6-5.手合わせ

 真田家は、西に海、東に山が連なる自然に囲まれた場所にあった。

 宗治に案内された二階の部屋の窓からは、海が綺麗に見えた。


「ここが隆一くんとボクの部屋だよ」

「海……めっちゃ綺麗やね」

「でしょ。ボク、ここの景色がお気に入りなんだ」


 宗治はそう言って、ぽふんとベッドに腰掛けた。

 隆一も、向かいのもう一つのベッドに座る。


「真田家は空き部屋がないから、ボクと一緒の部屋を使うことになってるんだ。ごめんね」

「べ、別に大丈夫やで。俺は大丈夫やけど……」

「大丈夫やけど……?」


 淡い水色の浴衣を着た宗治が、目を丸くして小鳥のように首をかしげる。

 赤い髪が揺れてあらわになった華奢きゃしゃな肩。その華奢さは、隆一に儚げな印象を与えた。


「……ううん、大丈夫。俺は大丈夫やで」

「ありがと。ちょっと狭いけど、我慢してね」


 隆一は頷いて、再び窓から見える海に目を向ける。

 これから始まる新たな日常に、ほんの少しの希望を見出みいだしていた。


 荷物を整理して昼食を取った後、早速稽古が始まった。

 師範である武夫のある方針で、まずは宗治と手合わせすることとなった。


「隆一くん、木刀を持つのは初めて?」

「うん。てか剣術とか俺、何も知らんで」

「そっか。じゃあ、まずは基本の基本から勉強だね」


 父親に鍛えてもらえと言われたものの、そもそも構えも作法も全く知らなかった。


 ――こんなん、強くなる前に大人になってしまうやん。


 目の前の宗治は、それなりに格好のついた構えで立っている。

 それに比べて、そもそも鍛える以前にやり方を何も知らない自分。

 急に先が見えなくなり、無力感に苛まれる。

 何となく両手で構えていた木刀を下ろし、片手にだらんとぶら下げた。


 そのとき。


「えいっ」


 いたずらを仕掛けるような掛け声と同時に、頭にぽんと木刀を下ろされた。


「隆一くんのスキ、みっけ」

「す、スキ……?」


 隆一は、宗治の唐突な行動に、あっけにとられる。

 いたずらっ子のような笑みを浮かべる宗治。

 だがその表情は柔らかく、どこか見守るような暖かさがあった。


「どうしたの、何か悩んでる?」


 木刀をそっと下ろし、宗治は隆一に心配そうに尋ねる。


「え……何で分かったん」

「隆一くん、悲しい顔してたから」


 隆一はそう言われて、道場の隅にある姿鏡に写る自分を見た。

 曇った表情で、弱々しく木刀を握る少年。

 思い描く強さとは程遠く頼りなげな姿が、そこにあった。


「良かったら、その理由を教えて?」

「……俺、何も知らずに手合わせとかできへんし、こんなんいつまでたっても強くなれん気がして……」


 宗治は、隆一の言葉に静かに耳を傾ける。


「……周りの人にも、父さんにもびくびくしてばっかりだって言われて、ずっとバカにされたままになる気がして」


 震える声で話す隆一少年の頰に、涙が伝う。

 隆一は悔しかった。

 気弱で内気であるが故に、同級生にはからかわれ、大人には叱咤しったを受け続けてきた。

 変わりたいと強く願い続けるも、一歩を踏み出す勇気がなかった。


「結局、何をしてもやっぱりダメなままやろって。そう思ったらなんか……」


 ――剣術を習う意味なんて、ない。


 生来、そういう人間なのだと。

 諦めに似た無力感が、彼の一歩をはばんでいた。


「隆一くんは、強くなれるよ」

「――え?」


 耳を疑うような宗治の言葉に、隆一の涙が止まった。


「真田の剣術は、自分の弱いところを探すことから始めるんだよ」

「自分の弱いところ……?」

「そう。でも隆一くんは、もう自分の弱いところを知ってる。だから――」


 宗治は右手の木刀を、目を腫らした少年に真っすぐ向ける。


「隆一くんはきっと、すごく強くなれる!」


 頼もしくも、優しい笑顔で宗治は強く言い放った。


