零章:始まりの一週間

0-day1 始まりの日


 目を開けると、暗闇の中に小さな人影が二つ浮かんでいる。そこは、なんというか、どこか雰囲気のある神聖そうな場所だ。俺の視界は少しずつ狭まり、その二人をズームしていく。片方は制服を着ていて、もう片方は黒い煙に包まれて視認できない。そして、その二人が戦っているのだということは素人目に見ても明らかであった。


「サア、遊びはもう終わりにしヨウ?」


 黒い煙から、機械音のような声がその場所に反射して大きく響いた。と、同時にもう一方も動き出した。剣先を地面に向けていた白剣を腰あたりまで引き上げて、その煙に向かって走り出す。


「セアッ!」


 掛け声とともに彼の体は飛び上がり、右手の剣が閃いた。俺はその掛け声を聞いた時、ある事に気がついた。


「あれは……?」


 そう呟くと、目の前に一瞬の閃光が走った。ゆっくりと目を開けると、俺は先ほどまでの俯瞰視点ではなく、俺自身の視点でその戦いを見ていた。


「そうカ、その程度カ……」

「な……、え!?」


 俺は両腕を吊るされていた。腕を掴んでいるのは先ほどの黒い煙。その煙の中心から、無数の同じ煙が飛び出し、生きているかのようにウネウネと動いている。


「モウ、終わりにしヨウ」


 煙の一本がしっかりとした形を持った。中心から伸びたそれは、先にいくにつれて鋭さを増して、その先端が俺の胸の中心を見据えているのが見て取れる。


 案外と、今から死ぬというのに落ち着いているものだ。特に死ぬのに覚悟は要らないのだと俺は知った。


愚に罰をPanish


 黒煙がそう囁き、俺を見据えていた鋭い煙が速度を上げて向かってくる。俺はその先端をじっと見つめて、体を貫いていく瞬間を待った。しかし、その時は訪れなかった。


 バチンッ!


〜〜〜」

「起きろっ、アホッ!」


 そう言うのは暴力姉こと海崎志織かいざきしおりである。俺は赤く腫れた右頬を押さえながら見下ろす姉に不服の目を向ける。


「毎朝ビンタで起こすのは……」

「何? 文句?」

「いえ、大丈夫です」


 一瞬の反抗も二言で沈められてしまう。危ない、今のは明らかに殺す目をしていた。

 最近の生活スタイルとして、朝のスタートは姉のビンタである。さらに言えば、先刻の夢のせいで俺はよく寝坊するようになった。今では約一ヶ月の間、同じ夢を見ている。


 ジャージ姿で完全にダラけきったこの愚姉が、大学ではミスコンに出ているのだから、俺はかなりゾッとする。やはり、人を見た目で判断してはいけないというのは本当らしい。


「で、早くしなさいよ?」

「何をでしょうかふっ!」


 今度は逆サイドから裏拳が飛んできてギリギリで避ける。


「何するんだよ」

「ふざけてんの? 時間見ろよ」


 枕元にある目覚まし時計が7時30分を指している。それでも俺はピンと来ない。そんな俺の姿を見て姉はハアーーっと溜息をつく。


「本当に高校生なんか? お前は」

「あ」


 俺は飛び起き、着ていた服を脱ぎ散らかすと制服に着替え始める。


「はい、ミヤビちゃん待たせてるよ。ハリーアップ、ハリーアップ」


 姉は俺がパンイチになっても全く動じず、むしろ俺が焦っているのを面白がっているようにも見える。

 ……悪魔め。そう思って少し睨みつけてみると、それ以上の目力で俺の反抗心はねじ伏せられた。


 姉に見張られながら身支度を終えると、階段を全速力で駆け下り、目の前のドアに突進しようとした。


「龍! これ持って!」


 俺が急ブレーキを踏むと、母がこちらに何かを持って来る。サラダと鶏肉が挟まった、いかにも健康的なサンドイッチである。


「ありがとう、母さん」


 俺の母ーー海崎怜かいざきれいは、多分40代のはずだ。しかしながら20才前半、もはや姉と同い年かと思うほど若く見える。俺含めて友人たちは、「妖怪ではないか」と噂していたこともあるほどだ。


 俺は母の愛情をしっかりと受け取り、玄関のドアを開けると、


「遅いっ!」


 俺の制服と同じ黒のブレザーに、膝上で止まっている濃い赤のスカート。そして、腰辺りまで伸ばしたダークブラウンの髪を風になびかせながら、怒っていてもなお整った顔立ちの、いわゆる「美少女」が腕組みをして、髪と同じ色の瞳で俺を見上げていた。


