第60話 ゾンビ騒動

「エリス、もう魔法学園辞めて家に残る気はない?」

「あなたねえ……これで五回目よ」

「寂しいのはわかるにゃ。だからと言ってそれはないにゃ」



「うんごめん。流石に冗談が過ぎた」

「いいよ。お父さんも寂しいってこと、わかっているから」






 八月もついに最終日。エリスとアーサーが魔法学園に戻る時がやってきた。






 今は荷物を乗せて馬車に揺られている途中である。その最中、アーサーはある本を手にしていた。




「どうよアーサー。『ユーサー・ペンドラゴンの旅路』、布教用に取っておいた超新品だよ。いいだろう」

「……」



「エリスがね? 何かアーサー用に一冊欲しいって話してたからね? 布教用のを泣く泣く一冊与えたんだぞ感謝しろってんだ」

「もう、布教用って言って数十冊も置いてあるじゃない。別に一冊ぐらいいいじゃないの」

「流石にアーサーに目くじら立てすぎだにゃ。まあ仕方ない所はあるかもしれないけどにゃー」

「……」




 アーサーは新品同様の表紙を見つめる。金髪に赤い瞳を持つ騎士の姿が、より勇ましく描かれていた。




「……ユーサー・ペンドラゴン。あんたらもペンドラゴンって名前だ。同じだな」

「……君もペンドラゴンさんのナイトメアだからそうなんだけどね~」

「お父さんっ! 確かうちの名前は、ユーサーに影響されたんだっけ?」



 ユーリスの機嫌を直すように、エリスが声を張る。



「そうそう、そうなんだよ! いや~折角好きな姓を名乗っていいよって言われたからさ!? あやかってペンドラゴンにしてみたんだよね~♪」

「いつ誰にどんな理由で言われたの?」

「村長から直々に! お宅の苺の売れ行きが村の発展に貢献したから、そのお礼にってさ~! なはは!」

「お礼にしてはしょぼい気がする……まあ、アヴァロン村ならそんなもんか」

「……」




 あの村は周囲に森林に囲まれており、人はともかく魔物も中々足を踏み入れない。



 その為規模はかなり小さいひっそりとした村――という印象はアーサーも何となく受けていた。






 それから数時間の爆速行程を、軽やかにこなしていって――






「ああ、そういえばさ。倉庫から持ってきた沢山の諸々って何に使うの?」

「え、えーと……ちょっとねっ」

「まさか悪いことには使わないよね?」

「うーん……」




 あの時島にいた四人以外にに知られたのなら悪いことにはなりそうだが。




「……大丈夫。ちょっと授業で使うだけだよ」

「そっか。一体どんな授業なのか気にはなるけど……」




 ユーリスは馬車の外を見つめているアーサーに目を遣る。




「……ちょっとちょっと」

「何だ」

「表紙の次は外かよ。ナイトメアとしてさあ、僕達の会話に入ったらどうなんだよ」

「……考え事をしていた」






 アーサーは揺れ動く風景を眺めながらも、倉庫で見つけた紙束に疑念を寄せていた。結局鞄に入れて、持ち帰ってきたのだが――果たして何が書かれているのやら。




 ちなみにあの絵本も一緒に持ってきている。どこにでもある絵本で店にも売ってそうだが、倉庫で見つけたあれを読むことにアーサーは拘っていた。






「そうか……まあいいや。返事をしただけ上々と言える」

「もう、お父さんったら……」

「だってねえエリス……」




 すると突然、馬車を引っ張っていたジョージが足を止めた。




「んあ? どうしたジョージ?」

「町に着いたぞ。ただ……」

「え、何かあった?」

「実際に降りて訊いてみろ。何とも不味い気配がするぞ」

「そうするかあ」




 ユーリスが先行して馬車を降り、エリス達もそれに続く。











「うわ……すっげー人だかり」

「お父さん、これ大丈夫なの……?」




 グランチェスターの入り口には、信じられない程の人間が押しかけていた。その殆どの関心が街並みの方に向いていて、状況を必死に探ろうとしている。






「ゆ、ユーリスさあん……」

「おお君は……誰だっけ?」

「そんなぁ……屋台の管理でいつも会ってるじゃないですかあ……」

「あー君か。いや人に挟まれすぎだって、顔が潰れて気付かないよ」



 痩せ気味の男が人の間を強引に潜り抜けてくる。



「ぜえぜえ……今日は何の用事ですか?」

「娘がグレイスウィルに戻るんで、その見送り」

「そうでしたか……しかしまた厄介な時に来ましたね……」

「……真面目に何があったの?」

「ゾンビが出たんですよ」






 その言葉が出た途端、どこからともなく狐がやってきて、ユーリスの顔を堂々とつまんできた。






「ゾンビだぁ~……? ゾンビってあの、人の死体を蘇らせて使役するっつー、あの……?」

「いや正直自分も信じられないんですけど……でも、あれはどう見ても……」






 そんな話をしていると――