「……うん。ちょっと頑張ってみる」


 濡れた頬を拭うと、隆一は両手で木刀を前方に構えた。


「カタとかたちまわりとか、そういうのは無視していいよ。とにかく全力で戦おう」


 二人は向き合い、お互いの出方を伺う。


「――今度は、ボクの弱いところを見つけてみて」


 宗治の言葉が、道場内で響いて静かに消えていく。

 少しの沈黙の後。


 隆一が、構える宗治に振りかぶった。


「たああぁっ!」


 自分でも驚くほどに、大きな声とともに。

 腹から喉の奥を通して出た声が頭に響いて、頭のもやが晴れていくような感覚を覚えた。


「っ……と」


 その振りかざした木刀はいとも簡単に避けられてしまう。

 経験者と初心者の差だろう。

 しかし、隆一の中で過去に抱き続けたような悔しさはなかった。


 ――俺は、俺は絶対に……!


「俺は絶対に強くなる!」


 ――そして、今度は。


「俺を守ってくれた人を、守れるようになる!」

「――――!」


 自分の覚悟を、全力で宗治にぶつけた。

 力強さに圧倒されたのか、宗治は回避時に少しよろけてしまう。


「び、びっくりした……」

「俺のこと舐めたらあかんで、宗治!」


 ついさっきまでの弱気な少年とは思えないほどの迫力。

 隆一はめげることなく、何度も宗治に挑んでいく。


「っ……!」


 一方で宗治は、隆一の攻撃を避ける余裕を無くし始めていた。

 隆一は絶え間なく攻め続け、宗治が攻める隙を与えようとしなかった。


「んで、俺は宗治よりも強くなって……」

「んぁ……っ!」


 とうとう攻撃を避け切れず、宗治は自身の木刀でそれを防いだ。

 しかしその防御は非常に脆く、一瞬で体勢を崩されてしまう。

 一撃を食らう寸前で宗治はなんとか回避し、攻撃の届かない間合いをとった。


「はぁ、はぁ……」


 息を切らす宗治。

 だが、隆一も同様に呼吸が荒くなっていた。

 体力はどちらも残りわずかな状態だった。


「……っどうして」

「?」


 絞り出すように声を出したのは、宗治だった。


「どうして君は、そんなに真っすぐボクに向かってくるの……?」

「……へ?」

「ボク、隆一くんの攻撃をずっと避けてるんだよ。どうして戦い方を変えないのかなって」

「……?」


 肩を上下させながら、隆一は宗治の次の言葉を待つ。

 だが、


「……ううん。やっぱり今のは忘れて」


 宗治は困ったような笑顔を浮かべて、左手で再開の合図を出した。


 再び手合わせが始まる。

 が、再び隆一は宗治に真っすぐに立ち向かっていく。


「はああぁあっ!」

「ちょ、隆――」


 ふらふらの身体でなんとか回避する宗治。


「俺は、宗治よりも強くなって――」


 何度回避されても、隆一は同じ要領で真っ直ぐに攻め続けた。


「宗治も守れるようになる!」


 振りかぶった木刀が、宗治の木刀にぶつかる。

 だがやはり防御は脆く、容易く崩れていく。


「――――!」


 宗治はとうとうバランスを崩し、後ろに倒れた。


「いっ……」

「だ、大丈夫か……?」

「うん、平気だよ」


 隆一は申し訳なさそうに手を差し伸べた。


「やっぱり隆一くんは強いね。負けちゃった」


 少し悔しそうに笑いながら、宗治は隆一の手を取り立ち上がった。


「ま、負け……?」

「うん、そう。悔しいけど、ボクの負け」


 隆一はその言葉を信じられず、言葉を変えて確認する。


「俺の……勝ち?」


 不安げに尋ねる少年に対して、宗治はうんと頷いた。


「やっぱりボクは、攻められるのに弱いみたいだ」


 ふにゃっと頼りなげに笑いかけた。

 隆一も同じように笑ってから、少し強気な表情を浮かべた。


「俺もやればできるねんな。ありがとう、宗治」

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