10-6 化け猫と制止魔法
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時刻は午後六時近く。鈴音の案内により一行は化け猫の住処――藁ぶきの屋根の小屋付近へとやってきた。
夕日はかなり沈んでおり、深い森の中は薄暗い。
みしみしと踏みしめる落葉の音が、静かな森に響く。
「この木の一番上に化け猫がおったにゃ」
立ち止まった鈴音の指さす方向には、成人男性六人分程度の高さの大木が立っていた。
「確かにこの高さなら、化け猫も下りられなくなるかもしれないな」
「きっと何かに追い詰められて登ったんでしょうね」
龍斗と姫奈は大木を見上げながらうんうんと頷く。
「この先に化け猫の住処があるから、ここから作戦開始するにゃ」
「おう。ほな任せたで、鈴音」
「おうにゃ! うちが両手を挙げたら“例の合図”にゃから、兄ちゃんはそれで動いてほしいにゃ」
鈴音はそう言って親指を立てると、隆一に背中を向けて小屋の方へと歩いていった。
「んじゃ、アタシたちもそれぞれの位置で待機しようか」
「ああ。オレと姫奈はそこの木の陰で待機しよう」
化け猫の住処――小屋のそばに立つ小さな木の方へと、龍斗と姫奈は歩いていく。
「坊ちゃん嬢ちゃんがあの位置なら……俺はあの木の上辺りがええかな」
化け猫の住処から少し離れた背の高い木をよじ登り、隆一は木の上に腰掛けた。
コートの裏に隠し持っている投げナイフを手に取り、小屋を見張る。
姫奈と龍斗も同様に、小さな木の陰から鈴音を見守る。
鈴音は小屋の戸を開け、中を覗く。
「こんばんにゃー……」
「いらっしゃいにゃ」
小屋から出てきたのは二本足で立つ猫――化け猫だった。
「やっと僕のお嫁さんになる決心をしてくれたにゃ?」
「うん、あなたはとても優しそうだから、うちも化け猫になっていいかもって思ったにゃ」
化け猫は嬉しそうに口角を上げ、鈴音を小屋の中へと招こうとする。
「早く化け猫になれる飲み物があるにゃ。それをごちそうするから、うちに入るにゃ」
尻尾を左右に揺らしながら、化け猫は再び小屋の中へと入ろうとした。
「ちょっと待ってにゃ。うち、その前に少し話をしたいにゃ」
鈴音はそう言って、少し小屋から距離を置く。
「話? どんな話にゃ?」
「せっかくのお近付きにゃから、散歩しながら話すのでもええかにゃ?」
首を傾げて返事を促す鈴音。
「分かったにゃ」
化け猫は小屋から離れ、鈴音の方へと歩いていく。
一歩、二歩と化け猫が近づいてくるのに合わせて、鈴音も小屋と逆の方向へ一歩ずつ後ろ歩きで距離を保つ。
化け猫が小屋から十歩ほど離れたところで、木の上の隆一が狙いを定める。
すると、鈴音がわざとらしく両手を挙げて大きく背伸びをした。
「んー、それにしても今日の風は気持ちええにゃあ」
瞬間、隆一は右手に握っていた投げナイフを化け猫に向かって投げた。
「にゃ!?」
驚いた化け猫は咄嗟にナイフを交わす。
そして、ナイフが飛んできた方向――隆一の方へと目を向ける。
「お前……何者にゃ?」
訝しげに木を見上げる化け猫。隆一は問いに答えずにもう一度ナイフを投げる。
ナイフは当たらず、落葉の絨毯に突き刺さった。
「急にナイフを投げてくるなんて危ないにゃ! どういうつもりにゃ!」
化け猫は怒りをあらわにし、両前足から長い爪を出した。
「今やで姫奈ちゃん!」
鈴音が小屋のそばの木に向かって叫ぶと、姫奈と龍斗が化け猫の背後まで駆けていく。
そして、姫奈は隆一に気を取られている化け猫の背中に触れた。
その瞬間、化け猫は気配を感じて振り向こうとする。が、その動作は途中でぴたりと止まった。
「制止の魔法にゃね……君、僕を嵌めたにゃ!」
「そりゃそうにゃ! 化け猫になるのも化け猫と結婚するのも、うちはごめんにゃ!」
鈴音は腕を組みながら、動けなくなった化け猫を睨みつける。
「ちゅうわけで、痛い目に遭いたくなかったらうちにかけた呪いを解いてほしいねんにゃ」
「僕との結婚がそんなに嫌かにゃ?」
「うちは人間として、人間を愛したいんにゃ」
「……なら仕方ないにゃね。呪いを解くから、制止魔法を解いてほしいにゃ」