「悪い、ミヤ。寝坊だ」


 俺がそう言うと、ミヤはこちらを見下すように言う。


「このあたしを待たせるとは、いい度胸ね」

「普段そんな喋り方しないだろ、お前」


 俺がツッコむと、ミヤは「にゃはは」と猫のように笑う。


 ミヤーー徳川雅とくがわみやびは俺の幼馴染だ。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、そしておまけに苗字の通り、かの将軍様の血を引く超人である。もちろん、俺とは違ってモテる。ただ、異常にガードが固く、中学のときは、彼氏がいる、という噂さえ聞いたことがない。

 どうして俺みたいなのがそんな異次元的な人間と待ち合わせているのかというと、理由は単純。「家が近いから」だ。いわゆる幼馴染というポジションに俺はつけているわけだが、その分怨みを買うことも多い。


「ところでさ、」


 と、ミヤが切り出すと、習慣的に身構えてしまうのはなぜだろうか。


「ホントに寝坊?」

「は?」


 どこに疑う余地があるのか。しかしまあ、こんな風に上目使いで物を聞かれると少し動揺してしまうのは男として仕方がない。俺は次の言葉を待った。


「男の子は朝の処理が大変なんだね」

「何の処理だよ!」


 しかし、俺の前ではこういう突拍子も無いことをを平然と言うので、俺の恋愛対象には入っていない。せっかくの美人なのに。


「馬鹿なこと言ってないで、早く行くぞ」

「んもー、そっちが遅れたくせにー。あっ、ちょっとストーップ!」

「ん?」


 俺は、さっき渡されたパンを食べようとしていた手を顔の前で止める。


「男子がパン食べながら登校、ていうのはどうかなー、と」

「なんの話だよ!」


 俺はツッコんだ勢いでミヤの手を引き、学校に向かって走り出す。


「でも、トーストじゃないからアリか……」


 初日から遅刻なんて、と思っている俺の後ろを走りながら、ミヤはまだ呑気なことを考えている。別にタイプじゃないわけじゃあないんだよな……とそんなことを考えつつも、徒歩20分ほどの道のりを飛ばして行く。



「はぁ、はぁ、間に合った……」

「ギリギリだねー、誰かさんのせいで」


 走ったおかげでおよそ10分もかからずに学校に着いた。しかしなぜだ、同じ距離を同じ速さで走ったはずなのに、肩で息をする俺の隣でミヤは平然と立っている。とりあえず、皮肉は無視をして、


「本当にギリギリだな。早く教室まで行かないと」

「あー、無視したー」


 そう言うミヤをスルーしつつ、誰もいない廊下を歩いて行く。


「それじゃあ、また放課後に……」

「なんで?」


 ミヤは俺の横をぴったりと付いてくる。


「どこに別れる必要があるの?」

「……わかったよ」


 俺は深いため息をつく。コイツにはもう少し自分のステータスをわかってほしい。まあ、時間ギリギリだから同級生の目は少ないのだが、忙しなく動く教師たちの姿がよく目に入る。むしろその目は「こんな時間に来てよくもそんなにイチャついていられるな」と言うようである。それはさておき、俺たち一年の教室は一番上の三階だ。一応、屋上もあるらしい。しかし……


「すげーよな、お前のじいちゃん」

「まぁね」


 そういうミヤは、少し苦い顔をしている。

 ここーー皇徳こうとく高校は、ミヤの祖父が創立した私立高校だ。まだできてから新しい建物のはずなのに、そこかしこから歴史、というよりも威厳、風格といったものを感じる。偏差値は上の中ぐらいで、全国的に見ても高い部類だ。そして、


「じじバカ、とか言うのかな」


 ミヤの高校進学に合わせて創られたらしく、俺たちは第一期生なのだ。だから、「センパイ」がいない。


「でも良かったよ、二人とも全免で」

「そうだね」


 全免、というのは全額免除の略だ。私立高校なので、学費がそこそこ高い。その分、入試の成績優秀者のために学費免除制度があるわけだ。俺たち二人は猛勉強の末、全額免除となった。決してミヤが優遇されているという事はない。徳川はそういう家だ。話していると、教室の前まできた。


「じゃーね、龍ちゃん」

「その呼び方はやめろ」


 また「にゃはは」と猫っぽく笑う。そんなミヤが弍組の教室に入るのを見届けてから壱組の教室に入ると、俺を迎えたのは男子全員の冷たい視線だった。俺がドアを後ろ手で閉めると、教室の端から一人の男子が立ち上がり、こう言った。