「「「「うわあああああああああああ!!!!!!!!!」」」」






 魔術師達と結界の上を、肉塊が飛び交った。











「――」



 それは地面にぼとりと落ち、そしてゆっくりと身体を起こす。






「ぐあああああぁぁぁぁぁぁ……」



 腐りかけているのにも関わらず、それは人間と認識できる形を保っている。目は今にも零れ落ちそうで、口からは人間のものとは思えない声を上げている。






「があああああああ……!!!!」





 そして、咆哮にも似た声を上げると、





「うわあああああっっっ!!!!」

「来るな、来るなあああああああああああ!!!!」





 背後の魔術師達目掛けて突進する。








「嫌だあああああっっっっ!!!! やめろおおおおおぉぉぉぉ!!!!」

「ぐわあああああああああ!!!」






 ゾンビは魔術師達に向かって突進し腕を振り下ろす。




 防衛結界を張ることに集中していた魔術師達は、即座に対応できない。




 背後から迫る存在に気付いて防衛の魔術を行使する頃には、身体中に痛覚が走り出す。






「ひっ……!!! 嫌だ、死にたくない……!!!」

「ぎゃあああああああああ……!!!」






 肉を引き裂く不快な音がして、鉤爪の跡が次々と魔術師達の身体に刻まれる。




 攻撃を免れた魔術師達は散開してしまい、魔力を失った結界も一部が途切れてしまう。




 そして街中にいたゾンビ達が、結界の隙間を狙って這いずってくる――








 しかしそうは問屋が卸さない。






「させるかっ――!!」






 凛とした女性の声と共に、入口の門付近が氷に包まれた。




 ゾンビもそれに巻き込まれ、凍って動けなくなる。




 女性は魔術師達を襲っていたゾンビを槍で貫きながら、凍った地面に手を当てる。






「大いなるヴァルディアス、我が身に力を――ニーアッ!! 行くぞっ!!」




 その号令と共に、凍結箇所が砕け散る。






 ゾンビは氷諸共爆散し、宙に煌めく氷の破片と化した。








「間一髪だった。間に合ってよかった……」





 女性は胸を撫で下ろすように呟いた。



 肩ほどの長さの銀色の髪で、前髪をヘアバンドで押し上げている。碧い瞳で周囲を見回していると、地面に落ちた槍が一人でに動き出し、彼女の右手に納まる。






 すると群衆の中から、彼女に一声かけようと人込みを押し退けてやってくる人物が。



「イリーナちゃん、よくやったわ」

「アリア殿……このゾンビ、自分で壁を越えてきたのでしょうか」

「それは有り得ない。ゾンビは魔術を行使できないから。だから誰かが飛び越えられるように魔術をかけたんだわ」

「一体誰がこんなこと……」

「……」





 金髪に赤いロングドレス、濃い化粧に巨大な星のピアス。アリアと呼ばれた人物は、イリーナと会話をしている。




 それからも何やら話し合った後――





「皆、聞いてちょうだい――」



 群衆に向き直り呼びかけた。






「今の見たでしょう? ゾンビが防御結界を超えて飛んできた。これはゾンビが強力な魔術を行使できるか、あるいは結界にボロが生じてきたってこと」


「どっちにしても耐えるのはもう限界――だから強行突破するわよ。ここにゾンビと対等に渡り合えるって、自信がある人はいるかしら?」






 アリアの呼びかけに誰も反応を示さない。






 だが、数十秒の沈黙が続いた後――






「……仕方ないなあ。ここはこの僕が行ってやるとしよう」




 片目を濁った水色の前髪で隠した、軽装の男性が民衆の前に姿を現した。






「街に蔓延る屍共……それらをこのストラム様が一撃で葬り去り、君達に僕の美しさを刻み込んであげよう!」




 前髪を掻き上げながら、そう声高に宣言した。






「……アタシも行くわ!」




 人込みを掻き分けずに、軽々と飛び越えて白髪の女性が躍り出た。



 手袋にブーツ、臍を出したデザインの赤いシャツに臙脂色のショートパンツ。派手な柄のカーディガンを羽織った姿を見て一部の民衆がざわつく。




「もしかして、グリモワール? ミス・グリモワールじゃない!?」

「え、嘘だろ!? あの有名な仕立て屋が何でここに!?」




 そんな民衆の様子を見て、グリモワールは民衆に向かってウインクと投げキッスを贈った。






「こう見えても戦闘の心得はあるのよ? 任せてよね」




 その言葉で民衆の中に歓声が湧き起こった。








 ストラムとグリモワール、一見若そうな二人がが名乗り出たのを見て、ユーリスは腕を伸ばす。



「これあれだなあ。一応僕も行っといた方がいいなあ。ジョージもおいでよ」

「あいよ」