鈴音は姫奈に魔法を解くよう目で合図する。
姫奈は化け猫の背中に触れている右手をそっと離した。
「……でも、僕を嵌めたことは許さないにゃ」
静かに言葉を放つ化け猫。
長い爪を擦り合わせてキリキリと音を立てる。
「鈴音、退け!」
殺気を感じた隆一は木の上から降り、鈴音の方へと駆けていく。
化け猫は動けるようになった体で、鈴音に向かって長い爪を力強く振り下ろした。
「んにゃっ……!」
隆一は鈴音に体当たりをして、振り下ろされる長い爪を間一髪で回避する。
鈴音に覆い被さった状態で、化け猫の背後にいる龍斗と姫奈に声をかける。
「化け猫には敵わん、坊ちゃん嬢ちゃんは小屋の方向に逃げてくれ!」
飛鳥兄妹は素早く起き上がると、小屋とは反対の方向へと駆けて行った。
「待つにゃ!」
飛鳥兄妹を追いかけようとする化け猫。
その背後で、龍斗が小屋の向こうに続く道の方を向いて、姫奈の手を取る。
「化け猫はあの二人に任せよう」
姫奈が返事を返す前に、龍斗は二歩ほど踏み出す。
が、引っ張る手がついてくることはなく、姫奈はその場に立ち尽くす。
「……アタシだって、いつも守られてばかりじゃいられないよ」
「姫奈……?」
すると、少女は化け猫の方へと駆けていった。
「おい、姫奈――!」
駆けだそうとする化け猫の真後ろに立ち、姫奈は再び化け猫の背中に右手を触れる。
「にゃ――!?」
ぴたりと動きが止まる化け猫。
少女は、空いた左手を化け猫の頭にかざす。
「アタシが使える魔法は、補助系魔法だけじゃないんだよ」
強気な表情でにっと口角を上げる。
かざした左手には、火の玉が浮かび上がる。
「にゃ、あ、熱いっ熱いにゃ! やめるにゃ!」
「ふふっ、丸焼きにされたくなかったらその爪を引っ込めなさい」
「わ、分かったにゃ! 丸焼きは勘弁にゃ!」
その姫奈の後ろで、少年が呟く。
「悪魔だ……」
追ってこない化け猫に振り向いた飛鳥兄妹も、同様に口をそろえて言葉を放つ。
「悪魔やん……」
化け猫の懇願を受け、火力を弱める。
が、姫奈は口角を下げて暗い表情を浮かべる。
「……あなたの言葉、信用できないわ」
再び火力を戻し、化け猫の後頭部をあぶり続ける少女。
その殺気に怯えたのか、化け猫は爪を引っ込めた。
「ほら、爪は引っ込めたにゃ! 離してほしいにゃ!」
焦る様子で化け猫は訴える。
「いい子ね。少しだけ火力を弱めてあげる」
だが姫奈は制止とあぶりを止めることなく、言った通り火力をほんの少し弱めた。
そのとき、化け猫の叫びがぴたりと止まった。
「……にゃーんてな」
制止魔法にかかっているはずの化け猫が、姫奈の方を振り向く。
その顔は先ほどの猫らしい顔とはかけ離れていた。
飛び出しそうなほどに大きな眼に、口からはみ出した大きく鋭い牙。
「――!」
その様子に驚いた姫奈は、思わず手を離しのけぞる。
すると、化け猫の身体はむくむくと肥大し始め、三メートル程度の大きさとなった。
「僕は二本足で歩くだけの猫じゃないにゃ。“化け猫”であることを忘れてもらっちゃ困るにゃねぇ」
肥大した手からは先ほどと比べ物にならない程に大きく鋭い爪が飛び出している。
「そん、な」
姫奈は、なんとか魔力を絞り出そうとする。
が、恐怖心でうまく力を出すことができない。
「君には、僕を舐めた罰を与えるにゃ」
そう言って、巨体となった化け猫は大きな爪で姫奈を薙ぎ払う――。
「姫奈!!」
「嬢ちゃん!」
「姫奈ちゃん――!」
――アタシはただ、みんなの役に立ちたかっただけなのに。
そんなことを考えながら、自身に迫る爪を呆然と眺める。
そして、化け猫の爪は無慈悲に地面と一緒に少女を薙ぎ払う。
地面が爆発したかのように土石が飛散し、三人の視界を遮る。
そんな中、少女は死の間際に幻想を見た。
赤い髪に、琥珀色の瞳。
緑色の袖と青色のノースリーブのジャージがふわりとなびく。
――そんな男が、アタシを抱きかかえてこう言うの。
「ふぅ。間一髪でした」
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