1-04 マカと選挙とお義父さん


 次の日の朝、俺は柔らかな朝の日差しに起こされる。今日は月曜日、当たり前の事だが、高校に行かなければいけない。いつもと違って遅刻はしなさそうだが、それよりも一番違うのは……。


「どうしたらいいんだ、この目は……」


 鏡を見てつぶやく。やはり一日経ったところで治っていない。すると、どこから聞いていたのか親父が顔を出す。


「治してやろうか?」

「何でまだいんの……?」


 と言うと親父は無駄にぶ厚い胸を張る。


「もちろん、仕事が無いからだだだだ⁉︎」


 母さんが親父の右耳を引っ張り上げている。


「いってらっしゃい?」


 ものすごく笑顔だが、俺にとって怖く見えるのはその目が笑っていないからだ。


「はい! 今すぐ行って参ります!」


 親父は飛ぶように家を出て行った。それを見送った母さんがこちらを向く。


「龍、ちょっとだけ目をつぶって?」


 言われた通り目をつぶる。すると、母さんの暖かい手がふわりとその上にかぶせられる。


ヘイ


 母さんがそう言った直後、目にピリリとした感覚が起こった。母さんの手が離れ、目を開けると鏡に映った俺の右目の瞳は黒色を取り戻していた。


「ありがとう、母さん」

「どういたしまして」


 これで周りの目を気にせずに過ごすことができる。ところで、


「ねえ、これって自分でできないの?」


 すると母さんはうーんと考えてから、答えを出す。


「そうねぇ、操れるマカの量にもよるんだけど……」

「マカ?」


 初めて聞いた言葉だ。


「魔力のことよ。 ほら、力ってあっちの世界では言いにくいから」

「そうだぞ、決して精力剤の類とは違ああああああ!」


 なぜかまた家にいる親父の、あえて先程と同じ方の耳を母さんが引っ張る。


「下ネタはダーメ♪ どうして帰って来てるの?」

「きょ、今日は休みにするって昨日言ったの忘れてたんだ…………離して、下さい」

「あらそう」


 そう言って親父の耳をつかんでいた左手を離す。親父は耳元をさすりながらリビングへ。

 俺は母さんとさっきの話の続きをする。


「それで、何て言ったら自分で目を制御できるの?」

「基本は『開閉カイヘイ』なんだけど……」

「ピンポーン」


 そこで、インターホンが鳴り、ミヤの声が同時に聞こえた。


「この話はまたどこかでしましょ。 とりあえず朝ごはん食べなさい」

「はーい」


 そして俺はいつもと変わらない和風朝食をかき込み、鞄を持って外に出ると、そこにミヤとセラが立っている。


「どうした?」


 俺が聞くと、


「あたしの家にセラを一人で置いとくのはどうかなと思って……」


 とミヤが言う。たしかに知り合いがいないと過ごしにくいかもしれない。俺は即決でセラをサッと家に入れる。すると、母さんが自然な流れでセラを親父から遠い位置に連れて行った。それを見届けてから、俺とミヤは学校への道を歩き出す。