「私も行こうかしら。無論後衛でね。クロもお手伝いお願い」

「わかったにゃー」



 動揺を見せるエリスだったが、すぐにユーリスが彼女の肩を叩く。



「エリスはここで待っていなさい。危険だから」

「え、でも……」

「お父さん達は大人だからだいじょーぶ!」



 ジョージがユーリスの身体に、クロがエリシアの身体にそれぞれ入った後、二人は足早に前に出る。






「僕達も混ぜてちょうだいなーっと」

「あらまあお似合いの夫婦じゃない」

「一目見てわかりますか。只者じゃないですね、お姉さん」

「うふふ……アタシにはわかっちゃうのよ~」



 アリアは二人に笑いかけた後、改めて民衆を見つめる。



「さて、こんなもんかしらね?」

「少数精鋭で十分だと思います。人数が多すぎて足手まといが増えても困りますから」



「それに人数が多いと僕の美しさが隠れてしまうからね!!!」

「あっこいつ話の流れをややこしくするタイプの人間だ」

「何か言ったかい!?」

「何でもないです。とにかくもう行きましょう」

「それもそうね。それじゃあ……出発よ!!」






 名乗り出た六人が入り口に向かっていく。民衆は勇者を見送るように声援を飛ばす。




 防衛結界を張り続けている魔術師を激励しながら、彼らは街に突入する――











「二人共大丈夫かなあ……」




 エリスは首を伸ばして街の様子を観察しようとする。しかし人混みが視界の大半に入ってしまい、窺い知ることはできない。




「……アーサー?」




 隣にいる彼は返事をしない。ただじっと街を見つめている。




「どうしたの、アーサー……」

「……」








 倒せる敵だ。




 ゾンビというものは、言ってしまえばただの肉塊。剣で易々と切り捨てられる相手だ。




 剣を抜いてしまえば、すぐに収まる場面。




 だが。






 ハンスとの決闘の光景が脳裏を掠める。




 そこで剣を抜いて――もとい、ハンスに正体を知られてどうなったか。




 この民衆の中に、ハンスのような人間がいるとも限らない。あるいは彼よりももっと下衆な人間もいるかもしれない。




 それを考えると――それも考えても。






「……」

「アーサー? 大丈夫?」




 気が付くと、エリスが不安そうにアーサーの顔を見上げていた。



 彼女はどうしてほしいだろうか。




『んなもん聞きゃあいいだろうが』






 問いを出した瞬間、すぐにの声が答えを返した。






「……どうしてほしい」

「え?」

「オレは……加勢した方がいいだろうか」




 視線は街を眺めたままにして問う。




「……それはだめ。それってつまり、剣を抜くってことでしょ。誰が見ているかわからないんだよ」




 自分も懸念していたような答えをエリスは返した。




「わたし、わたし……」






 ここで初めて、アーサーはゆっくりと彼女に視線を落とす。






「――怖いのか。そうか、怖いのか」



 震えながら自分の服の裾を掴む、か弱い姿を見て。






「……」




 彼女は何も言わなかった。だがそれでも理解できた。



 唇を結び、目が少し見開き、そして身体が震え、強張っている。






 どれだけ観察しても、彼女は今、恐怖という感情を抱いていることは明らかだった。



 それならするべきことは一つだけだ。






「え……?」






 服の裾から彼女の手を離させ、



 そして、自分の手で、そっと握った。






「オレは手を握ってもらった時、安心した」



 手を握ったまま、戦闘の様子を窺いながら伝える。



「……」



 ここまで伝え、エリスの顔を見て確認を行った。しかし想定外の結果が彼の前に現れた。






「……何故だ」




 安心しているはずなのに。自分は主君のためになる行動をしていたはずなのに。




「手を……握ってほしく、なかった、のか」




 エリスは瞳から大粒の雫をこぼしていたのだ。








「違うよアーサー、これはね、違うの……」





 不義を恐れた彼が離そうとした手を、二度と離れないようにぎゅっと握り返す。



 そして流れる涙を否定せずに答えた。





「涙ってね、悲しい時に流れるものじゃないの。自分の中で感情が抑えきれなくなった時に流れるものなの。悲しいだけじゃなくって、嬉しいも、楽しいも、人が持つ感情全部」




「わたしね――今、すごく安心して、嬉しい」






 二人は手を繋いだままじっと立ち尽くす。






「お父さんとお母さん、大丈夫だよね?」

「大丈夫だ。仮に何か起こったとしても――」




「――オレがを守る」

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