第11話
行火のもとに、特待生限定の夏期合宿の案内が届いたのは、長雨の続く六月はじめのことだった。
「全国展開している我が校の、トップ二百人だけが呼ばれる夏期合宿だ。北海道はここより涼しくて勉強するにも最適な環境だぞ。こんな優秀な教え子、先生誇らしいなあ」
たくさんのパンフレットを押し付けながら、四角い眼鏡の向こうで目を細める講師に、行火は黙って頭を下げた。
知らせを受けて、宏香は大喜びしたけれども、会場が北海道ということに気づくと、とたんに受講を渋り始めた。
「中学三年生ってまだ未成年よ。いくら寮があるっていったって、ちょっとねえ」
行火はパンフレットに目を落とした。合宿所は完全個室で三食付き、オートロックの上、入退出記録が即時保護者に連絡されるという。
まるで刑務所だな。
昨年竣工したばかりの合宿所のすばらしさを、鼻を膨らませながら話して聞かせた講師の説明に、行火が抱いたのはそんな感想だった。『大切なお子様の安全を保障します』と書かれたチラシが、母には見えないのだろうか。
「行火も北海道なんて行きたくないわよね? 先生には、母さんから言っておいてあげる」
脱いだエプロンをたたみながら問いかけられて、行火は何も答えられずに立ちすくんだ。
北海道、札幌という街は正直、嫌な思い出しかない場所だ。けれど、自分の名前が入った招待状は魅力的だった。たくさんの中学生のなかから、まっすぐ自分に差し伸べられた手は、行火の自尊心を手放し難くくすぐった。
助け船を出してくれたのは、義父――陽助さんだった。
「ちょっと調べてみたけど、例の夏季合宿、難関大学以上の狭き門みたいだぞ。子どもの可能性を伸ばしてやるのも、親の務めじゃないか?」
陽助さんは、黙り込む母の肩をやさしく抱いて語りかけ、ちらりと行火をみてウィンクした。名前の通り、陽気で細かいことは気にしない、でっかい海みたいな人だ。母さんが再婚したのもよく分かる。ささいな事が気になってしかたない母にとって、これくらい大らかな支柱がなければ、息子一人を抱えて生きていくことなど不可能だっただろう。
それでもなお渋る母に対して、救いの手を差し伸べたのは、ソネだった。
行火の実の父親である前夫が亡くなってからも、母は義理の母にあたるソネに連絡を欠かさなかった。一人で暮らすソネのことを不憫に思っているのか、面倒を見るのは元とはいえ嫁である自分の義務だと思っているのかは分からないが、週に一度は電話をし、夏と冬には食べ物を送り、事あるごとに行火にも連絡をさせた。そんな母の姿は、自主的に先生の手伝いをする女生徒のようにも、敬虔な信者にも見えた。「行火、ほら、おばあちゃまよ」と呼ばれるたびに、心の一部がしなびて、少しずつささくれていくのを感じていた。
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