第10話
駅に降り立つと、なつかしさよりも怖ろしさがこみ上げた。暑くもないのに全身から汗が止まらない。改札を出てすぐの、弓を構えた像の影に身をひそめ、行火は荷物を下ろし両手をズボンの裾にこすりつけて、手汗をぬぐう。
何台もの大きなスーツケースが目の前を転がっていき、おじいさんの真っ赤な杖と中学生のテニスラケットが交錯して、何百という足が波に巻き上げられた砂のようにばらばらと過ぎ去っていく。ひらりと視界の端に青の旗が見えた。「NO MORE 異界」「地球の者は地球の物で」背格好もバラバラな十人ほどの大人が、一様に鮮やかな青いはちまきを巻いて、そんな言葉の書かれたプラカードを手に叫んでいる。
そのうちの一人と目が合って、行火は慌てて視線を手首に落とした。左手に巻いた端末が、メッセージの受信を訴えている。
母からだ。始めの言葉は『大丈夫?』
『今日からいよいよ夏期講習ですね。久しぶりの札幌、どうですか? 体調を崩してはいませんか? こちらは皆元気です。もし、つらいようだったら、いつでも帰ってきていいからね。お金のこととか、みんなへの説明とか、心配しなくていいから。』
行火は乱暴にメッセージを閉じた。本当はすぐに返事をしないと、また色々言われてしまうだろう。けれど、母の不安をなだめるために心を砕く余裕はなかった。
「本当に一人で大丈夫?」
北海道へ発つ日、空港まで見送りにきた母の宏香は、眉尻を下げて息子を眺めていた。
「大丈夫だって。もう中三だし」
行火は努めて明るい口調で言った。背負ったリュックがずしりと肩に食い込む。早く預けてしまいたかった。
「また中三よ。未成年なんだから……そうよ、やっぱり母さんも」
「もう満席だよ、飛行機。それに、母さんがいなくなったら、みんな困るだろ?」
行火の言葉に、宏香は一瞬目を尖らせて、けれど何も言わずに黙り込んだ。いつもこうだ。母は何か思うことがある時、黙り込む。そして、誰かが「どうしたの?」と声を掛けてくるのをじっと待つのだ。
行火はしずかに息を吸った。レンズの端で、搭乗時間の締め切りが刻々と近づいていた。
「わがまま聞いてくれて、感謝してる。おばあちゃんには、絶対迷惑かけないから」
「わがままなんて、そんなこと一言も言っていないじゃない。優秀な子どもを持って、母さんは誇らしいわ」
宏香はまったくうれしくなさそうな声でそうつぶやく。そういうの、いいよ。行火はため息を吐きたくなった。行火が塾の夏期合宿に行くと勝手に決めてしまったことを、母がまだ根に持っているのは明らかだった。
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