9-8 四年前の事件3

「……承りました。必ず伝えます」

「ああ、アンタなら伝えてくれるだろう。よろしく」


 彼はそう言って、片手を挙げて別れの挨拶を告げると階段を上っていった。

 黒髪の男の姿が消えて、階段に背を向けようとしたとき。


 背中にひんやりとした違和感。

 その後に少し遅れて、じんわりと痛みを感じ始めた。

 痛みは心臓の脈打ちに合わせて徐々に強くなり、今までに経験したことのない激痛へと変化した。


 僕の目の前にいる瑠里は、怯えた表情で僕の背後を見る。

 痛みを耐えながら振り向くと、そこには早川の顔があった。

 握られた刀の先は赤く染まっており、それを見てようやく痛みの原因を知った。


「油断禁物やでぇ、真田」


 ニィ、と愉しそうに笑う。

 僕は痛みに耐えかね、冷たい床に膝をついた。


「早、川……隆一は――」


 早川に隆一の安否を尋ねようとするが、声が出ない。

 入り口の方へ目を向けると、僕が何を言わんとしているのか悟ったように話す。


「隆一ならちゃんと生きとるで。ちょっと寝てもろてるだけや」

「なんで、こんなことを……!」


 なんとか立ち上がり、僕は刀を鞘から抜いて前に構えた。

 背後には、守らなければならない人がいる。

 そのためなら、僕は自分の命をかけたっていい。そう思えた。


「でもな真田。お前には死んでもらわなあかん」


 血で塗れた刀を掲げ、早川は切っ先を僕に向ける。


「そないな身体やったら、死ぬのも時間の問題っちゅうところやなぁ」

「そうは、させない……!」


 早川に向かって、刀を振り下ろす。

 攻撃はいとも簡単に防がれ、力づくではじき返された。

 負傷のせいか、動きが鈍って満足に臨めない。

 それでも僕は、早川に立ち向かっていく。


「満足に動かれへん状態で、よう僕に歯向かえるなあ」


 素早い動きが取れず、攻撃が読まれてしまう。

 それでも、僕は――。


「無駄やて」

「――っ」


 刀とともに弾き飛ばされ、仰向けに倒れこむ。

 涙目で僕の顔を覗き込む少女。

 何か必死に話しかけているみたいだが、意識が遠のいていき、よく聞き取れない。

 わずかに残る意識で上体を起こし、眼前の敵を見る。

 が、身体はこれ以上言うことを聞かず、身動きが取れない。


 早川が嗤っている。

 僕を愉しそうに見て、刀を振り上げる。

 これで終わりか――いや、終わってはいけない。

 僕には、守るべきものが――。


 刀は無慈悲に、躊躇なく振り下ろされる。

 彼は本当に、僕を殺す気だった。

 それでもなんとか生きようと、僕は素手で刀を防ごうとした――。


「――――な、」


 振り下ろされた刀の前に立ちふさがる小さな体。

 目の前で、左肩から右腰にかけて血しぶきが上がる。

 その体はばたりと倒れ、床にどくどくと赤い液体が流れ始める。


「……、里……っ!」


 朦朧とした意識の中、彼女の名前を呼ぶ。

 酷く鈍った身体をなんとか動かし、彼女に這い寄っていく。


「……じ」


 赤い瞳をゆっくりとこちらに向け、瑠里は僕の名を呼んだ。

 身体は真っ赤に染まっている。早く止血しないと助からない。

 そう思いどうすればいいか考えるが、考えがまとまらない。


「……宗治、最期にひとつだけ聞いて」

「最期なんて言うなよ、絶対に俺が助けるから……!」

「ううん、ボクはもう、駄目だよ」


 瑠里は力なく笑い、優しい瞳で僕を見つめる。

 そんな彼女に僕は何を思ったのか。


「最期になんてさせない、何度でも、何でも、一生聞くから……!」


 何を言おうとしているのかも知らず、涙を流しながらそんなことを口走っていた。


「ボクはね……ずっと…………――」


「……る、り?」


 すぅっと、眠るように目を閉じていく。

 血まみれの身体に触れてみるが、反応がない。

 やがて温もりは徐々に奪われていき、冷たくなっていった。


「……守られへんかったか?」


 わざとらしく、早川は尋ねてみせる。


「お前は何も守られへんし、守る権利もないっちゅうことやな」


 鼻で笑って、彼は僕の目を凝視する。

 怒りのせいか痛みのせいか、頭と視界はぼんやりとしている。

 だが、身体は憎しみで勝手に動き始めた。


 なんとか立ち上がり、刀を早川に向かって振り下ろす。

 振り下ろした刀は早川の左肩を掠める。


「――作戦失敗っちゅうとこか」


 早川はそう言うと、瞬間移動の魔法か何かで風のように消えていった。



 その後僕と隆一ははるどきに戻り、黒井那奈子を幻界に帰した。

 そして鈴音ちゃんには酷だが、瑠里のことを話した。その晩は泣きじゃくって隆一から離れようとしなかったが、翌日大阪へ帰っていった。


 それからだ。僕が“相牙”と呼ばれるようになったのは。

 抗争では自分の命が危ぶまれていると判断した際は、躊躇なく人を斬った。決して生かすことなく、その命が尽きるまで。

 冬の間、そんな光景が僕の目に映っていた。

 しかし、おかしなことに人を斬った感覚を覚えていない。きっと思い出したくない感覚だったから忘れてしまったのだろう。


 そして、春が訪れようとしたとき。

 僕は、幸民隊の隊長――美山翔をこの手で殺した。


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