「リュウ、目治ったんだね」

「あー、一時的にな」


 するとミヤは訝しげな顔をする。


「何それ?」

「なんか、十分なマカが操れると自由にできるらしい」

「へぇー……マカって何?」


 俺は朝聞いたのと同じ説明をする。ミヤは魔力自体は知っていたらしく、理解が早かった。さらに少し歩いてからミヤが思い出したように言う。


「ところでリュウは、今週何があるのか、もちろん知ってるよね?」


 俺は足を止めてキョトンとする。何かイベントでもあっただろうか。するとミヤは呆れたようにため息をつく。


「生徒会長選挙」

「えっ?」

「何よ、その顔は」


 ……俺の反応は間違ってないと思う。

 なぜなら、そんなものをやる意味が無いからだ。俺からすれば普通にミヤがやっていればいい話である。ミヤもこういう事は結構やりたがるタチのはずだ。

 そのまま口に出すと、ミヤはチッチッと人差し指を立てる。


「そうはいかないのよ、ウチは」


 ……そういえばそうだ。

 コイツの家が身内に厳しいのを忘れていた。


 しかし、

「おじいちゃんが、『青春っぽくてイイじゃん』て言ったから……」


 予想外の返答に俺はずっこけそうになる。


「流石だな……」


 ミヤは「でしょ」とだけ返す。徳川家でも、ミヤの祖父だけは別格の存在で、溺愛するミヤのためならかなりの無理をすることが多い。この学校もその産物だし。


「まあ、頑張れよ。俺はお前に入れるからさ」

「ありがとねー」


 どの教室でも選挙についての話題は絶えなかった。ミヤの他には、小田も立候補しているらしい。他の立候補はまだいない。


 ▽


 いつも通り授業を終えると、俺はすぐに帰宅する…………はずだった。


「はあっ、はぁっ、はぁっ……」

「リュウ頑張って! もう一回!」


 どうしてこんなことになったのか……話は数時間前に遡るーー



「リュウ、一緒に帰ろー」


 とミヤが教室まで来たので二人で帰ることにした。いつも通り他愛の無い話をして、お互いの家の前で分かれるつもりだったのだが、ミヤが突然、


「今日、家来ない?」


 と言ったので、


「……何企んでんの?」


 と返した。すると、ミヤは頰をプウッと膨らませ、


「別に何も無いってば!」


 と言う。その表情を見ていた俺以外の人たちは皆、口元が緩む。そして俺を見ると、その口はへの字に曲がる。……明らかな二次被害だ。


「なら、行くけど……」


 するとミヤは顔をパアッと明るくして、家に向かって俺の手を引く。


「じゃあ、今からついて来て!」

「今からかよ……」


 俺がそうぼやくと、ミヤは首を傾げながら振り向き、言う。


「そっちの都合に合わせるけど?」

「いや、いい」


 俺が断ると、ミヤは申し訳なさそうに言う。


「ごめんね、急で」

「大丈夫だって」


 そして、俺はミヤの後ろについて徳川家の門をくぐる。昔はよくここに来て、目の前に広がる日本庭園を走り回っていたのだが、最近はあまり機会が無かったので新鮮だ。綺麗に手入れされているのを見ると、子供の頃に松の枝を一本折ったことを思い出して、大変な事をしたと今になってわかる。

 しかし、たとえ機会が無かったとはいえ、この家の大体の間取り意外とは覚えていた。なので、


「……何ここ?」


 俺がミヤに案内されたのは、俺の知らない場所。ぱっと見は道場のように見える所だ。ミヤは俺の方に振り向く。そして言う。


「ホントにごめんね。お父さんが聞かなくって」


 ミヤのかもし出す雰囲気を俺は読み取った。


 ……ものすごく嫌な予感がする。


 ミヤが家と同じ木造の扉を左右にゆっくりと開ける。その刹那、俺の五感がフル稼働し、嫌な予感が当たっていることを知らせる。

 聴覚。バシッという鋭い音、ダンッという木床を踏みしめる音。

 触覚。たとえ触れられなくても、空気がビリビリと震えているのを感じる。

 味覚。少し粘りのある唾が出て、遠くに血の味がする。

 嗅覚。年季の入った木の匂いと、汗の匂いが入り混じっている。

 視覚。疲れの見えるセラが、細身の男と戦っている。明らかに押されているのがわかる。考えていた矢先、セラが弾き飛ばされた。


「一旦休憩しようか」

「……はい」


 覚えのある声でそう言った男は、こちらに気付くと早足で歩み寄ってくる。その足取りに疲れは見えない。


「久しぶりだね、龍くん」


 男は右手を差し出した。


「お久しぶりです、康司やすしさん」


 しっかりと差し出された手を握ると、彼は少し意地悪い顔で笑う。


「“お義父さん”でもいいよ?」

「やめて下さい……」


 その人はふふふっ、と静かに笑う。


 康司さんーー徳川康司とくがわやすしは現在の徳川家の当主である。故に、ミヤの父だ。本人は婿養子ながらも、早くに母親を失ったミヤを男手一つで育て上げている。


 それで少しおっさん臭くなったのか、と考えるかもしれないが、康司さんからはこんな疑問も浮かばないほどの清さを感じる。親父と交換してほしいくらいだ。しかし、この人は徳川に婿入りできるレベルなのだ。ということは……


