1-6 命がけのかくれんぼ

■■■


 深い森の中――そこは薄暗く、町の人々は誰一人として近寄ろうとはしなかった。

 その雰囲気のせいか、危険な生き物が住んでいると古くから言い伝えられ、恐れられていた。

 しかし今は言い伝えよりも、現実的な脅威がその山の麓にあった。


 そんな山に、一人の少年がやってきた。彼の目的は、その現実的な脅威を倒すことである。

 そう聞くと、町のために勇敢に立ち向かう正義感の強い少年という印象を周囲に与えるが、彼は正義のために盗賊を倒したいわけではない。

 彼の目的は、力試し。もちろん油断すれば自分の力を測るどころか、山に埋められてしまうことも充分にありえる。

 そんな危険を承知で、黒井龍斗はこの山にやってきた。

 自分ならやれる、と言い聞かせて。


 ザッ……ザッ……と、自分の足音だけが聴こえる。

 薄暗い山道の中、何が出てくるかわからない、人が出てくるかもしれない、あるいは――


 カアーカアー


 龍斗は反射的に刀を構えた。

 飛び出してきたのは、一羽のカラスだった。

 なんだ……と、龍斗は刀をしまって深呼吸をした。

 言い伝えに怯えているのか、これから出遭うものに怯えているのか――


 チチチチッ


 龍斗は飛び上がった。

 子連れの小動物が、少年の前を横切った。

 こんなもので……と龍斗はため息を――


 ギニャアアアアッ!!


