り出す。





「ガウァッ!」


        「――ふんっ!」


「ワオッ……!」




 群れの中を通り過ぎる瞬間に、カタリナが煙幕弾を地面に叩き付ける。くすぶった煙がアイスウルフェン達の視界を覆い、瞬く間に五感を妨害していった。







「……よし。これで……」



 ダニエルは服のポケット一杯に苺の実を詰め込み、立ち上がる。



「オージンも持って帰った苺の実……ぼくも、オージンのような……」



 安堵に包まれた所に伸びてくるのは、


 湾曲したものが生えた、一本の腕。



「ひっ……!」

「ガウッ……」




 それはダニエルの頭上を掠め、空を切った。


 後ろを振り向くと、赤き目で心臓貫く、雪原の狩人。


 アイスウルフェンの一匹が、ダニエルを狙いに定めていた。




「あ、ああ……」




 ――ぼくは弱虫じゃない。




 だって勇猛果敢なオージンのように、苺の実を取ってきたから。




 それなのに、なのに。




 ――身体が震えて動かない。




「バウワッ!」

「うわあああああ……!」






「――なのです!」




 咄嗟に両手で身体を庇ったダニエルに、爪を逆立て襲いかかろうとした獣は、



 突然身体が凍り、空中で静止した。




「……え……?」


「セバスン、急ぐのです!」

「ぬうっ!」




 そして身動きが取れないまま――




「ギャウッ……!」




 紫色の気体に覆われ、地面に吸い寄せられた。






「……リーシャ、お姉ちゃん……?」

「貴方は……ダニエル!」



 気を失ったアイスウルフェンの後ろからリーシャが駆け付け、そしてダニエルを抱き締める。



「……大丈夫だよ。ちゃんと魔法具もあるから、あったかいよ――」

「そういうことじゃないの! このバカッ!」

「……!」



 次いでスノウとセバスン、エリスとカタリナもやってくる。



「どうしてこんなことしたの? 雪原には魔物がいるからダメって、散々言われているじゃない!」

「う……」

「……リーシャ」


「カタリナ、今は二人で話をしているの。入ってこないで」

「……違う。後ろ、来てる……!」

「……!」





 リーシャとダニエルは立ち上がり、後ろを振り向く。



 すると徐々に迫り来る、アイスウルフェンが十数匹。




 先程気絶させた個体も、起き上がって威嚇に参加していた。



 エリスとカタリナも威嚇するように睨みを利かせながら、小声で会話をする。





「さっきのとは別の群れ、だね……」

「……煙幕ってまだ使える?」

「うん。大丈夫。今度はさっきより量が多く」


             ぼとり


「なる……けど……」






      ぼとん


 ぼとん


           ぼとぼと



          びちゃっ、びちゃっ


   ぼとっぼとっ


  どぼぼっ




            ぬちゃあ






 ――その場にいた者が全員、を目にした。



 エリス、カタリナ、リーシャ、ダニエル――そして、この場における絶対強者たる、アイスウルフェンでさえも。



 全ての視線がに吸い寄せられて、離れることを許さない。





 白い地面から、這い出てくる黒い――液体。


 その黒は染み込むことなく、ただゆったりと移動している。


 地面から出てきたはずなのに。それでも宙から落ちてくる、重い音が聞こえる。




 視覚と聴覚の齟齬が精神を揺らがせる。




「グルッ……?」――。。。。。。…・・・……



 黒はゆっくりと、しかし確実に領域を広げ、魔法攻撃を喰らって弱っている個体に近付いていく。



「ガッ……ガァァァ……!」

「グルアァ!」    、。、、。、。・。。……



 黒はその上に乗りかかり、覆い被さろうとしていく。




 近くにいた別の個体が数匹、それを剥がそうと攻撃する。


 だがそれも、全てあえなく虚空に躍り、結局黒の贄になる。




 最終的に飲み込まれた個体は、元の形がわからない程ぐちゃぐちゃになってしまった。






「――ワオーン……!」




 一番大きい、群れの長と思われる個体が、遠吠えを上げる。仲間を喰らった仇に対する宣戦布告。




 それは人間達に、一択しかない決断を強制させた。




「――行こう! 逃げないと!!!」




   「こっちなら、行けるはず……!」

         「わっ、わああああ……!!!」


     「大丈夫、私が側にいるから――!!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る