「じゃあ、始めようか」

「俺は何をすればいいんでしょう……」


 俺はチラチラと息の荒くなったセラを見ながら聞く。すると、康司さんが木刀を二本持ってくる。


「仕合おうか」

「やっぱりそうなりますよね……」


 この人は本当にストイックだ。歳は40そこそこのはずなのに。


「そう落ち込むなよ、そこまでキツくはしないから。それに君、筋は良い方でしょ? ルールは……うん、僕もしくは僕の剣に触れられたら終わる事にしよう」


 終了条件として出されたこのルールだが、簡単そうに見えてかなり難しい。後で聞いた話なのだが、康司さんは避けの天才と呼ばれ、躱すことに関して、全盛期は鬼神のごとき速さをほこっていたらしい。……どこで発揮する場所があったのかは知らない。

 言われるがままに木刀を一本受け取ると、懐かしい感覚が蘇る。俺は昔、姉の受験期に対抗するべく、この人に武術をいろいろと習っていたのだ。軽く振ってみたが、意外と問題なさそうだ。

 道場の反対側に立ち、木刀を右手で持ち中段に軽く構える。対して康司さんは、左手で持った木刀の剣先をこちらに向けているだけの楽な構え。しかし、ピリピリと殺気のようなものが俺の肌を打ち続けている。


「頑張って一発当ててね」

「言われなくても!」


 こうなれば負けず嫌いの魂が燃える。俺は勢いよく床を蹴り、相手の懐めがけて飛び出したーー



「……はぁ、はぁ」


 俺は床に座り込み、息を切らしている。最初の勢いはどこへやら……。

 結局俺の剣は一発も当たらなかった。体に当たらなかっただけならまだマシだ。しかし、この人の場合は木刀で受けさせることすらできない。全て寸でのところで避けられてしまうのだ。


「惜しかったねー、最初10本ぐらいは」


 そう言う康司さんは俺と違ってまだまだ余裕そうだ。同じ時間動いて、それまでにセラの稽古もしているはずだ。なのになぜ余裕なんだ……。


「康司さん……、魔法とか使ってないですよね?」


 少し息が整ってきた俺がそう聞くと、


「うん、あれは僕の通常のスピードだよ。もうちょっとできると思ってたんだけどなぁ」

「うっ……」


 悪気のない言葉の刃が俺の胸に刺さる。反論もできない。しかし、俺の息が切れているのは、ミヤにも責任がある。少し休憩しようとする度に、


「リュウ、もう一回!」


 と言うのだ。しかも自分は今風呂に入っていて、俺のことは完全に他人事らしい。と、そのミヤが帰ってきたので、愚痴でも言おうかと思ったそのとき、


「今日から泊まっていくんだよね、龍くん」


 俺とミヤがフリーズ。セラはキョトン。


「なんですかそれは!? 急過ぎませんか!? 誰の差し金ですか!?」


 俺がまくし立てるように言うと、康司さんは一言でその全部に答える。


「竜雄さんに許可はもらってるよ? 聞いてなかったのかい?」


 あの野郎……。

 親父への尊敬の念は二日ほど前に綺麗さっぱり消えている。今はその代わりにふつふつと怒りが湧いてきている。ミヤも硬直から解けると顔を赤くして言った。


「だからってそんな! せめてあたしには伝えといてよ! 心の準備が……」


 俺はいいのか俺は。最後は声が小さくなってあまり聞こえなかったが俺に決定権が無いことだけはわかった。それに康司さんが俺を視認している以上、物理的に逃げられない。


「こうなったら仕方ないか……」


 俺がそう言うと、康司さんはうんうんと頷く。


「竜雄さんの予定不調和は今に始まった事じゃないからね……」


 この人もウチの親父の横暴さは十分に承知しているようだ。自分の服はゲートで母さんに持ってきてもらった。

 ……普通に「ゲート」に馴染んでるけど、大丈夫かなぁ。

 自分の感覚に不安を覚えながら、俺はその日の疲れから深い眠りについた。









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