「やあやあ、海崎くん。優雅な御登校ではございませんか?」

「か、上本……」


 俺が一歩引くと、上本は三歩前に詰めてくる。ドアは閉めてしまったので、これ以上後ろには引けない。そのまま上本は俺に詰め寄り、右手を大きく上に挙げた。

 ダアアァンという大きな音が俺の耳元で起こった。そう、これは世に言う壁ドンである。


「朝からイチャついてんじゃねーよ、この変態が」

「おい、お前はそっち側じゃないだろう。それに変態はお前だ」


 ツッコミどころしかないその発言に、俺は出来る限りの冷静な対応をする。すると、上本は手をどけ、普通の距離まで顔を離した。


「いやー、今日も冴えてるね。龍ちゃん?」

「死にたいか?」

「ごめんって、海崎。わかったからその目に見える殺気をしまってくれ」


 俺はちゃん付けへの怒りをなんとか抑える。

 出鼻からボケ倒すこの男の名は上本英太かみもとえいた。またの名をエロ太。中学からの友人で、とにかく明るいやつである。小、中と野球をやっていたらしく、中途半端にツンツンと伸びた髪の毛が野球部らしさを出している。


「丁寧な説明ありがとう」

「そりゃどうも」

「欲を言うと、『イケメン』とか付けて欲しかったんだが……」


 そう言いながら上本はチラチラと俺を横目で見てくるので、簡潔に答えた。


「無いな」

「どうして!」


[グワアアアアアン!]


 突然大きな音が鳴る。それと同時に先生が教室に入ってきた。なるほど、この銅羅の音はチャイムの代わりみたいだ。


「えー、担任の伊達です。よろしく」


 先生が簡単な挨拶をしてから、俺たちは入学式のために体育館へ向かった。


 ▽


「ふあ〜〜」


 あくびが出る。実に面白くない式だった。あの爺さんのことだから、何かあるのかと思いきや、別段変わったことも無く、ただただ時間が過ぎていった。


 すでに式自体は終わり、一度教室に戻って来ている。もうほとんどの生徒が帰ってしまったようで、教室に残っているのは俺と上本のみだ。


「ところで海崎よ」

「なんでしょうか?」


 上本がいつもよりもシリアスな顔をしている。何かあったのだろうか。


「ミヤっちのファンクラブ的なのってあったじゃん?」

「ああ、お前が勝手に作ったうえに、俺にあらぬ疑いをかけたあの忌々しい会か」


 今思い出しただけでも少し腹が立つ。コイツのこの顔、殴ってやろうか。


「その件は申し訳ない。で、その会の事なんだけど」


 誰もいない教室で、上本はさらに耳を寄せるようにちょいちょいと手招きする。俺は素直に顔を寄せてやった。


「…………フーーッ」

「うわっ!」


 寒気がした。ホンマに殴ったろか。


「帰っていいか?」

「ごめんって。わかった、今度こそちゃんと言うから」


 仕方なく、もう一度耳を傾ける。すると、飛び込んできたのは驚きの情報。


「もうできてる。『徳川雅後援会』みたいなやつが」

「なんだそりゃ」


 あいつは政治家か何かか。というか


「早過ぎるな……」

「だろ! だよな、そうだよな!」


 ただの共感で上本のテンションがプチ上がって、二人しかいない教室がより静かに感じられる。


「それで、今回の首謀者は誰なんだよ」

「首謀者って……まだ悪い奴かどうかわかんねえだろ?」

「でもなぁ……」


 仕方ないじゃないか。俺は頭の中で中学の時の出来事を思い出し、口から出そうになる苦味を噛み砕いた。


「確かに、カレーの中に虫突っ込んだのは、自分でもやり過ぎだったと思ってるぜ?」


 そう、あの時は苦かった。


「反省してくれてるようで本当に良かったよ」

「おれはお前に許されたことが本当に良かったと思ってる」


 そう言って大袈裟に笑う。何を隠そう、前回の首謀者はこの上本英太なのである。早とちりして俺とミヤがそういう関係だと思い込み、一方的な嫌がらせの数々を毎日のように浴びせられたのだから、たまったもんじゃない。そりゃ中二病にもなるわ。


「んで、話を戻すとだな、その会長は四組の小田おだとかいうやつらしい」

「はあ……んで?」

「気を付けろ、な?」


 特に気にすることもないだろう。そこそこ頭のいる高校だし、そこまで肉体系のやつはいないはずだ。


「まあ、程々に気をつけるよ」

「ん、何があったら言えよ?」


 なんだかんだで良いやつなのだ。だから普通の付き合いをしているわけだが。


「はいはい、ありがとう」

「んだよそれ、もっとあるだろなんかよー」

「欲しがるよな、お前」

「おう、おれのモットーは『欲求に忠実に』だからな!」


 ドヤ顔でそんなしょーもないことを言う上本に不覚にも笑ってしまった。


 そんなこんなで、俺の高校生活が始まる。


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