「ひぃッ!」


 龍斗は思わず声をあげた。

 頭が人の目の形をした生き物の群れが、子連れの小動物を追って少年の前を横切った。


「目の群れか……驚かせやがって」


 龍斗は正体を知ると、ほっと胸を撫で下ろした。

 少年は体勢を整えなおして神経を研ぎ澄ませ、盗賊のアジトを探した。

 しかし、この薄暗い森の中を歩くだけでも体力はだいぶ奪われてしまい、もしものときに逃げられるほどの体力はほとんど残っていなかった。

 それでも少年は自分の実力を知るために、歩き続けた。


 どれだけ歩き続けたか、龍斗は小屋を見つけた。

 木造の小屋からは、今朝会った盗賊の一人が出てきた。少年はようやく目的地に辿り着いた。

 どのようなタイミングで乗り込むか、少年は木の陰から様子を伺うことにした。


「おやおや、今朝の腰抜かしたガキじゃねえか」


 びくり、として振り返ると、盗賊のリーダーが立っていた。

 薄暗く影っているせいか、少年は男が今朝より大きく見えた。


「俺たちの家に遊びに来たのか? ん?」


 長身の気迫に負けないよう、少年は声を張って言った。


「お前らを倒しにきた!」


 龍斗は刀を抜き、盗賊のリーダーに斬りかかった。

 が、リーダーはそれを右手で防いだ。その手は全く切れていない。

 じろり、と大男の眼球が少年を捉え、にやりと余裕の笑みを浮かべた。

 龍斗は刀を引き戻そうと必死に引っ張るが、小学生男子の引く力が大男の腕力に勝てるわけもなく――身動きが取れない状態となった。


「模造刀か。こんな斬れねぇ刀で俺たちに刃向かうってぇのか? 舐めてんのか、ガキ!」

「――っ!!」


 龍斗はリーダーに蹴り飛ばされ、背後の木に強く身体を打ち付けられた。


「あーあ、ざまぁねえなぁ」

「リーダー、こいつどうしやすか?」


 駆けつけてきた二人の盗賊の仲間が、ボロボロになった少年の姿を見て嗤う。

 強打による背中の痛みに耐えながら、龍斗は必死に盗賊たちに焦点を合わせ、立ち上がろうとする。

 しかし、身体は恐怖のせいか痛みのショックか、固まって動かない。


「あの世で目一杯後悔させてやれ」

「だ、そうだ」


 盗賊の仲間の一人が龍斗の襟を片手で掴んだ。

 もう片方の手で内ポケットからナイフを取り出し、少年の首にそれを当てた。


「こんなところで――!」


 少年は震える手で、刀の鞘を握った。

 素早く盗賊の懐に潜り込むと、鞘を思い切り下から押し上げ、盗賊のみぞおちを突いた。

 その場でうずくまる盗賊。

 龍斗はよろける身体をなんとか操作し、来た道を走った。


「待ちやがれ、クソガキ!」


 もう一人の盗賊の仲間が、森の中を逃げる龍斗を追った。

 龍斗は自分の背の低さを利用して、生い茂る草木の中へ紛れていく。

 盗賊の仲間は龍斗を見失い、キョロキョロと辺りを見回す。


「探し上手な盗賊相手にかくれんぼか? いい度胸してるじゃねぇか」


 龍斗に残された武器は、模造刀の鞘のみ。

 体力も消耗が激しく、もうまともに戦える状態ではない。


 ――ここで見つかれば、もう終わりだ。


 龍斗は、このかくれんぼに全てをかけた。

 今まで生きてきた中でこれ以上に緊張したことはない。これが最後になるかもしれない。

 龍斗は覚悟を決めた。

 少し坂になった場所の木の陰で、身を潜める。

 静かに吐く息は震え、冷や汗が首を伝っていく。


 ざくり、ざくり――と聞こえる複数の足音は、近づいたり遠ざかったりしていて何処に気を遣えば良いのか分からない。龍斗の恐怖心は時間の経過とともに、増大していく。


 ……ざくり、……ざくり。


 っ――――。


 ……ざくり……ざく。


 っ――――。


 足音が近くで止む度に、息を呑んだ。


 ………ざくり。


 再び足音が止む。


「みいつけた。かくれんぼはおしまいだ、小僧」

「っ――――!」


 後ろからのリーダーの声。心臓が止まってしまったように感じた。

 視覚情報すらも幻覚なのか本当に起こっていることなのかも判らず混乱していた。

 彼の視界はまるで窓の外の出来事のように客観的で、テレビを見ているように現実味を失った。

 少年の恐怖心は、自分が受け止められる許容範囲を既に超えていた。

 頭の中に浮かぶ言葉は無く、フリーズしたコンピュータのように何も受け付けることが出来ない。


「……………だな」


 盗賊の仲間の言葉ももう分からず、ただ少年は恐怖心の中でナイフが振り下ろされることに意識がいっていた。

 その数秒間で、何度も何度も振り下ろされる瞬間を想像していた。


 死にたくない――!


 そう実際に叫んだか、思っただけなのかも今の少年にはわからない。

 ようやく浮かんだ言葉とともに、何度も繰り返されるナイフを振り下ろすイメージ。

 その幾度目が本当のことかもしれなくて、もう死んでいるかもしれないとすら思った。


 その幻覚を見るのも嫌になって、少年は目を瞑る。

 盗賊に初めて襲われた、あの時のように――。


「ちょっと待ってください」


 森の奥、龍斗がやってきた方向から聞いたことのある声が聞こえる。

 その人物の影は、少しずつ彼らのところに近づいてきた。


「そのかくれんぼ、ルールを間違っていませんか?」


 龍斗はそっと目を開けた。

 赤い髪に、上下の青いジャージ。

 ノースリーブのジャージの下には、緑色の着物が着込まれている。

 風を包むようにふわりとなびく袖元から、黒い鞘が見えた。

 木々の間から微かに漏れる日の光を受けて、琥珀色の瞳は鋭く光った。


「かくれんぼって確か、鬼は一人だったような――いや、ちょっと待ってくださいね……」


 左手を口元にあて、考えるような素ぶりを男は見せた。

 男は演技などではなく、そんなルールだったかと本当に思い出そうとしているようだ。


「ふっ、盗賊に世間のルールなんざ通用しねえさ!」


 盗賊の仲間はナイフをその男の顔めがけて素早く突きつけた。

 男は上半身をわずかに左側に傾けてナイフを交わす。

 赤い髪がほんの少しナイフに触れ、切れた数本の髪がふわりと空中に散らばる。


「会話の途中に斬りかかってくるとは……礼儀作法のなっていない盗賊ですね」


 男はそう言葉を紡ぐと、盗賊の仲間の腕を片手でぐっと軽く引いた。

 盗賊の仲間はバランスを崩し転倒した。

 転倒した先はちょうど岩がむき出しになっており、盗賊の仲間は頭部を強打し気を失った。


「ほう。やるじゃねえか、赤いの」


 その一部始終を観察していた盗賊のリーダーは感心してみせた。が、


「だが、この速さにはついてこれまい!」


 そう言い終わると同時に、リーダーは男の前から姿を消した。

 いや、消えたのではなく、瞬時に移動したのであった。

 それを見ていた龍斗にも全く見えず、何が起きているのか理解できなかった。


 男は鞘に収まった刀を前方に構え、ゆっくりと目を閉じる。


 カッ


 何かがぶつかる音を龍斗は聞いた。

 鉈で薪を勢いよくかち割るような、よく響く音。


 その音の方向には、見えなくなっていたリーダーの姿があった。

 男の背後からナイフを突き刺そうとしていたようだ。

 しかし、ナイフの刃先には男が後ろ手に持つ、鞘に納まったままの刀があった。

 男は振り返りと同時に、鞘に納まった刀でリーダーのナイフを叩き飛ばした。

 そして彼はしゃがみ込み、素早くリーダーの懐に入り込むと、鞘の先でリーダーの顎を下から突いた。


「ぐごぉ」


 リーダーは衝撃で体を反らし、そのまま仰向けに倒れた。

 わずかに残る気力で首をもたげ、男を睨みつける。

 男は腰に刀を戻し、仰向けのリーダーに向き直る。


「その傲慢な態度は直さなければ。姿は見えなくとも、気配があまりにも強すぎるんです」

「赤い髪に、金色の目……まさかお前――」


 リーダーは何か言いかけていたが、言い終える前にもたげた首を寝かせ、気を失った。


「大丈夫ですか?」


 男はもう襲ってくる敵がいないことを確認すると、木の下の少年に手を差し伸べた。

 恐怖や痛みのせいで自力で立ち上がれなくなっていた少年は、不本意ながら手を伸ばす。


「オレ、またあんたに助けられちゃったな……情けない」


 男は、出会った時に見せた安堵の笑みで、優しく少年の手を引いた。

 龍斗は一瞬よろけたが、男は彼が立って歩けることを確認すると、そっと手を離した。


「さあ、帰ろう」


 二人は薄暗い森の坂道を、ゆっくりと下りて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る